ここのところ触れて来ませんでしたが、
去年12月19日。
発症当初から関わってきた静岡のALSの友人の一人が、重い肉体を脱いで、
魂となりこの世から旅立ちました。
2016年7月に二週間の入院の末告げられた病名
「筋萎縮性側索硬化症・ALS」
そこから6年でした。
3年前には↓ALSと生きるという講演をしました。
そこからも少しづつ進行。
去年3月の段階では、それでもタブレットを使ってネットも出来たし、そんなに状態は悪くはなかったのです。
そこでまだ全身麻酔が出来るうちに、
今後を生きるための「気管切開」をしようと決断をしていました。
既に胃瘻は造設済。
呼吸筋が追い付かなくなる前のタイミングとしてはベストだと思ったんだと思います。
3月29日に入院。3月30日に気管切開手術を受けました。
ところが…。
結果から先に書くと、
この気管切開が、彼の命取りになってしまいました。
いや。
気管切開手術そのものは、成功したのです。
だけど、その入院中に「腸閉塞」を起こしてしまった。
その腸閉塞で入院が長引きました。
退院後、気管切開で声を失った友人は、
ホスピスに戻ってから
寝たきりになってしまいました。
急速に体力を失い。
眩しがって室内の照明を暗くして
寝たきりのベッドで目をつぶったままでした。
コロナ禍。
県外からの見舞いは一切不可。
県内在住でも予約して15分。それも一日最大2人までという制限が続く状態でした。
何のための気管切開だったのだろう。
気管切開入院しなければ、腸閉塞にならなかったし、少なくとも自分らしい残りの生き方が出来たんではないのか…。
正直、私はそう思いました。
私は県外ですので、参列出来ませんからメッセージとささかなお花を送りました。
たまたまなんですが、友人が亡くなる少し前に、静岡県内在住の共通の友人に、色んな人からのメッセージを集めて、私の声も含めて「声のメッセージ」として届けてもらったんです。
枕元で再生されるメッセージを、じいっと聞き入っていたそうです。
わずかに動く右手でグーみたいなサインを示したと聞きました。
反応が良かったので、二回目のメッセージも集め始めてた矢先だったのですが…。