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この国のタブー

素人がタブーに挑戦します。
素人だけに、それみんな知ってるよ?ってこともあるかもしれませんが。
コメント、質問、大歓迎です。お手やわらかにお願いします。

大学は教育機関ではない。このテーマは、タブーと言えばタブーなのですが、何も意図的に隠されている話ではありません。公然の事実なのですが、社会が無関心なためにいつの間にか知られざる真実になってしまったという悲しい話です。


私は仕事で大学へ行く機会が多々あります。大学とビジネスをしていることもありますが、共同研究に取り組んだりもしているためです。詳細を明かすことができず残念ですが、結果として幸か不幸か、大学の裏事情にも少し精通する立場にあります。
近年、私が出入りする大学は、そのほとんどが大学改革に躍起になっています。その大きな潮流は2つあり、ひとつは少子化、もうひとつはグローバル化です。すなわち、少子化によって生じた経営難と、グローバル化によって生じた国際競争力の低下です。そのひとつひとつが思わぬ誤解や不幸を生んでいる現実に、私達は目を向けるべきだと思っています。



【大学は教育機関ではない】

現在、我が国には700を超える大学が設置されており、その目的は「高等研究と高等教育」です。このうち、研究が先にあることが重要で、つまり大学とは研究機関なのです。その副次的なものとして教育が存在しています。かなり古い考え方だと言えばそうですが、これが出発点であることを忘れてはなりません。

100年以上の歴史を持つ、とある大学の教授会に出席した時のことです。この大学では、大学改革の柱として100年来保ち続けた大学理念を改定しようという議論が巻き起こりました。

学長:「少子化によって当学にもやがて厳しい経営環境が待ち受けている。この機に新たな大学理念を打ち立てたい。それは教育を抜本的に強化し、研究は二の次にするということです。教育の責任を果たさなければ、いずれ地域からも社会からも見放されてしまう。地域社会におけるニーズに合わせ、大学も変わらなければならない。」

教授A:「研究を目的としなければ大学とは言えないのではないか。」

学長:「世は就職難。入学者も全員が優秀ではない。学生に手に職を付けるとか、教育を強化して送り出すことが社会における大学の使命だと思うのだが。」

教授B:「それは研究を放棄するということに聞こえる。」

学長:「そうではない。研究は、夜中でも自宅でもどこでもできるはずだ。しかし教育は日中に学内で行うしかない。学生の教育、すなわち人材育成を優先しようと言っている。」

教授C:「ここは専門学校か?研究を二の次にするなどと言ったら、私は教授として恥ずかしくて、外を歩けない。」


つまり教育は後回しということですね。しかも反論している教授は皆、無名の学者なのですから少し驚きます。しかし、学費を払ってる親御さん達は、こんなやり取りを知ってどう感じるでしょうか。
親は恐らく、大学教育に期待をして入学させるのですが、これは大いなる誤解です。大学は研究機関であって、教育はその研究過程で生じた副産物に過ぎないのです。そしてそれが高等教育だと長らく信じられてきました。良いか悪いかはさて置き、少なくともこのベテラン教授達の多くは、そう信じて疑いません。



【形骸化した大学教育】

昔の大学と言えば、講義では教授が一方的にしゃべり、学生は内容を理解するために必死になったものです。ただしこれは、半分は建前です。もう半分の実際は、面白味のない講義では、興味や理解が深まらなければついていけません。サボるか寝るかという具合です。
これを受けて昨年、大学教育の強化が文科省より示達され施行されました。

・2単位講義=週1回90分講義×15週の徹底。休講したら必ず補講。
・2/3以上の出席を徹底するが出席点は与えない。レポートまたは試験で評価。
 参考:文科省QA「Q3 日本の大学の現状について、「授業に出席しなくても単位が取れる」「勉強しなくても簡単に卒業できる」などの声を耳にしますが、これについて大学はどのような対策を講じているのでしょうか。」

