性の価値観(1) | この国のタブー

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久々にタブーネタです。が、タイトル超重くてすみません。最初は「性の哲学」というタイトルにしようかと思ったのですが、あまりに刺激的過ぎるので止めました。


実はこのテーマはずっと、「書く書く」と言いながらも放置してきた経緯があります。なぜならば、大人の方には誰しも興味深いテーマでありながら、少し掘っただけでも、出てくる出てくる不都合な真実。読み手によっては目障りどころか、違和感や不快感が抜群かも知れません。しかも、「あぁまるチャンてそういう人だったんだ」と無用な誤解も招きかねない訳ですが。

それでも、当ブログの更新をお待ちいただいている読者の方から励ましなども頂いたりして、とりあえず問題提起だけはしようと思いました。ただし、テーマが壮大過ぎて、自分の中での帰結を見出せないので、これというオチはありません。そしていつになく雑な感じです・・・。

ということで、その辺り何卒お含み頂き、入り口は軽めのテーマから始めることにします。



【日本のポルノは大人気】

皆さんはアダルトビデオってどう思いますか?

てなフレーズの次に出して良い話じゃありませんが、89年正月、昭和天皇が崩御されました。テレビっ子だった12歳の私には、連日報じられるニュースの意味が全く解りませんでしたし、2日目くらいからはとにかくつまらなかったという記憶だけが、鮮明に残っています。ただ、世間の反応も概ね一緒で、ビデオデッキとレンタルビデオはこれを契機に爆発的に普及したのだと、後に知りました。我が家にビデオデッキが登場したのも、まさにこの時です。

他方、これらの普及に一役買ったと言われるもうひとつが、アダルトビデオの存在です。まぁこちらは想像に容易いメカニズムですけどね。

週刊誌によれば、昨今、日本のアダルトビデオは世界的に大人気なのだとか。もちろん、不法流通や海賊版含みの話ですから、ビジネスとしてどうなのかはよくわかりません。ただ以前、日本へポルノを撮りに来た米国ビデオ制作会社の人と飲んだ時、彼は「もちろん向こうでも大人気さ!HaHaHa!!」とか言ってましたので、まぁ概ね事実なのでしょう。
最近はお隣の共産圏でも大人気で、検索サイト最大手の「百度(バイドゥ)」では、キーワードランキングの人物編トップ20に日本人AV女優が上がったりもするのだとか。いやはや芸能人以上ですね。あ、でもこういうのを売ったりすると死刑じゃありませんでしたっけ・・・?
 参考:Wikipedia記事「AV女優のアジア進出」



【凶悪事件が生んだ世論】

さて、話を戻します。奇しくも昭和天皇崩御の同年7月、「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」の犯人が逮捕され、お茶の間は再びテレビに釘付けとなりました。特に印象的だったのは、犯人の自室で発見された大量のビデオテープです。その数、実に5,000本。中には、美少女アニメやポルノ、ホラーやスナッフが含まれており、小児性愛を印象付けるものも含まれていました。しかし実際には、『ドカベン』など普通のアニメが大半だったそうですが、視聴者の多くがこれを見て、ポルノと犯行の因果関係を刷りこまれたようです。「オタク=凶悪犯罪者予備軍」というような差別的イメージも、どうやらこの辺りが起源です。
 参考:Wikipedia記事「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」

少なくとも今のところ、ポルノが幼女誘拐や連続殺人を引き起こすメカニズムは立証されていません。要するにイメージであり、誤解なんですね。犯人は確かに小児性愛者でしたが、ポルノとの因果関係については、卵が先か鶏が先かすらも不明です。
よくよく考えてみれば、彼がアダルトビデオを持っていたのは恐らく単なる偶然に過ぎません。だって、大人の独身男性かつ彼女ナシですからね。普通に考えれば、アダルトビデオくらい持っていても何ら不思議ありません。

ではここで、改めてひとつ目の論点です。
皆さんはアダルトビデオをどう思いますか?
これって世の中に必要?それとも不要ですか?



