ごきげんよう!!Atelier 風花 FlorenceのToshiko(永田登志子)です。
前回のブログで、アンティークのオールドノリタケをご紹介しました。
今回も、素敵なオールドノリタケの事をブログに書きたいと思い
パソコンをカタカタしていたのですが、綺麗な金赤の油壷のランプが目に入りました。
本当に美しい赤です。
このランプは明治時代、職人さんによって、当時の熟練された技法で作られた吹きガラスです。
今回は、明治・大正のガラスをご紹介したいと思います。
私は、明治~大正時代の文明開化の頃に日本で作られた
色とりどりの吹きガラス製品が大好きです。
特に私が好きなガラス製品は、金赤ガラスで、
乳白の模様がなされた物がとても美しく好きです。
ランプ、デキャンタ、菓子瓶、花瓶など様々な物があります。
同時期に、オールドノリタケもとても華やかな物が作られていました。
ガラスの小史ですが、
明治のガラスは、「品川硝子」を抜きに語ることはできません。
その歩みは決して平坦なものではなく、
わずか12年間で5回の名称変更が余儀なくされました。
明治20年代から大正期を通じて、ガラス瓶をはじめ、
各種器類の生産が飛躍的に発展しました。
明治20年代前半にはドイツよりガラス窯が導入され、
40年代には圧搾空気による機械吹製瓶技術が開発されました。
大正期には全自動による成形法が採用され、皿やコップ類の量産化が大いに促進しました。
この時代にガラスが大活躍したのは燈火器の分野でした。
国内で急速に普及した石油ランプは、明治20年代後半から30年代にかけて全盛期を迎え、
生活の必需品となりました。
油の消費量が一目で分かるガラスの油壷は人気があり、
壊れやすいため需要が耐えることがなく、明治のガラス工業を支える主要分野となりました。
明治後期から大正初期にかけてガラス産業がさらに飛躍した時代です。
この頃ようやく国内で、板ガラスの商品化が可能となり、
プレス機械の改良や製ビン機械の導入も始まって、ガラス生産額は急増しました。
さらに、第一次世界大戦の勃発で、日本のガラス産業は世界市場に進出するようになり、必然的にガラスの品質は向上していきました。
とりわけ、大正期の氷カップにみられる色ガラスを使った被せや色ぼかし、糸巻き、
かきあげ、あぶり出しといった様々な装飾の流行は、
諸外国に例をみない日本特有の現象でした。
こうして安価でカラフルな食器が日常のすみずみまで浸透し、
ガラスは生活のなかの雑器として極めて身近な存在になりました。
このような時代背景の中から
「美術工芸品」として「ガラス」を志向する動きが芽生え始めました。
品川ガラス製造所は、事業としては失敗しましたが、
イギリス等から技術者を招聘して育成し、ここで育った人が日本各地で
日本のガラス産業の先駆けとなりました。
日本で初めてステンドグラスを作った、岩城瀧次郎は、後に岩城ガラスの創業者となります。
明治21年に日本で本格的にガラス器を製造販売した島田硝子製造所を大阪に設立しました。
後に東洋ガラス株式会社と社名変更し現在も営業しています。
私は、その頃の素敵なガラスを20年ほどかけて
コレクションしてきました。
少しご紹介いたします。
私は、この時期の美しい物にとても興味があり
長年収集してきました。
この頃の物を好きで収集されている方は沢山いらっしゃると思います。
まだまだ勉強不足なので、もっと勉強したいと思っています。
詳しくご存じの方に教えて頂けたら嬉しいです。
今後も、大好きなアンティークをご紹介していきます。
最後までお読み頂きありがとうございました。