昨日、86歳になる祖母が脳出血で病院に運ばれた。

 

母とその兄弟姉妹が付き添って病院の先生のところに話を聞きにいったけど、

「出血が止まっていない、止めるには手術しかないが、

手術も体力的にも厳しいので、このまま様子見」と言われた。

 

病室の祖母は、目は開いているけれど声掛けにもほとんど反応はなく、

おそらく、ここから前のように普通になることはないと思われる。

 

つい数日前まで普通に母のところに遊びにきたり、

デイサービスに行ったりしていて、周りの人も皆

「一体何歳まで生きるんだろう?」とおもっていたぐらいなのに、

実際、これぐらいの年齢になるといつ何時どうなってもおかしくないんだと思った。

 

わたしは初孫だったので、とにかくよくいろんなところに遊びに

連れて行ってもらった。

最後の青函連絡船に乗りにつれていってくれたのも、

日本海の海水浴場で朝から夕日が沈む頃まで海で遊ばせてくれたのも

祖父と祖母だった。

 

いま、こういう時になると、自分が何かを祖母にできただろうかと

考えてしまう。ここ数年は顔を見せるようにしていたけど、

あまり遊びに行ってなかった期間もあったし。

 

ちょっとしたことが、土壇場になるとこうして押し寄せてくる。

 

そして、祖母でさえこうなのに、これが両親だったらどんなだろう?

そういう思いはもっと強く出るかもしれない。

そう思うと、何もできていない自分がちょっと怖くなってきた。


 

人の生き死には人間の意思では決められない。

 

そこは神の領域だ。


 

だから、ありきたりでも、祖父母にも両親にも今できる精一杯のことをしたい。


 

祖母とは残された時間をどう過ごすか。

 

祖母を支える母をどうケアするか。

 

繋げてもらった命を私なりに返すことを考えたい。



 

 

今日の東京は快晴だ。