しばらくぶりにブログ書くけど

ナリ心理学認定アドバイザーちえちゃんの

この記事↓を読んで

「自分が母をどう見てるか」が浮かび上がってきて

思いがけず泣いたのでシェアしておく。



私はこの↑記事の相談者さんと似ていて

精神疾患のある父がいて、私も当事者である。


父は愛着障害で対人恐怖がありモラハラである。

そして、おそらくASDもあると思われる。

さらに双極症Ⅰ型傾向があった。


そして私もASDと双極症Ⅱ型がある。



それで、肝心の母はどうなのか?というと


外から見て

美人で細かな気遣いができる優等生で

目立ちたくないのに目立ってしまう華やかなタイプ


内側から見て

ちょっとおっちょこちょなところもある頑張り屋

よく具合が悪くなってて無理してるタイプ


だったので

私は母に憧れて大好きなのに

なぜか母にものすごく腹が立って生きてきて

無自覚に親への復讐で自分を虐めて不幸にしてきた

とっても残念な過去がある。

(だから私は精神疾患になっちゃったんだけどね。)




今日はナリ心理学認定講座の動画を見て

ちょうど母親理論の話を聞いていた下地もあって

そこに



ちえちゃんのこの↑記事を読んで

『母と同じ』という解説に触れたら

それがなぜなのかわかった。



以前は、私は『母と同じ』を頭で理解していたけど

どうやらそれはとても部分的理解でしかなくて

自分の根っこまで理解が届いてなかった。



でも、今回初めて

自分の内面の母観察の視点に

「母は美人、私は父似で残念」

「母は優等生、私は普通」

「母は優秀、私はそうじゃない」

という劣等感があって

私は母をすごく上に見上げ過ぎていたんだな

とわかった。


言い換えると

私は母を女神として見上げすぎていて

「お母さんが絶対正解」

「お母さん(は神)なんだからそれくらいできるのに」

と根拠なく見てしまう「幼児視点」で

これまでずっと生きてきてしまっていたのか

と気がついた。




で、ここで

『母親がただの未熟な中年女性だった』と認める

というナリ心理学の母親理論が効いてきて

『母親は便座カバー』

『母親は消臭力』

くらい

「母のポジション」を自分内で下げまくる

のが重要で


これ↓はアンジーさんの書いた記事


その上で初めて

『母と同じ』が効力を発揮するのかとわかった。





今まで私は

「母は神」と無自覚に思っていた幼児感覚のまま

母を見ては

「母は私を(私の望むように)愛してくれなかった」

と認識していたし


母を見上げたまま『母と同じ』を適用して

「ちがうじゃん」と劣等感を抱いていたけど


今回のちえちゃんの記事を読んで

・私と同じように、母も未熟な大人で

・私と同じように、母も子育てがわからなくて

・私と同じように、母も母親に認められたかったけど

・私と同じように、母も母親に認めてもらえなかったし

・私と同じように、母も人生を失敗したのに無視して

・私と同じように、母も自己防衛で精一杯で

・私と同じように、母も間違ってるおかしな人なのだ

とわかったら


「母と同じように(神に)ならなきゃ」

ってしなくていい

とわかって安堵して泣いた。


そんなこと

もうとっくに知ってるし、わかってたはずなのに

全然わかってなかったんだな。



たぶん

母も私と同じように

祖母のことを「神」だと思って信仰していたのだろう。


母は「母教」の従順な信徒だったけど

私は「母教」の反抗的な信徒だっただけ。


でも、ほんとは母は神じゃない。

だから、私はもう信仰しなくていい。


母に認められるように生きなくていいし

母に認められるように選ばなくていいし

母に認められるように考えなくていいし

母に反抗して生きなくていいし

母に反抗して選ばなくていいし

母に反抗して考えなくていい。


って気がつけたけど

それを実践するのはこれから練習だ。


私は、母という軸に頼るのに慣れすぎてた。

そして、そうするように育てられてきた。

(私より年上の夫もまさにそうである。)


だから私は

母という「正解」みたいなものが欲しかったんだな。

でも、現実には、神みたいな「正解」なんてない。


もしあるとしたら

母も失敗するし、母も間違ったりもする。

人間だから

私も失敗したり、間違ったりしながら生きていい。

という「答え」なんだよな。


って安心したのでした。


(ってことは、今まで「母みたいに(神に)ならなきゃ」ってやってて緊張状態だったから私は不安だったのか。ということだとわかったけど、長くなるからこの辺で今日はおしまい。)