ヤスは一足先に一般病棟に移ったのだと聞いた。

彼はまだ手術をしていない。

だけどとにかくICUから出たというだけでも「危険じゃない」と言われているようで、安心した。

後部座席に乗っていた女の子は一番軽症で、おでこを何針か縫ってすんだと聞いた。

よかった…。とにかく、みんなが無事でよかった。

そんな安堵感でいっぱいだった。


右目が見えない、と気付いたのはそのあとだった。

ああ、だからなんだか視界が狭くて暗いんだ、と納得がいった。

おそらく失明することはない、けれど、右目はもう完全には開かないかもしれない、と言われた。

たしか、姉が言ってくれたんだと思う。ひどく痛ましい表情をしていた。

だけど私にはそんなことかまわなかった。

生きている。私も、彼も、彼女も。

それだけで本当に、十分だった。



ヤスが一般病棟に戻ってから、彼の声が聞こえなくなった。

叫んでいるような呻いているような、とにかく苦しい声だったけれど、私には少し、さみしかった。

彼の存在を感じていたかった。



それからほどなくして、個室に移れることになった。

「よかったねー静かになるねー。」

と看護婦さんが言ったけれど、無機質な部屋にひとりでいるのはむしろ恐ろしいことだ。

だって今の私は体を動かせない。声も出せない。

姉は様子を見に来てくれるけれど、ICUでの面会時間は限られている。

かろうじて握らせてもらっているナースコールだけが命の綱のようだった。


私は少しだけ出せるようになった声で、姉に伝えた。

『さみしい』

それを聞いた看護婦さんが、少し音があるだけでもさみしくないかな、と言って個室にテレビを持ってきてくれた。

おかげで少し安心できた。


だけれど、夜は永い。

麻酔は効いているのだけれど、それでも1時間もしない間隔で痛みで目を覚ます。

暗い部屋にテレビの明かりだけが光る。

テレビの光と音で安心してまた眠りにつくのだけれど、それも夜中になると消えて、真っ暗になった。

孤独と恐怖に押しつぶされそうな夜は、永くて永くて、まるで夜はもう永遠に明けないかのようだった。

たった一晩なのに、何日にも感じた。



次の日、ヤスの家族が面会に来てくれた。

彼の実家には何度も遊びに行ったことがあった。

事故の数日前にもちょうど彼の実家に立ち寄っていたので、彼のご両親に会ったのは数日ぶりということになる。

病室で何を話したかは覚えていないけれど、お父さんとお母さんはすごく心配してくれていた。

数百キロ離れた場所から駆けつけてくれたお姉さんはいつもの通り元気いっぱいで、なんだかおかしくて、こっちの元気まで出てくる気がした。



その日の夜には2番目の姉が札幌から駆けつけてくれた。

面会時間ぎりぎりだというのに、少しでも顔が見たいと言って、来てくれた。

その優しさと愛情がすごくうれしかった。