ノーベル医学生理学賞、ノーベル物理学賞、受賞おめでとうございます。日本人として嬉しく思います。そして、世界中の人たちの自由獲得の礎のひとつを築いていただき、希望を与えていただいていることに感謝します。


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日曜日には 建築家オスカー・二―マイヤー展を見に行きました。彼はブラジルの建築家で、1956年からつくられた現在のブラジルの首都ブラジリアの計画に携わり計画内の主要な建築の設計をした人です。


ブラジリアは近代都市計画として実現された唯一の都市として世界遺産にもなっています。

彼はモダン建築という一時代を作り上げた建築家のひとりとされていますが、彼の求めた形態は、いわゆる機能的で直線的なモダン建築とは一線を引き、甘美な曲線でした。

ブラジリアはひとつの理想のもとに計画され4年という短期間で完成した都市です。その理想とは、貧しいものも富める者も隣り合って住み、ともに豊かになっていくというものでした。しかし、結果としては、富裕層が都市を埋めつくし、軍部政権時には軍部が都市を占拠しました。現在では人口200万人の都市ですが、大きなスラム街もあり理想とした姿はそこにはないのが事実です。

オスカーは生涯、建築設計の仕事はつづけましたが、フランスに亡命したりと、精神的苦悩を抱えてその人生を終えました。


展示はとても面白く、そこにある建築やオスカー・ニーマイヤーの言葉の数々は素晴らしく、興味深かったです。


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古典であろうが、宗教的であろうが、モダンやポストモダンであろうが、人間の歴史は精神的自由の獲得の歴史だと思っています。そして人間は解体と再構築を繰り返しながら少しづつ自由を手にいれてきました。そして、今その自由の為のかなり核心的部分に近づいてきている現在なのでしょう。


展示を観終わり、歩きながらふと思いました。しかし、、、霊能力によるものでも、チャンリングでも、それに関わる、私も含めおそらく全ての人が漏れなく、、、さらなる自由になるずなのに、知れば知るほど人間は自由さを失っているんじゃないか?

もちろん、すぐさまに食事をしなくてよくなるとか、お金を必要としなくなる、、、とかという事ではなく、物理的制約はまだしばらく続くとして、それはそれとして受け入れつつ、精神は自由度を増していくはずなのではないか?

結局、次元が違うだけで、見えるモノ聴こえるモノしか信じられていないんじゃないのか?と思いました。だから、「どこそこの国は、、、」とか言い続けてみたり、「この宇宙はヒエラルキーが必要なのだ、、、」といってみたり、、、

本当にそうなのだろうか?

この混沌とした宇宙は混沌としているからこそ成立している部分はあるはずで、いったい何をどうすれば幸せというのか?、、、、くしくも理想のもと計画され、そしてその理想が敗れ去った都市ブラジリアの姿と重ねながらそんな疑問が湧いてきました。



で、降りてきた誰かの言葉は、

???
「 多くを知るものには、責任がある。それは絶望しないことだ。絶望することなく想像力を持ち続けることだ。それは義務ではない、責任だ。 」

と。つづいて、

???
「 責任は自由を限定するものではない。それをわかっていない人間がほとんどだ。人間の歴史は自由獲得の歴史であることは間違いない。では、自由とは何か?想像であり創造だ。 」

「 人間は宇宙の種だ。種はあらゆる情報を蓄積もしているが、同時に想像・創造するものでもある。過去・未来の経験の蓄積だけの産物ではないということだ。 」

と。


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高いところから俯瞰的に大きく計画された都市がブラジリアです。
そして、そのブラジリアのアンチテーゼとして、ヒューマンスケール、小さなプロジェクトの積みかさねで街をつくリ上げ、成功したのが同じくブラジルにあるクリティーバ市です。

この結果にたいする感覚は、どこか遠くにいる上と下から積み上げる人間を思い出させます。先日コノハナサクヤヒメに言ったのもそういう気持ちもあるのです。上と下が両極であるならば、その力は対等足り得るというのが私の考えで、ヒエラルキーがあるにしてもそれは、トップダウンではないだろうと。。。

と書いたはなから、、



???
「 笑、、いいぞ、そのイキでやってこい、、、」


と。。。


『 Perfume「スパイス」 』
再びこの曲です。

♪ 耳をすまして、目をこらせば、ほら、、
  扉が開けば、、、全てがみえるわ
  知らない方がいいのかもね、、
  でも 思いがけないワクワクがほしい
  好奇心のスパイスはね めぐりめぐり 
  何か起こすの、、、 ♪
  







PS;
知らない人とコミュニケーションをとるということは、少し勇気がいることかもしれません。でも、あなたの中の好奇心いっぱいのココロはコミュニケ―ションすることが大好きなんですね。

そのココロはとても人懐っこく愛らしく優しさと純粋さに満ちていますね。不器用でも自分の言葉でそのココロを表現する時、相手はちゃんと答えてくれるものなのでしょうし、いい出会いを呼んでくれるのだと思います。

そんなココロを持ち、そのココロを映すきれいな目を持つあなただから、、というところもあるのです。私もそうです、私にいたっては、むしろそうだからなのかもしれません、そして、それはずっと、はじめからなのです。

どうぞ、これからもココロもカラダも健やかに。