廣川まさきさんの

アイスブルーの瞳を読みました。

※アラスカで暮らす犬ぞりのお話です。

 

耳の聞こえないアンは

犬ぞりの仲間でした。

だけど掛け声か聞こえない

ということで事故にあいます。

マッシャー犬ぞりの御者)

もちろん必死て助け出しますよ。

 

そもそもなんで?聴こえない犬にソリを?

最初はそんな懸念もありながら

読んでいたのですが、読むにつれ

極限に生きる動物と人との絆に

感動してしまいましたよ。

 

以下抜粋です↓

私は犬を愛玩しペットにすることだけが

犬の幸せとは考えない。

たとえ犬ぞり犬たちの命が

現役のときだけの短いものだとしても

私はそれをかわいそうとも

否定しようとも思わない。

 

なぜならば、私もきっと

だらだらと長生きするよりも、

命短くても、精一杯に

駆け抜ける人生を選ぶだろうから……。

 

それに、そもそも私たち人間の営みや

経済産業の裏で、どれだけ多くの動物たちが、

人間の勝手によって

命を翻弄されていることだろうか。

 

肉とされる経済動物

動力の一部として使われる使役動物、

そして医学や薬学の発展の他

化粧品などの開発に使われる実験動物など、

その現実に向き合おうとすると

目を逸らし、胸が痛む事実はいっぱいある。

 

けれど、人間は

そういった多くの罪の上に生きているのだ。

だからこそ私は

深く感謝をもって動物たちと接したい。

 

・・・・・・・

 

時おり

「犬ぞりの犬たちは、かわいそう...」と、

安易に言う人がいるが、

走ることが大好きな

ソリ犬たちのキラキラとした目、

生き生きとした姿を見ると、

そんな簡単な感情で

説明できるものではないと私は思うのだ。

 

言ってみれば、犬ソリの世界というのは

マッシャーの深い愛情と断腸の思いと、その覚悟。

そしてそれに、命をもって応える

犬たちとの葛藤と絆の物語のようなものだ。

 

帰国の日のこと・・・

 

飛行機は、

変わり易い天候のなかで慌しく飛び立ち、

雲の切れ間を探しながら

飛ばなければならない天候にもかかわらず、

私はあることに気がついた。

 

「あれ?方向が違うよ」

するとパイロットは、

プロペラの轟音の中で

ニコリと微笑んで、窓の外を指さした。

その先に目をやると

私はぐっと涙が込み上げてきた。

 

彼は、私のために

ドッグヤードの上空を飛んでくれていたのだ。

眼下に小さく、ドラム缶の横で寝そべる

ソルティーの姿が見えた。

 

ムースの骨にかじりついているルーディーに、

皿を転がして1人遊びをするアン。

屋根に上って日向ぼっこをする

ルーニーやブロックス

ズートにノーラ、アーセルやマーソン

そして、やんちゃな若犬たち。

 

みんな、春の暖かい日差しを体いっぱいに浴びて

相変わらず、いつもの午後を過ごしていた。

 「さようなら ありがとう」

 

~アイスブルーの瞳より~

人は罪の上に生きている
ということ、説得力あり過ぎ

 

動物園でみたシャモア↑

ひとりぼっちのモンブラン君を見た時
罪人(ヒト)が下段から
上段(シャモア)を見上げる感じ。

 

両親が遠い国から連れて来られ、
両親が亡くなって、希少動物と認定され
輸入も禁止になったから
「もう日本に1頭なんだよ!
寂しくないの?大丈夫なの?」って。

 

モンブラン君、お隣の動物親子を
尻尾フリながら、眺めてるんですわ。
 

うまく言えないのですが
動物にとって人間は脅威でありながらも
救いの手を差し伸べてくれる恩人でもある

 

矛盾しているけれど、
動物の幸せな姿をみると感動してしまう

そんな感動に、心の底からありがとう。

だから感謝をもって動物たちと接したい。

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