【ポルノの功罪】

アダルトビデオの弊害を指摘する声は、昔からそれこそ五万とあります。「健全な青少年育成を阻害」とか言う、根拠無き抽象論は無視するとして、中でもよく聞かれるのは「性行為を過度に誤解させる」という指摘です。これは主に女性から男性に対する指摘というか、苦情ですね。「あのビデオみたいにしたい!」なんて言われても、そりゃ確かに困るだろうと思います。テレビやラジオの人生相談、はたまたヤフー知恵袋あたりでも定番ネタのようです。
 参考:Yahoo!知恵袋 性の悩み、相談

しかしこの話になると、じゃあどんな性行為が通常なのか?という、素朴な疑問も同時に湧いてきます。と言うかそもそも論として、「正しい方法」なんて有るんでしょうか。少なくとも私自身はそれを知りませんし、「No.1風俗嬢のエッセイが良かった」的な自己満足はともかく、学んだよという話も聞きません。

いや、学んだと言うならば、それこそアダルトビデオくらいしか私には思い付きません。私の友人も恐らく全員、同感だと言うでしょう。中には、近所のお姉さんが手取り足取り教えてくれたなんて、面白い(そして羨ましい)話も聞かれるかもしれませんが、まぁ圧倒的に少数派でしょうから。

つまり、明確な弊害はあれど、それが唯一の教材という大いなる矛盾。やっかいですね。こういう葛藤は、頭の中でいつも堂々巡りします。



【禁欲教育の問題】

この話をすると、「愛の授業」で一大社会現象を巻き起こした『3年B組金八先生』のファーストシーズンを思い起こします。と言っても私は再放送組ですが、性教育の在り方に一石を投じる姿勢は私の世代にも衝撃と感銘を与えるものでした。
 参考:TBSチャンネル「金八先生第1シリーズ」

現在の学習指導要領に従えば、最初の性教育は小学5年生です。ただし、この時の教育は初潮と精通に関する内容に限り、受精に至る過程は取り扱わないものとされます。つまり、体の成長について知ることだけを目的とし、自身の体の変化に関することだけをケアしているわけです。
続く中学では、受精・妊娠までを取り扱うものとし、妊娠の経過は取り扱わないものとしています。これは、若年妊娠と感染症の予防を教育目的とした、避妊具の必要性理解という色合いが濃いようです。まさに金八っつぁんですね。

高校ではこれに、中絶のリスクや家族計画の重要性が加わりますが、どうも予防策ばかりが目立ちます。もうこの頃には生徒間でポルノも流通しているでしょうし、経験者多数でしょうから、真面目に学ぶ機会と言うには少し無理もありそうです。
 参考:文部科学省「学校における性に関する指導について(学習指導要領に基づいて)」←語句が不自然過ぎて理解困難ですが

こうして眺めてみると、何だか中途半端な気がしませんか。明らかに性行為をさせないようにする意図が優先されていますし、事実上の禁止ではという見方もできます。「しないに越したことは無い」というようなイデオロギーを形成したいのでしょうか。
しかし以前調べたところによれば、女性の生物学的な妊娠出産適齢期は18~20歳頃だそうですから、禁止禁止ばかりが正しいとも限りません。逆に恋をしない若者が増えている現状も鑑みると、未熟さを助長する教育のような気もしてきます。

こうしたことから、現状の性教育に批判的な意味を込めて「禁欲教育」に過ぎないと呼ぶ人もいます。



【性教育推進派の主張】

小学生の妊娠や、子供による性犯罪などの事件が起こると、少なくとも世間の大人は過剰反応します。しかし歴史的な事実に照らせば、それは特に最近のことでもありません。実際には戦前から沢山あったそうなので、まずは教育する以前の出発点が事実誤認でしょう。
 参考:過去記事「少年犯罪は凶悪化してない?」

となれば伝統的な性教育においても、一定の改良は必要だろうと思います。
性教育推進派が掲げる理念をネット上で拾い集めると、次のような感じです。
 ①若年妊娠のリスク教育
 ②性感染症抑止  
 ③性に対する誤解の解消
 ④性犯罪抑止
 ⑤セックスレスや離婚の抑制

①と②については既に行っていますし、必要不可欠です。ただし、ここだけを重視するので禁欲的と非難される所以です。加えて、禁欲教育をしても若年妊娠がゼロになった訳では無いし、昔からそこは変わらないのかも知れません。
次の③の理念は、誰しもが共感できる反面、その方法論が議論となるのですが、詳しくは後述します。

ただし、この中で④は極めて納得できません。性犯罪に限らず、そもそも犯罪って教育すれば抑止できるのでしょうか。私はほぼ無理だと思いますし、それこそ昔の凶悪事件から生じたイメージに縛られているだけに見えます。

他方、⑤は積極的な性教育という意味で、良し悪しはともかく従来の禁欲教育とは逆行する考え方です。個人的には賛成ですし、あえて付け加えるならば、「⑥晩婚化と高齢出産のリスク」も欲しい所です。



【平行線の議論】

では、これら理念を達成するために、教育現場では実際にどのようなことが行われているのでしょうか。少し前に、人形で性行為を再現した積極的な性教育が行われていたという報道を目にし、驚きと同時に強い違和感を覚えました。しかし調べてみると、医療機関や感染症予防などのNPOなどが、学校外で似たような性教育を実施していたり、行政主導や主婦のボランティア団体が主催するケースなども多数あって、一層驚きました。
ご興味ある方はYoutubeなどで検索してみて下さい。映像をかいつまんだだけでも、かなり見慣れない光景が繰り広げられています。
 参考:これでいいのか?性教育 教室はアダルトショップ

