くれくれおばけ | フェイシャルリフレクソロジーサロン プルメリア(東京)

フェイシャルリフレクソロジーサロン プルメリア(東京)

東京丸ノ内線中野新橋駅から30秒のプライベートサロンです。フェイシャルリフレクソロジー・コスモフェイシャル・コスモリフティング・ニューロフット・レイキ伝授・顔ツボ整体によるパーソナルコンディショニング&ストレッチ。お顔のリフレで内側から健康に美しく。

エネルギーバンパイヤとか、エネルギードロボウとか。

特定の相手にこっそりコンセントなりコードを刺して、人からエネルギーを奪って生きる人がいます。(けっこうたくさん)

わたしはご存知「とられる側」。(笑) とられた人間は人からとりません。いただくことはありますが、とりません。とったらとりかえしてやれ、って人もいるのかもしれませんが、わたしはやられたらやりかえすのは好きではありませんし、そういう性根は好きでない・・。(*-ω-)

セラピー中はいただいていいのです。

 

が、「ちょうだい!」とか「もっともっと!」と言う方。。。。^^;

 

だめですよ、それは癒しでもセラピーでもなんでもありません。

お金を払った分だけ「いただく」、つまり相手が与えてくれる分から自分の必要量だけいただくのはよし。

自分が払った分以上を回収できるってことは、まずありません。

得した気分になるのかもしれませんが、人生も宇宙も、かならずプラスマイナスゼロにしかなりませんので、もらうだけの人はどこかでなにかで帳尻を合わせるような出来事が起こるでしょうし、差し出すだけでもその人はエネルギー不足で生きていけません。

大事なのは「自分が必要としている量」をきちんと理解しておくこと。

両者過不足なく、エネルギーの交換をすることが大事。

それがセラピーなり、トリートメントですし、均衡のとれた天秤のようなエネルギーの交換のバランスは、人間が生きていく上で必要なやりとりの原点です。

 

人から受けるトリートメントは限りない「癒し」です。人は人に一番癒されるのだと思います。

しかし、ここを自分勝手にはきちがえて、くれると思った相手から必要以上に奪ったり。。。

これを無意識にやってる方はどちらかというとこちらもコンセントやコードを切りやすいのですが、逆に切れないわ、切りづらいわ、切ってんのにまたこっそりさしてきて困るのは、「意識的に」人からエネルギーを「とろうとする」人のことが多い。^^;

人からエネルギーを奪って、そんなことで一時的に「紛らわされた」気分になっているだけなんですが、そういう方は「藁をも掴む」気持ちなのでしょうけど。

でも結局、問題を見ずに目先の苦しさだけを癒すために、人のエネルギーで「ごまかそう」とする。

 

なので本人の根本的な問題の改善には至っていないということになりますので、隙あらばふたたびコンセントをさして、エネルギーをとろうとする。。

こちらはさされまいと逃げたりよけたり、こっそりさされたら切る・・・。

完全なイタチごっこになります。^^;

あまりにこの連鎖が続くときは、どうするか・・・・。

 

毎回毎回、kinoちゃんに頼むほどわたしも図々しくありません。(笑)

 

なので、トリートメント自体をお断りします。

 

えっ?断るの?!

 

断ります。

だって、その人のためにならないから。

もちろん、とられたり逃げたりよけたり切ったりするのは、わたしにも大きなダメージですし、不足分のエネルギーはムダに食べて食べ物からとるハメになりますので、はっきり言って通常価格では見合わない。。。(笑) しかも食べてチャージできる状態ではなくなります。

 

「ごめん、しばらく触れない」

とはっきり言ってお断りして、ようやくコードの手が切れたときもありました。

 

わたしにもクライアントさんがいるわけです。その方たちのためにわたしはきちんと自分をメンテして、心身ともにフラットでニュートラルな状態をキープするのがトリートメントと同じくらい重要な「仕事」。

たとえ精神的に落ち込んでも、自分にネガティブエネルギーを充満させた状態で、他人には触りません。

逆を返せば、あまりに強くネガティブエネルギーを放つ方にも「触らない」し「触らせない」のも一つの方法。

 

あげないよ、とは言ってないんです。

どっちかといえばわたしは「もう少し閉じておけ」と言われるくらい、開きすぎてるんですから。^^; 

そんなにしてあげなくていいよ、と言われるくらい自分のものを与えることには抵抗もありませんし。。。

 

でも、そこにつけこんで甘えてくるのがくれくれおばけちゃんたち。^^;

 

だからたまに閉じます。(笑)

でないと結局その人のためにならないから、という理由で。

自分がとられる恐怖はもうすでにありません。とられんのが怖くってセラピストやってられっか!って感じですから。^^ ま~江戸っ子♪(笑)

 

与えるだけが愛情ではありません。見守るのも愛情。手をださないことも愛情。

それを理解できない人もいるわけですが、それはもう仕方ないことです。。

だって、お互い必要として大事に思っていれば、必ずまたどこかで交わるでしょうから。ご縁ってそんなもんですし。^^

 

 

これはもう10年以上も前の話ですし、今の同じ年代の方には理解できない話かもしれません。

20歳そこそこで初めてお勤めした病院で、相当しごかれました。病院もまだ厳しい時代でした。先輩ナースに出来ないことで叱られ、叱られるのがイヤで手を出さないとまた叱られる。やってもやらなくても叱られる。でも全て意地悪ではなく、単に厳しいだけ。新人だから出来なくて当たり前。でももうプロなんだからきちんとやれと叱られる。

毎日帰って泣く新人時代。

何度も何度もやめようとして、でも3年たちました。

一通り一人で仕事をこなせるようになって、リーダー業務までこなせる「とりあえず一人前」の頃。

指導して(叱って)くれてた先輩ナースとも笑って対等にお話ができるようになった頃。

 

自分に後輩が出来、指導する立場にたって初めて、「必要で叱らなければならない」ことを知り、「叱りたくないのに叱らなければならない状況」もあると知る。

後輩を育てるのに、厳しくせざるを得ないこともあり。(今ではそんなスパルタありえないようですけど^^;)

ま、わたしも同じ思いさせたくなかったりで、けっこう優しかったと思うけど(本当だろうか・・・・?汗)

 

でも結局それって全て相手のためなんですよね。

一丁前に仕事が出来るようになったのは、多分新人時代にみっちりしごかれ、しこまれたおかげ。ナースとしての精神みたいなものはナイチンゲールではなく、当時の厳しい先輩方から学んだと思います。

あのとき叱られて泣いてたことは、「ああ、ありがたかったなぁ」と今でも思います。(でも本当に厳しかったです・・・^^;)

 

・・・・・涙の次は「二度と言われてたまるかいっ!」みたいな負けん気で3年たっていったんだ・・・たしか・・・。^^;

負けずキライな性分なもんで(笑)

 

 

話を戻すと、厳しくされてるようでも結局は「思いやり」だったりする。

そういうことに気付けない人も多いんです。

「愛情」からくる厳しさなんて一生理解できない人も多いご時勢です。

 

 

残念ながら恨まれちゃうこともあるしね。^^;

 

でもいいんじゃないでしょうか。

「ああ、そうだったんだ」って、いつか気付いてくれたら、それで。^^

 

気付かない人はそこまでの方ってわけですから・・。無理に関わってもなにか得ることはないでしょう。

 

 

ていうかさー。

せめて「ちょうだい」って言うなら、「これあげるから、ちょうだい」くらい言おうぜ~・・・。(;・∀・) (笑)