一般病棟に入ってほどなくして、母が到着した。
母は私を見るとこわばった面持ちで「良かった」と言った。
すぐにヤスのご両親が部屋に入ってきて、ろくな挨拶もしないまま頭を下げた。
「本当に、このようなことになって申し訳ありませんでした…」
母はあきらかにこわばったままの面持ちで「もう過ぎたことはいいんです」と言った。
「そんなことよりも、生きてて良かった」
母はそう言っていたけれど、私には疑問だった。
事故は、ヤスの非は全くなかったと聞いている。
10対0、非のつけようがなかったそうだ。
確かに彼は法定速度を守って運転していたし、シートベルトだってしていた。
もちろん中央分離帯を越えてなんかいない。
彼に非はない。
ということは、彼だって被害者なんだ。
なのになぜヤスのご両親は頭を下げるのだろう。
彼らの良心がそうさせたのだとしても、じゃあなぜ私の母はそんな彼らを冷たくあしらうのだろう。
まるで、彼らが悪いかのように。
そんなことを考えていると、なんだか居心地が悪かった。
そんな私の気持ちを察してくれたように姉が話しかけてくれたので、
悶々とした気持ちを抑え込むことができた。
誰かが話している内容から、今日が9月17日なのだと知った。
17日。
記念日だ。
ヤスと私は、毎月のように付き合った記念日をお祝いしていた。
もう付き合い始めて3年以上になるので、さすがに毎回盛大に祝っていたわけではないが、
外食に行ったり、2人で買い物に行ったりと、17日という日付を楽しんでいた。
今日は、3年と4カ月記念。
私は、姉に「紙、と、ペン、ちょうだい」と言った。
姉はよく不思議そうな顔のまま、自分の手帳とペンを渡してくれた。
左手はギブスをしているので使えない。
寝ている状態で、右手だけを使って文字を書くというのは相当難しいものだったが、
汚い字で一生懸命書いた。
「 ヤス
♡3年4カ月記念
おめでとー♡
大好きだよ♡
フユ 」
短い文章で、精一杯、
「私は怒ってないよ。ヤスは悪くないよ。ヤスが大好きだよ」と伝えたかった。
間違っても、母の感情が私の気持ちと同じなのだと、彼に勘違いはされたくなかった。
メッセージを書いて、「ヤスに」と言って姉に渡した。
姉は私の汚い文字を見て、「そっか。記念日だったんだ」と言って泣きそうな顔になった。
それを見たら、なぜだか涙が出た。
泣きたかったわけじゃない。
泣いていたわけじゃない。
ただ、涙が出た。
姉の泣きそうな顔が、私のからだに「涙を流していいんだよ」と教えてくれたようだった。