しかし、出席させたからといって何かが抜本的に改善するわけではありません。学生は眠る時間が増えるだけでしょう。眠るなと言えば、机の下で携帯ゲームに没頭です。

他方、実験やゼミでは与えられたテーマに従って、あるいはテーマを独自に模索して課題に取り組むことが求められます。つまり、やりたい研究をやって良いということですが、やりたい研究が見つからない学生や、必要な基礎的知識が足りなければ取り残されます。しかしそうなると大勢の学生が卒業できませんから、大学はいつも逃げ道を用意しては、なるべく全員が卒業できるようにしました。これについては、今のところ文科省も無策です。

要するに、大学は教育機関ではないのです。それはずっと以前から何ら変わりませんし、かつてはこれで機能していたことも事実です。しかし、少子化とグローバル化の波がこの問題を深刻化させました。



【少子化がもたらしたもの】

世帯当たりの子供が減少すれば、ひとり当たりの子供に投資する教育資金は増加します。大学は高等教育機関と称していても、現状では高校卒業生の半数が大学へ進学してしまいます。大学を選びさえしなければ、希望者全員分の入学定員が確保されています。こうなれば当然、学力水準は低下し研究機関の土台をも揺るがします。

しかし現実問題として、私大の半数は定員割れとなり経営難に陥っているのです。学納金が減ることももちろんですが、何よりも定員割れすると文科省の助成金がカットされるのです。こうした問題は、地方大学や小規模大学において特に深刻です。結果として、大学経営は質よりも量を求めることを余儀なくされ、国の高等教育機関としての水準を保てなくなっているのです。
 参考:日経新聞電子版(2012/8/27)「私大の45.8%が定員割れ 今春、3年ぶり4割台」

入試対策一辺倒の高校教育を刷新するため、安倍政権は先日、センター入試を廃止し新たな試験の枠組み策定に着手しました。
 参考:msn産経ニュース(2013.6.6)「センター試験廃止も 教育再生実行会議、「到達度テスト」導入議論を開始」

センター試験は近年、ニーズ低下と不祥事に苦しみましたが、それでも一定の効用はもたらしました。事実、推薦入試やAO入試(小論文と面接口述試験)に比べれば基礎学力を担保していましたので、一般入試やセンター入試組の大学生はこれらよりも成績が良好なのです。
一番問題なのは高校推薦枠による入学組で、高校によってマチマチな成績評点を元に入学できたは良いものの、他の学生に学力で取り残されてしまい、留年や退学の温床ともなっています。よって仕方なく、大学は推薦合格を発表した11月から翌年の入学までの間、サービスで事前補講を提供するようになりました。
 参考:読売オンライン(2013年3月8日)「「入学前教育」の効用」


【グローバル化がもたらすもの】

さて、教育水準が低下すれば、大学が生み出す人材の魅力もまた低下します。先日報じられた「QSアジア大学ランキング」では、東大は9位、京大も10位と低迷しています。
 参考:リマセム(2013年6月13日)「東大・京大がトップ10ギリギリ、QSアジア大学ランキング」

世界の大学ランキングでも日本は極めて低い水準にあります。安倍政権はこれを打開すべく、国際化に取り組む大学を支援するとともに、義務教育の英語も強化するようですね。
 参考:日経新聞電子版(2013/5/28)「「世界トップ100に10大学」 教育再生会議が提言 」

ただし断っておきますが、この方策には大きなリスクを伴います。グローバル化した優秀な人材が日本で働くとは限らないからです。愛国心を持たなければ、彼らはどんどん日本を出ていくし、日本を単なる市場としか見なくなることも容易に想像できます。
良し悪しはともかく、日本には母国語で議論できる学会組織が完備されている、世界でも珍しい国です。仏国や独国も母国語の論文は書きますが、学会は英文でなければ通用しません。しかし日本だけは、日本語で学会論文が書けるし、評価をされるのです。しかし、彼らが英文の論文を容易に書くようになれば、こうした文化は消滅するでしょう。

つまりこのエリート達に、国に対して愛着を持つことや、日本人としての誇りを同時に教育しなければ、日本は大変な教育崩壊を迎えます。

 

【2つの潮流がもたらすもの】

学力は低下しているが、目指すべき水準の高度化は避けられない。この相反する2つの潮流が導き出す答えは、大学の2極化です。

学力水準の高い一方は、研究機関としての復権を目指すでしょう。不況の経済下でも求められるような研究者やグローバル・マネジメント能力に長けた人材の育成機関になるということです。私はこれは、簡単に言えば米国の大学に近づくことだと思っています。その最たる例は、メディアでも何度も取り上げられる国際教養大学です。秋田の山奥で徹底した勉強漬け。英語のできない者は落第するカリキュラムです。
 参考:国際教養大学webサイト

