ボチボチと手術の記録なるものを書いていきたいと思いますが、
腰痛に関係ないと思う方は構わずスルーしてくださいね。
2015年(平成27年)4月1日 鹿児島市南風病院に入院の日。
暗雲垂れ込めていました。ちょっぴり不安が見え隠れします。
通された病室(一応個室)からの風景。
右側の山が西郷隆盛終焉の地城山につながる山です。
左奥に旧鶴丸城跡(現歴史資料館、黎明館)
その横に木曽川治水工事で犠牲となった藩士を弔う薩摩義士碑。
病院の裏側に西郷達の眠る南洲墓地があります。
手術前日に造影剤を打ちX線、CT撮影です。
検査着を後ろ前に着用し、点滴の瓶をぶら下げての検査室に
這入って行きますと何人もの医者(のような人)に囲まれました。
4月ですからね。新人が研修に来てるんでした。
そのうちの一人に丸まった腰に注射針をさされましたが、1回で
入りません。麻酔をもう一回打ち、ようやく撮影ができる状態に
なりましたが、又々私を悩ませることになりました。「幸先が悪い!」
でも、若い人も初めが無いと熟練者にはなれないからなあと自分を
納得させようと努めました。
検査終了後の昼食です。
造影剤検査の結果は脊椎の4番と5番の間が全く造影剤が
届いてなく遮断された状態でした。詰まってるってことです。
1月前に撮影したMRIでもその症状は分かっていました。
造影剤を打ったら検査薬が頭の方に行かない様にとベッドを
30度上に傾けて夕方まで安静です。
午後6時過ぎ夕食。
この間入れ代わり立ち代わり看護師、薬剤師が説明に来ます。
そして麻酔医の説明・・・
「どのように細心の注意を払っても、麻酔には生命に関わるよう
な重篤な偶発症が生じる可能性があります。」 ・・・・・
主治医(手術担当医)の説明・・・
「肺血栓塞栓症(エコノミー症候群)予防処置」をします。
「輸血の必要性と危険性」
「特定生物由来製剤血液製剤(血漿分画製剤)使用」等々
様々な危険性の説明の後、同意書に署名します。
「今説明したことは1万人に一人とか、10万人に一人とかのこと
です。」と言われてもなあ。
その一人になったら100パーセントだもんなあ。
その晩はなかなか寝付けませんでした。
以下追加して闘病記を書きたいと思います。
今日はここまで。
経緯
約10年ほど前
腰の周りが痛くなり整形クリニックに通いました。腰を温めて
寝て足を持ち上げる運動とか、ウォーターベッドで腰の周りの
筋肉の柔軟性の向上とかやりました。
電気パルスによる整体、整骨院に通いました。
漢方医に診てもらいました。高い薬の漢方も飲みました。
腰に良いと言われる温泉に通いました。
気合で腰の痛さが治せるという祈祷師に診てもらいました。
神社参りをし神様に頼んだことは数知れず。
スポーツジムに通いました。
泳ぎがいいと言われるとプールでの泳ぎと足に負担のかか
らない水中歩行を繰り返しました。
整形でレントゲンを撮り、骨が棘になってるとリハビリを受け
ました。
4年前MRI検査で
初めて「脊柱管狭窄症」の病名が付きました。薬を処方され
しばらく飲みました。筋弛緩剤と血液サラサラの薬。最終的に
は手術が必要と言われました。
この頃はウォーキング途中に足の痛みとしびれが出るように
なりました。
足の痺れが出だしてからは好きな登山(山歩き)が出来なく
なりました。山歩きをしたいために山の方に引っ越してきたの
にそれが出来なくなるとは・・暗澹たる思いに打ちひしがれま
した。夢も希望もどこかへ飛び去った気分でした。
3年前
いよいよ手術に踏み切りました。霧島の整形医から内視
鏡の手術ができる鹿児島市内の病院へ紹介状をもらいま
した。
紹介状を持って鹿児島市に行く前の晩。友達から名古屋
市で日帰り手術を受けた人を紹介されました。
あまり期待はしてませんでしたが、電話すると「手術をする
前に名古屋での手術を受けることを強く勧められました。
日帰りだから腰にあまり負担はかからないし、それで良く
なったら儲けもんだと言われました。
2012.9.20(手術の日)
名古屋市のクリニックの先生と電話連絡やMRIの画像の送
付をした後、手術オーケーということで名古屋市に向かいまし
た。前泊、後泊のホテルを駅前に予約して当日クリニックへ。
PLDDという手術はものの10分ほどの手術です。背中から
針を入れ内部を焼き空洞を作ります。その空洞がしぼむと同
時に脊椎の通りを悪くしているヘルニアまで空洞に閉じ込め
ると言う手術です。
人によると手術を受けて1時間後には痛みも無くなり持って
来た杖は使わずに帰ったというエピソードもあるそうです。
名古屋のクリニックでの手術は
手術直後の私はそれほどの効果は見られませんでしたが、痛み
が減少し、1か月半後大浪の池登山が出来ました。もう2度と登山は
