アクセスバーズは
「原因も症状の仕組みも問題視しない、理解も必要としない。そして気づいたら、変わっている」という特徴がある。
「理解」しなければ変わらない、「理解」しなければ信頼できないと、「理解する」ことを条件に掲げていると「理解できないことは受け取れない」という限界にぶち当たる。
理論的理解をバイパスすることを選ぶと、どれだけできることがたくさんあり、可能性が広がるのだろう。バーズはまさにそれだ。
理論的理解に拘ると、自分から檻に入って、鍵を手が届かないところに投げてしまうようなものだ。
そして自ら選んで入った檻の中で「正しい」ことを喚き散らしている。
バーズを受け取ることを習慣にすると、思考と感情の支配から自由になり、抜群に頭の働きが柔軟に軽やかになる。
鉄格子をつかんで喚くより、天井を見上げて
「な~んだ天井が開いてるじゃないか!」と気づいてひょいと檻の外に出ていく。
鍵すら必要としない。
ただ「出られる」のだと気づくだけ。
正しくあろうとする連中は、檻の外へ出るには理解しなければならないと思い込んでいる。開いた天井に気づかない、目の前に並ぶ鉄格子に目が釘付けだ。
「おい!お前!なんで檻の外へ出ているんだ!全く理解していないのに!」と言われても、
「そうだね、理解していないよ、そんなの必要ないから。じゃ、行くねバイバイ!」と、
檻を後に、好きに歩いて行ってしまうのだ。
檻の中にいる連中からしたら、そんな行動は驚異的に映る。
「あいつはまだ親子問題も解決していないし、仕事や金の問題もあるのに、問題についてまるで解ってない!」と怒鳴っているけれど。
檻の外に出たバーズ実践者は、
「いわゆる「問題」と言うものがそこにあろうと、僕がハッピーでいることとなんも関係ないって知っているから!」と口笛を吹きだす。
そして
「さあ、これからどんな冒険を始めよう、なんでも可能だとしたら?」と問いかけて
選び続けるのだ。
バーズ実践者は、悩まないわけでも聖人のように清らかに達観するものでもない。
悩み、つまづき、嘆き、苦しむこともある、ただそこにとどまる時間が圧倒的に短くなる。
ドラマの中で窒息し、ドラマに飼い慣らされることはない。
「じゃ、次行くね!」と軽やかに次のことを選ぶ。
これもまた「理解」が必要不可欠な連中からしたら、異様に能天気に映るかもしれない。
悩み苦しみが自己成長を促すという神話を捨て、ただ、終わらない悲劇に関わる、不毛な頭の使い方をしないだけ。
頭の使い方が圧倒的に軽やかで、回転が速い。
共感しなくても、相容れなくても、そこに「在る」物事と安らぎ喜び豊かさと共にいることを選び続けられるのだ。
『異様に能天気に映るかもしれない』にウケる♡
わたしも周りからは異様に能天気に映ってるんだろうな~~~~~(笑)
でもその軽やかさに惹かれて、来てくれる人がいる
「千尋ちゃんがどんどん変わるから会いに来た」
「千尋ちゃん、前に会ったときとぜんぜん違う」
「ブログを読んでいて、どんな方なのかお会いしてみたくて!」
と、よく言われます
常に思い悩んできたから、それをやめただけなんだけど
やめられたのはアクセスバーズと、アクセスバーズ講座で教わったツールでした^^
まぁ、あんまり難しいことは考えずに
自分がいいな~、好きだな~、こうなりたいな~、って思う人に会いに行くと良いですよ💕
同じように悩んでる人のそばにいても、あなたが思っている問題は解決しないってこと
だってそこに鍵は無いんだもん
残念だけど、それは事実♡ ご愁傷さま♡笑
問題を解決しようとしているうちに人生終わっちゃうよ
天井開いてるよ👍
ねー💖
すみちひろ🌈🕊✨
去年シェアした記事はこちら