もう一方の学力水準の低い大学は、とにかく就職です。前年度就職率の良否が翌年度の入試志願者数に直結する時代ですから、崩壊した大学教育を工夫して、ひとりでも多くの学生に内定を獲得させることだけが目的化します。こうした大学が研究機関を謳うのは建前だと思って下さい。実際に2年前、文科省のとある助成金に関する説明会で、私自身が官僚からそうした説明を受けました。
 参考:東洋経済オンライン(2009年11月09日)「就職に強い大学・学部はココだ!!--地域別・学部別 就職率ランキング」



【教育機関としての役割】

大学の現状はきれい事では語れません。文科利権の象徴ですから、これだけ少子化でも大学を潰しません。一昨年、田中真紀子が新たな設置申請を受け付けないという騒動がありましたが、これはタクシー業界の、車の台数を増やさない利権構造に酷似しています。
 参考:NHK解説委員室(2012年11月08日)「時論公論 「"大学設置不認可"は何だったのか?」」

もちろん、大学側も必死で努力しています。特に、就職を優先する大学は生き残り競争の真っただ中ですから、研究機関の看板を下ろしてでも存続に賭けています。ある意味では、この層の大学が史上初めて、大学として「教育機関」の役割を自覚しつつあるのかも知れません。
ゆとり教育に育ち、文章能力も数学(または算数)の基礎学力も足らない学生を、どうすれば就職難から救えるのか模索しています。

また特に最近は、アクティブ・ラーニング、主体的な学びといったキーワードが流行しています。かつての講義法を改革し、教授のプレゼン力を高め、学生が能動的に学習する課題や教授法を身に付けようと努力しています。つい先日、私もその道の専門家の講演を聞いたばかりですが、米国の名門MIT(マサチューセッツ工科大学)の先進的な教授法には、感銘すら覚えました。
 参考:帝京大学「主体的学び研究所」

しかし一方では、これが大学がやるべきことかなと疑問も抱きました。大学の運営費の半分は公費、つまり税金によって賄われています。しかし、学生本人や親は大学をサービス業のように誤解し、大学にも子供にも利己的な期待だけを押し付けます。勉強していなくても学位だけは欲しいのです。
加えて他方、それを受け止めるはずの教授陣はと言えば、ろくな論文も書けない年配学者がのさばり、若手の学者に椅子を空けませんので改革は停滞します。長年に渡って教育を放棄してきた人間が今更変われるとも思えませんが、恐らく彼ら自身の多くが変わるつもりも無いのでしょう。これでは、大学改革はまだまだ遠い道のりです。



【これからの大学】

冒頭に書いた通り、大学は本来、研究機関なのです。教授を中心に研究を行い、その中の優れたひと握りだけが研究者あるいは学者として巣立っていきます。落ちこぼれは自力で就職するしかないのです。今の若者たちが置かれる環境は確かに過酷ですが、大学の制度を学生に合わせる必要性までは感じません。もしそれが必要な個別の大学は、就職を優先する専門学校に生まれ変わるべきだと思います。それこそが、教育を強化し大学改革を進めるための早道だからです。


私は学生当時から、いつもこう思ってきました。
学ぶ意欲の無い者は大学を去れ、と。好きな科目、興味のある研究、あるいはその知識をどうしても得たいという情熱が無ければ、大学での4年間は無駄になってしまいます。学ぶ意欲を身に付ける場としての大学という論理は、私にはどうしても陳腐に思えます。その意欲が無ければ働き、それでも学びたいと思える日を待つべきだと思います。

残念ながら現在、社会経済は大学レベルの労働力をそれほど多く求めていません。これについてはいずれ詳しく述べようと思いますが、実際に大卒者の就職率は、高卒や専門学校卒よりも低いのです。つまり、大学に行ったからと言って安泰な時代はとうに終焉しました。その事実を私達社会も受け止めなければなりません。

今回も最後まで読んで下さりありがとうございました。



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