下鴨のギャラリーで写真家さんと話をしました。
その話の中で、30年写真家をされてきたこの方に、
「作家(表現者)として生きることとはどういうことですか?」

とたずねました。それについて話をしてくださいましたが、その中で

「要はどこに向かうかということだと思う。」

とおっしゃいました。そして

「それは 自分が安心する場所を探すということかもしれない」

と。一作家として生きるということは、自分の信念のもとに生きること、、、ともいえるのでしょうが、実際のところは、自分にあったものを残し、自分に合わない物を切り捨てるだけで成立するようなものでもなく、さまざまな葛藤があり覚悟や決断が必要となり、その上で自分が自分としてモノを造りあげていける場所を育てていく道を歩んでいかなければならないのだと。

この写真家さんの私が感じるプラスの面もマイナスの面も近くで観てきました。必ずしもこの方のような生き方だけが作家の生き方でもないとも思います。それにプラスとマイナスは背中合わせなのでなお更です。しかし、その言葉の説得力は前の記事にも書いた出し切った人の言葉の重みなのだと思います。

「安心する場所」が、ただ緊張感が欠如した成長も変化もない場所というわけでもありません。しかし、「自分が安心する場所」そこに向かうということ。その歩み。

必ず今が未来に繋がっているということを教えてくれたのもこの写真家さんでした。

私にとって「安心する場所」とは、どんな場所なのか?イメージはあります。でも今に注力して進むしか確かめる術はないのも事実。






PS:
そうですね。そう思います。

あたなの庭について、あなたにとって安心できる場所であること。あなたを慕い集まってきてくれた人たちが安心できる場所であることが大事なんだと思います。それが、あなたの庭を守るおおらかで優しい基準なんだと思います。

子供さんの喜ぶ様子や元気を受け取って喜ぶ人たちの様子を見聞きできるそんな、あたたかな場所になりつつあると感じます。

そして、もっとも大切なことは、毎日変化し続けるあなたが、伸びやかにあなたの呼吸で前に進むことだと思います。



そんな中で、わたしは自分自身のあり方や未来に向けて今すべきことも顧みる必要があります。いろいろ考え、やはり、あなたの庭を訪れ手紙を置くことを控えるのがいいのだと思います。(状況しだいですが。)

しかし、見守り続ける約束はかわりません。背中を押し続けます。そして、やはり赤裸々にとはいきませんし、もっと控えめになるかもしれませんし、変化していくかもしれませんが、わたしの庭も有り続けます。なぜなら、わたしの庭には、既にあなたの一部も入っているのです。

あなたは、わたしがいつしか仕舞いこんでいた光を再び造りだしてくれました。その光と目に見えない今までの積み重ねが、奇跡的に出来上がったわたしとあなたを結ぶ絆だと思います。今と未来を生きる絆、カタチはどうであれ、絆は有り続けるのだと思います。

だからこそ、
今を生きる私たちも決断し前に進みましょう。
お互いに今を楽しみながら。



京都である存在に言われました。

「 後にあのもの(あなた)に話聞かせるつもりで、自分の今を全力で味わい、楽しみ、今に注力し生きなさい。 」

と。

# 決断に躊躇し大きな心の負担になるなら、些細なことはしばらく気にしないのもありです。そのうち落ち着くような気がします。優先するのはあなたの心身の健康です。


『 銀河鉄道999 』


ひとは誰でも しあわせ 捜す
旅人のようなもの

希望の星に めぐり逢うまで
歩きつづけるだろう

きっといつかは 君と出会うさ
青い小鳥に