また他方では、花王が「体のノート」という性教育教材を学校に無料配布して、ニュースで一時話題騒然となりました。しかし、これは出産直後に産婦人科でメーカー試供品の紙おむつや粉ミルクを配布するのと同じで、生理用品を売りたい思惑だけのような気もしますが、どうでしょうか。時は折しも、民主党政権が道徳副教材「心のノート」を無駄だと仕分けた直後で、これらが似た名称だったために、ネット右翼の方々から総攻撃されてました。
 参考:グーグル検索「体のノート」

しかしこうなると、いずれ学校の正門前でコンドームを無料配布する企業も現れそうですね。街頭での配布はもう珍しくありませんし。って、どんどん進んでいくと、現状で既に性教育なのか貞操観念の破壊なのか、何だかよくわからなくなってきます。
 参考:ノベルティグッズ・オリジナルグッズ・オリジナルコンドーム製造・販売のジョニーハット

こうした現状について性教育否定派は、これら理念には部分的には同意するものの、効果には疑問、ないしはむしろ逆効果と指摘します。ただし、だからと言って建設的な代替案を示している訳でもないので、議論は今のところ平行線を辿っています。


皆さんは性教育について、足らないと感じますか?
それとも要らないと感じますか?



【性とは愛の延長線?】

そう言えば過去記事で、「日本の教育は効果測定をしないのが普通」というようなことを書きました。もちろん、性教育を行う効果もその弊害も同様に、実際にはよくわからないので、先の議論も平行線を辿っているというよりは、論理的な議論にすら至らないのが実際のようです。
 参考:過去記事「教師の本当の怠慢」

そこで私自身、自分なりにこの問題を紐解く鍵をずっと探しているのですが、ひょっとするとこれじゃないかなということを、最近よく考えています。それは、「性と愛を分けて考える」という観点です。

伝統的な性は、愛の延長上に存在します。「愛するが故に結ばれる」ってやつです。でも、それを誰かに教えようとすると、とても難しいことに気付きます。

実は性行為の方法を教えるのは、理屈の上ではそれほど難しくありません。子供の年齢や成長に見合った範囲の内容を、見合った方法で教えれば良いだけなので、例えば大学生に教えるならばマニュアルを一冊与えて終わりです。
しかし一方で、愛を教えるのは容易ではありません。仮に、親に愛されず、誰かを愛したり愛された経験の無い子供が、宗教的教義などの裏付けもなく、どうやって愛を学ぶのでしょうか。もし教えることが不可能ならば、愛と性を一緒にして教えることそのものが不可能ということになりますよね。

人に愛を教える方法とは何ですか?
それは「愛する」以外のことですか?
学校教育でそれは可能ですか?



若い頃は、当時の性教育によらず、性が愛の延長線であると全く疑いませんでした。女性は大切に大切に扱わなきゃって思うのは当然ですが、それ以上に神聖な物として見ているるところがあったんです。

しかし、この歳になってみると正直、そういう考えはちょっと潔癖過ぎるのかも知れないと感じることもあります。もちろん、悪い意味でです。
なぜならば、そんな建前だけの価値観を受け入れてしまえば、性教育が行きつく結論は恐らく、「エロくないアダルトビデオでも作って性教育しよう」とか、とてもおかしなものです。でも、そんなものは誰も視たがらない訳ですので、私には問題の先送りにしか思えません。

しかし他方、浮気も風俗業も同性愛も事実婚も離婚も代理母出産も不妊治療も全て、実はこの性と愛が密接に関わるが故に生じる問題だと、最近考えるようになりました。だからちょっとくらい、分けて整理するのも良いんじゃないかと。

私は浄土真宗じゃありませんが、親鸞聖人だったらきっと同じことを言うんじゃなかろうか、と思ったりもします。ちなみに親鸞聖人は、禁欲的な生活からしか悟りは開けないとした旧来教義を覆し、世俗的な一般の民衆でも極楽に行けると説き、妻帯した方です。
 参考:1からわかる親鸞聖人「親鸞聖人は、なぜ公然と結婚されたのですか?」


日本は、良くも悪くも性をタブー視します。
でも、天皇陛下とか親鸞聖人に手伝ってもらえば、ひょっとすると少しくらい光が差すかも知れません。て、オチもなく失礼極まりありませんが、続きはまた明日。

今回も最後まで読んで下さりありがとうございました。


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