出来ないものだと諦めていましたがこの山登りが出来た事は嬉しか
ったですね。以後霧島、久住の山に挑戦できました。
しばらくは痛みも出なかったんですが、1年位前からしびれが出
だしました。歩いていると痺れが出始め、休むとまた歩けます。
いわゆる間歇跛行(かんけつはこう)という狭窄症特有の症状で
す。その持続時間が段々短くなり、ほんの数分歩いただけで痺れで
歩行が困難になる有様でした。でも不思議なことに前のめりで歩く
登山は痺れが出ないんです。結局それも最近ではどうしても痺れが
出るようになりました。
手術
下の写真は健康な人の脊椎を輪切りにして
見たものです。脊柱管に白い隙間があります。
脊柱管が詰まっていて私の場合白い空間が全く無くなっていました。
赤い部分の切除になります。
手術はものの数秒でした。
手術室に入り、手術台に乗り酸素マスクを着けて
数秒して意識が無くなり、気が付いたら手術は終わってました。
1晩ICU(集中治療室)に入りました。途中寝返りがしたくて
ナースコールを3回ほど押しました。
抱き枕の大きい物を抱いて寝返りをさせてくれました。
エコノミー症候群を防ぐため足には弾力ソックスをはき
四六時中自動ポンプで足をマッサージします。
翌日手術して取り除いたものを見せてもらいました。
右が骨、左が靭帯だそうです。
つづく
手術を決意した理由
車いす生活になるんじゃないかと不安で腰の手術を回避してい
たんですが、手術に至った理由とは?
1、血液検査の結果HbAⅠC(糖尿病の数値)が上がってきた。
糖尿病になると出血が止まらなくなったりして手術が困難に
なると言われている。
2、糖尿病他の生活習慣病を治そうと思っても痺れた状態では
運動ができない。
3、これからの生活でのQOLを考えた時、腰の痛み痺れが無く
ならない以上自分らしい生活を送り、人生に幸福を見出して
生活することが難しいと感じたこと。
テレビの「健康カプセル 元気の時間」で三宅祐司が同病で早く
手術して軽快になったと話していたことや歌丸の快癒しにくい事情を
見たことも手術を決意した理由ではあったんですが・・・
鹿児島の病院に行ったとき、「ブロック注射はしましたか?これも
効果のある人もいるんですが・・・」と医者に言われましたが、結局手
術に至ったという話を何回も聞かされていたし、もう躊躇することは
なかったですね。
術 後
1日目 CIU室から病室へ戻りました。
抗生剤を入れた点滴がこの日で終わりました。
やわらかい粥の食事が出ました。
2日目 手術部位の管が抜かれました。手術をした箇所から
の出血を外に出していました。(主治医が執行)
看護師さん2人から体を拭いてもらいました。仰向けに
なったままです。若干の恥ずかしさを感じましたけど。
3日目 足につけていた血栓予防のストッキングが外れました。
尿の管が抜かれました。看護師さんがやってきて「管を
抜きますねー。」 微妙な所だし少し痛いかなあと不安。
「ハイ息をスーッと吐いて・・・。」 「ハイ抜けました。」
心配してた痛みは全然ありませんでした。
大便をしたい気持ちはありましたが、寝たままじゃ出来
ないと思い明日まで我慢することにしました。
4日目 車いすで室外のトイレに連れて行ってもらい大小便を
することが出来ました。部屋のトイレは段差があり危な
いと言うことでした。
シャワー用コルセットを付けてシャワーが出来ました。
理学療法室でリハビリが始まりました。
7日目 院長回診
抜糸し消毒
退院が明日に決まる
8日目 10:00 退院
入院中
普通より早い退院ではありましたが、入院中はこんなこと
がありました。
入院中の部屋です。テレビ、薬、水飲み、必要なものは手が届くと
ころに置かれていました。
手術2日後は暑くて暑くて 26.5度を。その翌日は一層暑く
なりました(5日)。このCASIOの表示は27.5度ですが27.6度
まで上がりました。暑さに慣れてない山奥の人間には耐えられない
位でしたね。エアコンのメンテがまだ済んでないからと電気は入れて
ないでした。この晩は全国的に暑いと言ってました。
それにしても暑かったなあ~~。
花見時期のこの頃花見のできない入院患者用として、
こんな弁当も出ました。汁も美味しいでした。
夜のとばりも降りて・・・・・
部屋の窓から下の方に見えるのは・・・・
居酒屋さん・・・
行きたかったですねー
昼間は院内の喫茶室にコーヒーを飲みに通いました。
と言っても3日間だけです。起き上れるようになってから退院まで
5日間あったんでしたっけ?
入院着で通いましたけど、コーヒータイムは ホッとした時が
流れていましたよ~。
いよいよ退院の日。カミさんの運転で我が家へ。
途中加治木町(姶良市)で龍門の滝が見えてました。
テントが張ってあるけど何かお祝い事があったんでしょうか?