キリスト教徒において受洗とは洗礼を受けるということなのだが





これをやってしまうと他の宗教と神社仏閣にお参りができなくなってしまう不具合がある。




厳密にはやっても平気っぽいのですが、キリストを唯一の神として崇めているキリスト教にとってそれをやると裏切り行為みたいな感じで、せっかくキリスト様を信仰してるんだから他の宗教とかありえないよね〜それは違うよね〜という同調圧力的なものがある。




それを聞いてキリスト教に窮屈さを感じた。





そして、仏教ってなんて懐が広いんだろうと感動した。





日曜日に教会へ行きつつも土曜日に座禅を組みに行ってお寺の独特でゆっくりた雰囲気に安息感と有り難みを感じるようになった。





やっぱ、日本人は仏教なのかな〜と思えるようにもなった。





受洗なんて受けねー!





別に受けても黙って神社仏閣のお参りすればいいが精神的に縛られているみたいでイヤだ!




大事なことだから2回言う。




洗礼はうけね!




パンとぶどうジュースが飲みたきゃ近くのザ・ビックで買えばいい。





キリストの窮屈な考えが、嫌いだ!