チャビからルイス・アラゴネスへの追悼文を翻訳してみた | 日本で活動中のサッカー監督のブログ

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バルセロナで修行してきましたが、2017年より日本で活動しております。

バルサのチャビ・エルナンデスがスペイ
ンの一般紙であるEl Paisにルイス・アラ
ゴネスへの追悼文を寄せています。↓

http://deportes.elpais.com/deportes/2014/02/01/actualidad/1391284340_205577.html

題名が
「監督、私たちは全くもって日本人ではなかった」
という興味深いタイトルです。

なぜ日本人ではなかったのかは
明確には書いていないので読者の
想像に任せられているのですが
内容としてはなかなかおもしろいです。

今回は長文ではありますがこれを翻訳して
ご紹介しようと思います。ちなみに長年
こちらに住んでいながら僕は未だに
スペイン語にそれほどの自信がないので
今回の翻訳はβ版ととらえていただけれ
ばと。
誤りやよい表現などありましたら
ご指摘いただけるとありがたいです。
また表現について文全体のイメージを
壊さないように適度に意訳と改行を
行っています。

■ 監督、私たちは全くもって日本人ではなかった

「あなたは日本人ではない、
 私のいってることがわかるかね?」

その夜、彼は私にそういった。今、私は
ホテルの一室で彼をみているところで、
その別れ惜しんでいる。なぜなら私は
ルイス・アラゴネスのことがとても好き
だったし、ルイスと多くのことを語り
合ってきたからだ。彼が元気ではない
とは知っていたものの、こんな重大な
ことになっていてこんなにも早く、
あっという間に逝ってしまうとは
これっぽっちも思っていなかった。
彼に様子を尋ねたたときには
いつもの調子で

「私は大丈夫、私は大丈夫だ」

といっていたのに・・・。彼とは折を
みて話すようにしていた。なぜなら
彼と知り合って以来、私にとって
それは絶対事項だったからだ。
おそらく今までサッカーのことについて
最も長い時間話し合った監督は
彼だろう。部屋にあがって何時間も
話した。

「次のことがキーポイントになるんだ
 シャビ、つまり我々がどうプレーし
 たいかを知るってことなんだ」

というサッカースタイルのことについて
何度か話した。ピッチ上で良い選手ら
が団結する大事さについてはいつも。
誰に対してもどんなチームに対しても
あるいはどんなに相手が自分たちより
も走ってきたとしても恐れてはいけない。
そういう重要性についてもいつも話した。

「あなたと私はわかってることだけど
 ボールは相手より走れる。だから
 相手よりもボールをつなぐんだ。」

と私にいったように。
チーム内での会話、チームが向かう
道筋に関する会談など、ルイスとは
多くの素晴らしい思い出がある。
食堂での振る舞いなんかも憶えて
いる。なぜなら彼はよく忘れ物を
してたから。いずれにせよその記憶の
中で彼はいつも正しかった、いつも。

ルイスがこちらを向いて、練習中の
私を見て近づき、言ってきたことがある。

「今、あなたはしかめっ面をしてる。
 練習に来た時はそんな顔をしてな
 かった。私はそんなしかめっ面なん
 か見たくない!」

ルイスはけっして人を欺くようなことは
しなかった。

「今週は罰としてお前をプレーさせない」

「疲れてるのか、どうなんだ?」

「今日の君は本当にファンタスティック
 だった、今週で完璧に仕上げるんだ」

「あなたは私が指しゃぶりのガキか
 どあほうとでも思ってるのかね?」

愛すべきルイスは本当にいつもこんな
感じだった。

以前、私が初めて代表に招集されたとき
のこんな話がある。私は第一段階の
代表招集に呼ばれず、それで9月に
到着して待たされたことがあった。
そのとき彼が私に声をかけた。

「あなたは何を考えてた?くそったれ
 のジジイではこのチームに何ももた
 らすことなんかできないとでも
 思ってたんじゃないか?」

私は少し面食らいながらもルイスに
答えた。

「いえいえ、そんなことはこれっぽっち
 も思ったことないですよ、監督!」

でもルイスは

「いやいやいや、お前は私を煙に
 撒こうとしている。さぁ、気合を入
 れて話し合おうじゃないか!」

その日は彼と何時間も話すことに
なった。

ルイスは私のキャリア、そして
スペイン代表の歴史にとって基礎と
なる存在だった。彼なくしてはあらゆる
ことが今日のようには進まなかった
だろうし何もなしえなかっただろう。
彼によって全ては始まったといえる。
なぜならイニエスタ、カソルラ、セスク
シルバ、ビジャなど小柄な選手らと
団結でき、そしてルイスとともに革命を
起こせたから。球際の激しさを改善し、
良いサッカーをして勝てることを
世界に見せつけたから。もし欧州
選手権で勝つことができなかったら
ワールドカップで勝つこともなかった
だろう。もちろんそういう意味で
もう一人の天才であるデル・ボスケ
の就任も重要だったけど。

ルイスは多くの批判を受けたが、
進むべき道を示した人であり、
スペイン代表が現在持っている
スタイルを確立した人だった。
それは常に皆が一致するところ
だと思う。ルイスはそれまでに
あったものを観察して小柄な選手ら
を配置した。

「うまい選手らを配置しようと思う
 なぜなら欧州選手権で優勝するのに
 十分うまいからだ」

そして私たちは優勝した。賢く、そしてとても勇敢に。


個人的なことだが、私のプライドが
ズタズタになったときに、ルイスが
私にとって大切な存在であることを
気づかせてくれた。バルサでも
やってなかったのに私に(ピッチ内で)
スペイン代表の指揮をとらせた。

「ここではあなたが指揮をとりなさい」
「私(ルイス・アラゴネス)を批判す
 るぐらいにね」

私はピッチ上でその信頼に応える
ことを決心した。欧州選手権でMVPと
なれたのも彼のおかげだと思っている。
彼はいつもそのことについて否定は
するけれども。他にも些細ではあるが
忘れられないこともある。(W杯の)
ドイツでは勝ち進めなかったけど、
それでも私は期待していたこと。
彼がバルセロナに来て私の膝を
心配してくれたこと。フィジカルコーチの
パラデスとともに私がラ・モラ
(スペインにある山)にきてリハビリを
していたとき、ルイスは3日に2回は
電話をかけてきてこういうようなことを
いってきた。

「がんばれ!シャビ、私が待って
 るんだから眠ってる暇はないぞ」

彼の頭の辞書にあるサッカーの言葉は
ルイスの写真とともに置いておかなくて
はと思ってる。

ルイスは男前のサッカー人であり、
人間ととして優れたサッカー人だった。

監督、それではまたいつか会う日まで。
全てにありがとう。

そして私だけでなくあなたもけっして
日本人ではなかったということを
どうかわかってもらえますように。