健常な精神の人は見ないで下さい。
最低の人間を想像する
ある友人に自分のどうしようもない心情を吐露したら、その人の解決策といえば
「史上最低の自分を想像してみるといいよ」
というものだった。
要するに、立場も無く叱られている、お金が無く途方にくれている、精神的に弱いから言い返せないでいる、どうしようもない自分を夜寝る前に想像することで、完全に無力な人間である事を体験。
すると、あとは落ちるだけだから這い上がるしかない自分になれる、というものだった。
よく悩み相談なんかで弱い自分を変える相談に対し
「人間誰しも弱い」
「それじゃ社会ではやっていけない」
と周りとほとんど同じ事を言うだけ(常識ではあるけど…)で、具体案を全く提示してくれない回答を何度も見ている。
相手が本当に親身になって話しているのか、疑念を感じてしまうのだ。
じゃあ「当たり前の事」だというのなら、これから自分はどうすればいいのですか?という事までは突っ込んではくれないのが現実問題。
その観点からすると、友人のアドバイスは自分にとっては薬になった。
実践するかどうかは別としても、案を提示することで、自分の身になって考えてくれる事が伝わってくるのである。
自分も悩みに対して相談される立場になったら、何かしらの解決策を考えてあげなくちゃいけないかな、と考えてみた。論点がずれそうだけど。
報告は密に
「報告」はこまめにやらないと、あとで困るのは自分だけじゃなく、自分と同じ部署で働いてる人にも迷惑がかかるんだよ。
と注意された。
もともと、人間恐怖症のきらいがあるせいか、人にある事象を報告するときにはちょっと勇気がいる。
それが良い報告でも、悪い報告でも、顔がこわばってしまうのだ。
悪い報告なら、なおさら怖くてたまらない。緊張で顔が赤くなってしまう。
どうも自分が変な事を気にしすぎているような感じがするのだ。
自覚はあるものの、反射的に恐怖を感じて、報告を躊躇するのである。
この漠然とした恐怖は何だろうか。鬱陶しさを感じる。
でも今はひたすら慣れしかないのかもしれない。
聞き上手になる
自分は人の話を最後まで聞かないくせがある。
自分ではわかってるつもり。
でもいざ人に聞かれると、しどろもどろになる自分がいることに気がつく。
これってやっぱり自分勝手なことなんだ、と気がつかされる。
人の話は最後まで聞いて、メモをとるくせをつけておかないといけないな。
明日への格言 その2
「木を見て森を見ず」に陥るな
自分は、細かいことに関して凝る方である。たとえば、プラモデルを作るときなどは、差込口を丁寧に切り取るし、ニッパーで切ったところのでっぱりは、無くなるまで切っちゃう方なのである。
今私は携帯電話の開発に携わっているが、その一部である「通信機能」については色々と説明できる自信がある。しかし、それを全体の流れとしてどう見るか、と言われると、これがうまく説明できなかったりするのだ。
例えば、通信機能の中のことはよく知っていても、その中で使われている外部インターフェースが変化することによって、どのような影響が出るのか。
また、こちらが受け渡しているパラメータを使用する他の機能にどのような影響が及ぶのか。
それがなかなか説明しにくいのである。
上司から指摘されたが、
「君は一部を見る能力には長けていても、それが全体に及ぼす影響を考えていない。だから説明が出来ないんだ」
というお叱りを受けたことがある。
つまり全体の流れとしての自分の機能の位置づけはどうなるのか。
全体ベースで「もの」を考える能力が、私には足りないのである。
よく考えれば人間関係だって、商売だってそうなのである。
自分あっての他人。
全体に役に立ってこそ、自分の存在意義が光るものなんだろう。
どうも自分には焦る余りに、つい「目先の利益」に動きがちになっている自分がなんだか情けなく思えてくる。
普通の状態ではわからなくとも、いざとなったときには全体が見えずに視野狭窄に陥っている自分がいる。他人には、自分がそのように写って見えているのだ。
「木を見て森を見ず」
がその時の自分の状況を言うにふさわしいと思う。
陥らないように気をつけたい。
明日への格言 その1
「できない事は『できない』と言え」
自分はできない事を「はい」と言いながら、安請け合いでやり続けてきた。
以前まではそれでもよかったのだが、仕事がだんだんハードになるにつれ、「できないこと」を何とかやっていこうと「はい」の一言でやり続けていた。
しかし、自分の能力では確実に破綻は目に見えているところまで追い詰められて、結局は納期に間に合わせる為に、多量の人員を投下する経緯があった…
昨日、直属の上司からこのような事を言われた。
できないことを「できる」と言ったら、それは相手先にとって失礼極まりない行為だと、存分に叩き込まれた。
自分はできない事だとわかっていても、その場では「恐怖心」が芽生えてしまい、反射的に「はい」という癖がついてしまっている。自分でもわかっているのだが、やはり「恐怖心」が勝ってしまい、
「はいと言わないとまずい事になる!!」
とえもしれず自分に襲い掛かる感覚に見舞われる。
胸のうちが熱くなってしまうのである。
しかし、一番自分が克服しないといけない事象だとは、常々わかっている。
今度、派遣先が変わることが正式に決まっているが、そこでは絶対に
「できないことはできない」
と勇気を持って言える様にしたい。
今のしっかりした社会人は当然のようにやっているのだろう…
これを克服しなければ。
普通でない人間特有の悲しさが増すばかりだから…
普通以下の人間がこれから飛び立つ
31歳の夏。
私はうつ病と診断され、社会的にまるで適応できない人間と言われてしまいました。
ひとえに多くの人が語るは
「君の性格が問題だ」
と口をそろえて言います。
納得できないことがあるにしろ、自分にはとても精神的に弱く、誰かに頼りたい、と常日頃が思い込んでいたので、それは本当のことかもしれません…
認めたくなくても、認めなければならないのが現状。
自分の道は自分で切り開くしかない。
今日からこのブログで、今までの自分の行いをここに書き、自分の欠点を見出して反省する材料にしたいと思います。
ほとんどが独り言なので、健常者の方にとっては「何?それ普通だよ?」って思えるところがあるかもしれません。
しかし、気の弱い自分には「普通に」できない事が多かったのです。
だから健常者の方は見ても退屈なだけだと思います。
反対に、今自分と同じように社会的に追い出されそうになり、苦しんでいる方は私のブログで何かしらのヒントを得られるかもしれません。得られないかもしれませんが。
あくまで独り言なので。
しかし私に足りない、「社会的に生きていくエッセンス」を書き連ねることにしているので(ブログは皆に見ていただくためにあるのですから…)、思い当たる節がある方は目を留めていただければ幸いだと思うのです。
文章はそんなに上手くありませんが、よろしくおねがい致します。