先週土曜日、静岡で友人の講演がありました。

当日の写真↓講演前

講演中↓

 

2016年7月。友人が二週間ほどの検査入院の末告げられた病名

「筋萎縮性側索硬化症・ALS」

その頃は、左手が少し不自由だった以外は、まだ普通の生活が出来ていました。

時々、驚くほど簡単に転倒したり、

体中の色んなところの筋肉がつったり。

ということはありましたが、ALSだと宣告を受けた本人が、

一番事の深刻さを理解していなかったような時期でした。

しばらくすると、

頻繁に転倒するようになりました。

ラジカット点滴やリルゾールの服薬を始めました。

(現在有効な治療法がないALSで保険適用となるラジカット・脳梗塞患者に用いる点滴

とリルゾール・てんかん患者に用いる薬。いずれも進行をわずかに遅らせられるかもしれない作用)

このころの担当医が確認したところ。

胃ろうはつけない。

人工呼吸器のための気管切開も拒否。

病気の影響が呼吸筋にまで及んだ時は、そのまま命を終える。

という選択をしていました。

少し訳ありで、この友人はALS宣告を受けた後も、

独り者ではないにも関わらず、家族は誰も彼の病気について関わって

きませんでした。

そんな中、

一時は、ALSのための診察も、リハビリも何もしてくれない病院で、

このまま廃用で死んでいくんだ。

とまで友人は思っていました。

その彼が、考えを変えたのは、

「ALS」を

ALL LOVE STORY

と解釈し始めてからです。
ALSは

あらゆる愛に気づかせてくれるもの。

自分自身を大切にすることが、魂をくれた人への誠意。

周りと幸せを分かち合うために頑張ろうと思う。

生きたい。

もちろん、療養生活を続けるある程度の環境整備は必要。

だから、そのための治療法としての「胃ろう」や「気管切開による人工呼吸器」

を受け入れて、人生を楽しめるよう

自分を大切にして頑張ろうと思う。

この生き生きとした友人の顔を見てください。

ALS宣告をされて、一度は残りの人生すべてをあきらめた。

宣告を受けた病院からは、治療法がないのだから、もうこの病院へ来る必要はありません。
と放りだされ、

リハビリも投薬も、病気に必要な定期的な検診ですら、

すべて受けさせてもらえない環境で失意のまま一年近くを過ごした。

その彼が、自信と笑顔を取り戻しました。

この彼の晴れ舞台となった講演に、

リハビリも投薬も定期的な検診も受けさせてもらえなかった病院の

担当医が来ていたそうです。

担当医は、どんな気持ちで、この生まれ変わったように生き生きとした表情の

友人の講演を聞いていたのでしょうか…。

友人は、多分、これからもALSを相棒として、相棒に負けることなく、

笑い続けてくれるだろうと思っています。

 

あきらめなければ、道は拓ける。

そう信じて支え続けてきた私も、大きな一つの役目を終えたと感じた

今回の晴れ舞台でした。

 

友人に、このような機会を与えてくだされた関係者の皆様に、

心から感謝いたしております。

ありがとうございました。
 

※ここに掲載しております写真と内容は、友人本人の承諾を得て公開しております。