シルス
ここで理念の話ですが、あなたは「何が残るのか?」という問いをされていたと思います。まさにその答えもそうです。

いつか
わたしの問いは、あくまで都市景観上の話ですがね。。。

シルス
いいえ、同じです。例えばどんなに大きく立派な建物であってもその建物の存在理由の中心が経済的理由であるならば、経済の変遷にあわせその建物は消えていくでしょう。しかし、その中心が人々にむけた思い、、たとえば豊かさや平和への願望である場合、どんなに時間の経過により古くなったとしても、人の思想が変わらず生き続ける限りその建物は残り続けるでしょう。日本における古い寺社であったり、広島の原爆ドームもそうです。

あなたが、問うていた、新しさを求めながら、何を残し、何を引き継ぐのか?、、、は、それぞれに込められる思いやエネルギーで決まります。思いがモノに命を入れるのです。
命といいますと漠然とされるかもしれません、これは、そもそもにこの宇宙が意識体であることも関係しています。

いつか
ちなみに権力の象徴としての建物は?権力も変遷が激しいでしょ?

シルス
例外もありますが、残るほとんどが、やはり教会、寺社、陵墓であったりします。中には宮殿というのもありますが、祈りの場であったり、弔いの場であったり、何らかの思いが集まり変化した場合です。中には思いがポジティブではない場合もあります。この場合もあり得ますが、その建造物はネガティブなエネルギーを宿すことになります。また、宇宙的装置は別です。

実は民主主義は建造物が残る、、という意味では残りにくいです。権力も思いも分散しますし、その思いへの責任所在も明確でなくなるからです。


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後記;

目まぐるしく変わっていく都市の様子をみながら、ふと思ったのです。
都市の記憶とかいいますが、新しいテクノロジーにより更新し続ける中、その都市の記憶は残すべきなのか?そうでもないのか?そもそも個の集積である都市に特定の記憶ってあるのか?

都市だけなく、いろんなものが変わる中、先日のフォルムやデザインの話ではないのですが、いろんなものがシンプルになり、脱個性化が、進化とか洗練とかいうならば、答えが簡単に見えてくる。。。しかし、なぜ自然はこんなに個性豊かなのか?


「感情」はどんな風景をつくりだすのか?というのも実験に入っているのかもしれない、、、、と、その辺は、またにしよっと。。。




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世界のなかでも類まれなユニークな都市だと思う
『 Pizzicato Five - À Tokyo 』