自分の周囲の人は自分の鏡、と言います。
なんだかやな人ばっかり集まるな~ってときは、自分がそうなってるとき、とかよく言います。:(。・ω・)ノ゙
なので意地悪ばかりされるときは自分がそうなのかな、と思ったり。。。
逆に意地悪されるから意地悪な気持ちになってしまったりもあるのかな・・・。それは完全に負の連鎖ですけど。
ミラー効果については、考えることも多くって、他人が絡む嫌なことや先日のようなコンセントどろぼー(笑)などが起きると、「わたしがいけなかったかもしれない、わたしがいけなかった・・・」と反省しつつ、さてでは今後どうするべきか、はたまたなぜ今回そうなってしまったか、を一人自分ミーティングします。
場合によっては、わたしが信頼しているわたしを良く知る友人にほうれんそう。報告連絡相談、会議します。わたしがいけなければ「それはあなたのこういうところが悪かったかもしれないね」と超冷静なエゴ抜き視点で言ってくれる貴重な友人です。「こうしたほうがいいんじゃない?」と冷静沈着に言ってくれる友人は貴重です。
ミラーももちろんあるのだと思います。でも全てミラーだとも思いません。
みんな人間ですから、生活習慣や育った環境や職業や経歴からくるモラルの差や考え方の違いもあります。それをこちらが理解してても、相手がそこまで理解していないことも多い。特にどうしても30代になるまでは、残念ながら相手にそこまで求めるのは無理なことも多いです。これは人付き合いや社会経験値の問題であくまで大体の目安ですが。。
さて、それらを押し付けられることをもっとも苦手とするわたしには、あまりにかけはなれた非常識な個人的思考を「押し付けられ」「操作」される意思を感じたとき、さすがに「いらっ」としたり、憤りなり苛立ちを感じることもあります。
これが「友達だから」「あなたが心配だから」みたいなよくわからない理由でおしつけられるとき、一番イヤな思いをします。
これは愛情という見せ掛けの甘えからくる、単なるエゴ。わたしのことなんて、これっぽっちも考えていない、わけですよ。
わたしも神様ではないし、怒ることも落ち込むことも、そりゃ~普通にあります。道に迷うことも選択に悩むことも、あります。そこで必要としているのは、相手のモラルではないわけです。「わたし」の「選択」を見守って、本当に危険なときは手をさしのべてくれるかどうか、そういう意味での「支え」になってくれるかどうか。
本当に心配されているか、本当に愛されているか、その杓子定規はまた個人的なものです。わたしの場合は一般常識と社会的モラルレベル、+「勘」での判断になりますが。。。^^;
30代すぎても自分のことしか見えない方も多い世の中です。人は人、とかね。思えない方も多いですよね。。。
逆に人は人と分離しすぎて、希薄な関係しか築けない人も多いですし・・・。
社会経験「お勤め」したことがない人は一般常識と社会的人付き合い能力に欠けてますし、「お勤め」したことがあっても一つのトコにしかいたことがない、とくに病院とか閉鎖社会にだけしかいないとまた井の中の蛙状態。つまり非常識な人なことが多いです。
あと最近多いのは、よくも悪くも自分の妄想で相手を偶像化してしまい、ジャッジしてしまう人。それが過度の愛情になったり、逆に憎しみになったりするわけです。なんでわかってくれないの?どうして思うようにしてくれないの?みたいなね。近しい関係に甘えてそういう風になること、多くないですか。
つまり皆見解が狭いわけです。
ここはこう、あっちはこう、わたしはわたし、あなたはあなた、と当たり前の事なのに当たり前に思えないわけです。
でもそれはそれでいいのかもしれません。。。
そういう常識で生きてる方を変えるお役目はわたしにはありませんし。。。^^;
残念ながら、わたしとは交わったり、関わって生きることはないなぁっていうだけです。。。
わたしが人間関係に求めているものは、まさに自分がしようとしていることなので、これをまた理解してください、とも、いう気もないのです。言わなくてもそういう方はきちんと傍にいてくれますし。。。それこそ欲しいものは与えられ、自分にとって必要なものも過不足なく与えられていますから。
なので、単なるミラーでもなく、「この件から学べ」という時にも、そういうことが起きるんだろうなと。「お前、チョットこ学んでステップアップしなさい」って上からの命令のこともあるってことです。
なにかしてしまってバチがあたってるってことも、そりゃあります。^^;
あ~あのときこういうのがイケナカッタ・・・orz とか、
あ~あのときこうすればヨカッタ・・・。orz、とか。
たらればも、してしまった後悔も、好きではないですが、でもやっぱりそう思ってしまうこともある。
けど、しない後悔より、した後悔のほうが数段いいし♪
失敗しても、必ず「学び」がついてきますし、それは履修時間に換算されるでしょ。
単位でいえば、多く勉強しました~ってことなので。(なんてポジティブ・笑)
なので、件の友人においてはそういう一切のエゴや個人的モラルではなく、あくまで物事の「全体」をきちんと見渡して、その上で感情ヌキで意見を言ってくれる貴重な人。やはり彼女もオーバー30♪(笑)
わたしの肩をもつわけでも、わたしを否定もしない。
そう聞くと「冷たいじゃん」なんて思うかもしれませんけれど、それって必要な一線をきちんと引いた上で、お互いを大切に思える、人間関係のお手本みたいな関係なのです。
もちろん甘えさせてくれることもありますよ。(笑)
物事全てバランスですから。つかず離れず、でも冷静に。という感じでしょうか。^^
相手が悩んでいるとき、必要としてるのはこちらのモラルや常識ではありません。あたまでっかちになった相手の曇った心を晴らして、より良い選択ができる状態に、必要なら手助けをするのが、「友人」であるとおもっています。またなにがおこっても見守り、ただそこにいてくれるのも「友達」でしょう。
「友達なんだから」なんて軽々しく言う人に限って、「叱る」ふりをして、エゴを押し付けてくることが多い・・・。
本当に相手を思いやり、大事にしたいと思うのであれば、エゴは押し付けられません。
しかし、これも正当化なのかなぁ。。。
記事にもしたけど、「言い訳」って、ある意味自己の正当化ですから。^^;
わたしも気をつけよう。。。(´m`;)
あ~いろいろ難しい。(笑)
これ以上は哲学になってしまうのでとりあえずこの辺で。。。^^