この国のタブー -99ページ目

この国のタブー

素人がタブーに挑戦します。
素人だけに、それみんな知ってるよ?ってこともあるかもしれませんが。
コメント、質問、大歓迎です。お手やわらかにお願いします。

前回の記事を後で読み返してみて、少し後悔しました。他人への不平不満や批判的感情に基づいて、人助けをした自分を肯定するというのは、読んで下さる方のストレスになるばかりか、論法として正しくないですね。

「周りはみんな間違っている。だから私は正しい。」
というのは一見すると成立している論理のようですが、この逆説には問題があります。正しさを論理的には説明してはいないからです。権力や社会など、自分よりも強い対象を否定し、だから自分は正しいと主張するこうした感情論的思考のことを、「ルサンチマン」と言うそうです。
 参考:Wikipedia記事ルサンチマン

仕事で失敗が続くと、時々こういうルサンチマンに陥るのが私の欠点です。失敗記事でも削除まではしませんが、ただ、そういう思考の記事だということは添え述べておきたいと思いました。



さて話は変わりますが、今日のテーマは日本史観です。私は、この20年で日本の近現代史の解釈に、2つの大きな変化があったと思っています。ひとつは教科書問題。ただしこれは中韓との外交問題ではなく、『新しい歴史教科書』についてです。そしてもうひとつが、田母神論文の問題です。どちらも、日本史に対する意識の変化を象徴した出来事だと思います。


【新しい教科書問題】
96年に、「新しい歴史教科書をつくる会」が発足します。この会は、必要以上に自虐史観に染められた既存教科書を批判し、「子どもたちが、日本人としての自信と責任を持ち、世界の平和と繁栄に献身できるようになる教科書」を作る目的で結成されました。
 参考:一般社団法人新しい歴史教科書をつくる会「趣意書」

私がこの本を手にしたのは、大学生だった2001年頃だと思います。太平洋戦争を大東亜戦争と書き、東京裁判を批判するという内容で、当時かなり報道されました。私は中学時代に社会の勉強が大嫌いだったため、基礎的知識は大学で学んだというほどの落ちこぼれです。それだけに、既に大学で学んだ真実の歴史が、中学教科書では真逆の印象で描かれているという事実に、当時とても驚きました。
この会はやがて内紛し分裂してしまうのですが、教科書の制作出版は今でも続いていて、その思想は他の教科書にも影響を与えました。つい先日も、尖閣諸島と竹島を領土と記述する地理教科書について、中韓が反発したというニュースがありました。しかし、出版各社がその姿勢を貫ける土壌は、新しい歴史教科書が切り開いたものだと思います。

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【田母神論文問題】
統合幕僚学校長、航空幕僚長を歴任した田母神俊雄が、2008年に「日本は侵略国家であったのか」という論文を書いて更迭された事件です。航空自衛隊のトップにある人間が、日本は侵略戦争をしたという政府見解(とりわけ村上談話)とは異なる主張をしたという理由で、更迭されてしまったわけです。しかしこの出来事以降、田母神に同調する保守派支持層は増える一方に見えます。彼はとてもユーモラスな人物で、「軍人が愛国心を訴えてクビになるのは日本だけだ」など、そのコミカルな語り口調は一見の価値があります。
 参考:Youtube検索「田母神俊雄」

【ハル・ノートとベノナ文書】
田母神の主張の柱のひとつが、大東亜戦争はアメリカ、とりわけ当時の米国政権内に暗躍していた共産主義者スパイによって引き起こされたというものです。当時、太平洋で勢力を広げる日本に対して米国は、アジアの権益を全て放棄し撤退するよう求めてきました。この文書はハル・ノートと呼ばれ、日本はそれを事実上の最後通牒として受け止めます。その結果、真珠湾攻撃を行うしかなかったというのが最近の歴史解釈です。
しかし、1995年にベノナ文書という米国公式文書が情報公開されると、さらに新たな事実が判明します。このハル・ノートを書いたハリー・デクスター・ホワイトは、実はコミンテルン(共産主義インターナショナル)のスパイだったのです。田母神の代表著書には、大東亜戦争を日本が引き起こしたという自虐史への反論が、様々な事実によって語られています。

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こうした動きは、戦後、GHQによって大きく歪められタブーとしてしまった歴史が、ここ20年で少しずつ変化してきた表れだと思います。これまでの学校教育は、日本は悪い国と教えてきました。しかし今、真実の歴史が明らかになりつつあります。

ただ、こうした考え方が、一方では狂信的な民族主義や排外感情へ結びついてしまわないよう、注意も必要です。私はどちらかと言えば右翼を自認していますが、ネットの右傾化にはあまり共感できません。勧善懲悪を誇張したルサンチマンな人々がとても多いと感じるからです。
「やつらが悪人だって知ってたか?だから私たちはデモ行進すべきだ!」
教科書を訂正しろと中韓が叫ぶほど、この手の右翼的主張に、新たな歴史の真実が都合よく利用されてしまわないかと心配します。


そこで最後にもうひとつ。歴史の真実は、究極的には誰にもわかりません。だからこそ、歴史解釈には「史実」と「史観」の2つがあります。

「史実」とは、科学的検証に基づく歴史のことです。それは事実ではなく、通説と反論で構成されていて、新たな証拠が見つかる度に歴史が変わります。ただし、証拠に基づかない異論は許されません。その解釈は歴史家に委ねるべきものであり、政治とは無縁であるべきです。
一方の「史観」とは、史実をどう解釈するかという価値観のことです。自国の価値観に基づき史実を紡いだものを国史と呼び、どこの国も美しい国史を作ろうとします。過度な歪曲は問題あるものの、基本的にはどう解釈しようと当事国の自由です。

それに当てはめれば、私の今回の記事は、私個人の史観であって史実ではありません。日本の歴史教科書も、それを非難する中韓の主張も、全て史観です。従って、日本が自国民にどのような歴史教育を行おうが、他国が日本を悪く言おうが、それに反発することにはあまり意味がありません。そのことを私たちは、肝に銘じる必要があると思います。

今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。



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