繰り返してしまってるが再登録です。
私は、精神系、発達系の障害持ち。
生まれつき感受性が強いらしく、環境の影響を強く受けたようで愛着障害もあり。
感受性の強さは環境によっても強化されたのかも?
HSP(Highly Sensitive Person)という概念が現在ある程度広まっているらしい。
私もそれに当てはまる。
多分HSPが濃いめだから、昔から自分の中にある差次感受性が役にも立ってきた。
昔はHSPって概念はなかったろうけど、自分を知るのに役立つから、感受性について研究して下さった方々がいて、情報を知れることに感謝してます。
『HSP』という言葉を、私の感受性がどんな感じか説明できる言葉(概念)として私は使うことがある。
けれど、私の考え方的には、私自身にHSPがあってとても良かったけど、HSPの概念が当てはまる感受性の持ち主が他の人より特別とは思わない。
感受性の強さや弱さ、それによって人の価値は変わらない。
HSPのある人に向いてることや向いてないこと、出来ることと出来ないことがあると思う。
HSPのない人にだから向いてることと向いてないことがあったり、出来ることと出来ないことがあると思う。
HSPの概念が当てはまる感受性があろうがなかろうが関係なく、誰でも誰かに必要とされたり、反対に誰かには苦手と思われ理解されないこともあると思う。
そもそも、HSPという概念はあっても、HSPという概念に当てはまる人どおしでも似てない面が沢山あったり、人生経験も違えば思考の仕方も価値観も全く同じということはない。
上手く言いたいことは言えてないかもしれないけど、HSPを特別視してHSPという言葉を使うわけではない…と説明しておきます。
私としては、人間1人1人同じ人はいないから、人間は完璧でないからお互い合う合わないはあるかもしれないけど、なるべく違う人間どおしても仲良く一緒に居られる人がいて幸せになれたらよいな…と思う。
私はHSPという要素だけでつくられてはいないし、成り立っているわけではない。
私=HSPではない。
たまに気になるので最初にHSPに対しての私の捉え方を書いた。
最後に、私は、「HSPがあるから辛い」と思ったことが全くないわけではないが、子どもの頃から自分の感受性には感謝もしてるし、「HSPが私をつくっている一部」であり良かったと思っている。
もし私からHSPがなかったらなかったで、何かしら人生の形はあると思うけど、もし幸せになれたとしても結局は何かしらの苦労が人生であると思うし、どんな人生にも辛いことはあるだろうと思う。
私の場合は、HSP(差次感受性)が役に立ったことや、HSPのある性格のおかげで得してることもある。
少なくとも、自分のHSPのある人生でのデメリットはそれなりに想像できるし同時にHSPがあることでのメリットも知っている。
反対に私がHSPがない場合のデメリットやメリットは全く未知だろうと思う。
HSPがなければ楽というのは、思い込みだろうと思う。
HSPがなければ私が愛着障害や精神障害を抱えないで済んだとは言えないし、もし愛着障害や精神障害がなくても、人生にはいろんな種類の苦労や不幸が存在すると思う。
物事の捉え方とかどう生きるかはなるべく自分で選びたい。
変えた方がよい変えられるもの(自分が変えても良いもの)は変える努力して、変えられないものは受け入れるようにして、自分と違う人の方が苦労してないし幸せだと思い込まなかったら、ある程度幸せになれると思う。