最近の虎ちゃんは、一日で本を一冊読めたことにとても感動していた。

私には、それが何を意味するのか、なぜそんなに嬉しいのかをはかり知る由もなかった。

 

本来、本好きの虎ちゃんにとって、高次脳機能障害を発症して以来、本を読むことは苦手なことの一つになっていた。

脳出血後は、新聞を読んでいても次にどの段落へ読み進めばよいのか、わからない。

本を読むにも、文字をひとつ一つ確認しながらだと、書いてある内容が学習できずに、また最初から読み返すことになり、途中であきらめてしまうこともあったようだ。

 

私は、ある方のブログでみつけた話を読んで、虎ちゃんのことが重なり、胸が熱くなった。

その少年は脳内出血で倒れ一命をとりとめたのだが、まるで生まれたての赤ちゃんのようになってしまったと、母親は言う。

家族で24時間寄り添いながら、リハビリをする中で、あれほどまでに漫画好きだった少年が一冊も手に取ることがない様子に疑問を感じていたある日、「自分の息子は字が読めない」ことを知る。その時の家族の衝撃は大きく、同時に本人にとって、それがどんなに大きな戸惑いと不安の渦中にあったかを知る。

 

私にとって日頃、本を一冊読みこなすことは、乗り物での移動時間や、ちょっとした空き時間をみつけて読むことができるほど容易い。

でも、虎ちゃんにとって、座っている時さえも意識しなければならない身体のバランス、また雑音が入りやすくなった耳の感覚、何度もレンズ調整をした眼、左上下肢麻痺によって感覚が薄くなった左手など…おそらく当事者にしかわからないような言いようのない感覚が、たった一冊読むだけでも相当なエネルギーを必要とする。

あの日、帰宅した私に「本一冊読み切った」と報告してくれた虎ちゃん。

夕食の準備を急いでいた私は、テーブルの脇を通り過ぎながら何気に返事をした。

あぁ、あの時話をちゃんと聞いて一緒に共感できていたら…。

 

私にとって知らないことだらけの高次脳機能障害だけど、共に暮らす中で得る些細な事柄にも、もっとアンテナを立ててキャッチしようと思う。

虎ちゃんのことをもっと理解できるチャンスなのだから。

 

そういえば誰かが「チャンスの神様には前髪しかない!」って。