いつか
先日 人類の歴史は自由獲得の歴史だ、、、とおっしゃいましたが、、人類はその自由、、自由意思を証明できてないという話も聴きます。神経生理学とか力学において、、でも私たちは自由意思を感じる瞬間がある。。。そのへんは?自由意思の証明・構築はAIでも大きなテーマになるのだろうな、、、と。

???
真に自由となるとき、それはまさにこの宇宙と差がないときだ。

いつか
でも、人間も宇宙そのものではないの?

???
そうだな、こう想像してみればいい、深海にすむ深海魚はなぜ水圧で潰されないのか?それは、深海魚の体内にほとんど空気がないからだ。要は深海魚の体内と外の海とに圧力の差がないということだ。これは、宇宙と差がないというところと同じ。その時魚は魚でありながら海自体でもある。

しかし、ながら深海魚は魚として閉じた個の意思を有する。この個の意志のあり方が海との差だ。

いつか
ということは、真なる自由を得る時は、個がなくなる時?

???
実はそうともいえない。はっきりとした答えをこの宇宙は、まだだしていない。個を保ちながら宇宙との浸透圧を同じくすることができるのか?それは今まさに進行中の話だ。その鍵をにぎるのがこの宇宙のプログラムの二重性だ。

いつか
ふーん、、、
では、宇宙との浸透圧が異なり、宇宙と個の意思が分かれている今、私たちが感じる自由意思とは何?プログラム?

???
シンプルにこうだ。宇宙というシミュレートされたプログラムがあり、その中にシミュレートされた個のプログラムがあるという二重性だ。そしておまえの感じるという自由意思は個のプログラムによるものだ。

そもそもに、個のプログラムにおける宇宙のプログラムの探求がある。おまえたちは、生きている生活の中でさまざまな道理と向き合っている。仕事で金を扱うものは金の道理、医療に携わるものは医療の道理、、、といった具合だ。

その道理に向き合う時、人間はこの世界・宇宙におけるイニシアチブはそれらの道理の方にあると思い込む。。。。それは違う。

それぞれが、それぞれの生活や活動の中でそれぞれにこの宇宙の原理を見つけ出すことのイニシアチブはお前たち個々にある。

それぞれの宇宙の原理を見つければいい。まさにその原理探求へのイニシアチブこそお前たちが感じる自由意思なのだ。

個のプログラムは、まさに自由に宇宙のプログラムと同化しながらその内部を動き回る。先日来いっている流れの中にいるようなものだ、その流れの中で個のプログラムが渦を作りだし、個の自由意思を発揮する。

個々の宇宙原理探求がひとつに結実するときにある答えがでる。



『 nowisee bluemoon 』
藍であり哀であり愛をまとった空。そして今日は新月。

♪ 沈めて
  眠らせた事実を
  解かしたい
 
  歪んで
  麻痺した思考を
  醒ましたい

  ・・・・

  藍色の月は
  曖昧な
  光をまとい
  何も教えてはくれない 

  ・・・・

  共鳴
  どこにあるの?
  曖昧のときは
  遠い果て・・・   ♪


建築家 ルイス・カーンの言葉を久しぶりに思い出しました。

「この宇宙は現象を発露させることでしか、表現方法を持っていません。」

「全ての人が同等に才能があるのではありません。才能は至るところに流布しています。才能のない人はいません。才能がないなどということはありえないことです。彼らはみな才能をもっています。問題はどうすればあなた方のかけがいのなさが開花できるかということです。なぜなら自分自身でないものを学ぶことはできないから。。。」

そして、私はそれに重ねて思います。

人間の骨も筋肉も血液も数ヶ月ですっかり入れ替わるように、元来、何も変わらない自分らしさ などない。。。だから、自分らしさを探し、取り戻したりする必要すらない、ただ、今創り出し、出現させれば、それが自分らしさではないか?

そして、それが宇宙原理に近づく一歩でもある。

<memo>
・「めぐり哀 宇宙(そら)」 とはよく言ったものです。




ps:
ごめんなさいね、力足らなかったですね。でも大丈夫!ゆっくりゆっくり休んで下さいね。いつも近くにいますよ。