音楽教室の看板に「リトミック」って書いてあったのでなんだろう?て思い調べましたら、ダルクローズ理論というのがでてきました。その説明の中の即興音楽や概念を動作で表現しながら音楽について学ぶ…というような説明があったのですが、なんとなく気になりまして、、、ちょっと同じような内容が続くのでダレちゃってきてるかも。。。そこは個人的な思考の繋がりの追及ということでお許しください。。。

シルス
あくまで音楽教育の一環として位置付けられていますが、イメージと肉体的動作のダイレクトな繋がりには、イメージの源泉への探求があります。その源泉とは個々に異なるものですが、洗練されますと、ダイアグラムに沿った表現になります。

いつか
洗練…の前に…
イメージと肉体的動作。サイ・トゥオンブリでもそのことはありましたが、繋がりのあたり…

シルス
はい、現状のところ、あなた方イメージを肉体的動作に変換するには、ごく一部を例外に鍛錬を必要とします。これが、まさに意識と肉体が分断された結果で、エネルギーの循環が限定されているためです。これは、あなた方の老いや寿命にも深く関係しています。

また意識面でもダメージがあります。人間の肉体はエネルギーを増幅させ循環させます。あなた方の感情のエネルギーが強いのは、その肉体も関係しています。ですが、その循環も限定されているわけです。

あなた方はイメージを肉体的動作に移すために膨大な時間を費やし肉体の鍛錬をする必要があるのですが、それは、演奏家、舞踏家、スポーツ選手といった肉体的な表現に関わる方に限りません。数式の演算や記憶という脳作業も含まれます。また意識と肉体の分断は、その連携を奪っただけでなく、鍛錬により得られた連携に特化してしまうという限定性もつくりました。

いつか
洗練…のところにもどりますが、洗練されるとダイアグラムに沿ってくるとのことですが、それは個々の存在の個性を失っていくことになるのでは?

シルス
全くないとはいえませんが、むしろその個性を生かすためのダイアグラムなのです。ここが、この宇宙はコンセプトではなくダイアグラムを持つという理由の中心です。コンセプトはそれに合わないものを排除します。しかしダイアグラムは関係性を示唆します。関係性や他者や自身の個性を傷つけない限り、その個性は尊重されるのです。

いつか
人間の文化では、デザイン、ファッション、建築 など意図的なノスタルジックな表現はあるにしても装飾が排除されてシンプルでフラットな感じになってきてますが?

シルス
それは、素材を含むテクノロジーの進化、風土特性内での人間活動と機能性、そして権力の変遷が主な理由であり、また新しいものを望む本能とテクノロジーの合体の結果です。ひとついえるならば、あなた方が考える合理性とは異なりますが、全体的合理性というものがダイアグラムにはあります。その辺りは関係があるかもしれません。

いつか
やはり気になるのは、意識と肉体の繋がりの復旧ですが、どうすればいいの?とりあえず切れてるるということはきいてます。何がどうなってかはわからないけど、DNA螺旋の本数が増えるとも聴いてます。でもなんとなく、これっ!というのを聴いてない感じもして、とりあえず私たちは外的刺激を待つしかないのか?

先ほどのダルクローズ理論は意識と肉体の繋がりを意識していると思います。また武道、たとえば合気道や気功やヨガなどもそれをうかがえる。何か効果はあるのか?

といっても昔からたくさんの人がやってきて今があるなら、精神の安定、肉体の健康を保つには効果はあるけど、(中には宇宙とつながる!ってのもあるようですが、そういうのはあまり性分じゃない。。)螺旋の復活には関与しないのかもしれない。どうでしょ?


シルス
アセンションが姿を消すことではないように、今日明日にどうにかなるものはないでしょう。私たちもそこに関しては確信がもてないでいます。世代をこえた作業であることは、前にもお伝えしたところで、そのとうりだと思われます。

いつか
アセンションですね。。あれも結局よくわからん。。というところです。それはともかく、たしかに以前、Nさんにきいても、外科手術のように修復をしても体が拒否をするといってました。何らかの刺激を与えてロングスパンでの世代間の変化を待つしかないのか?でも少し疑問も残ります。後天的遺伝情報って世代を超えるの?

シルス
その答えになっているかはわかりませんが、特殊な才能、平均をはるかに超える才能をもった子供たちが生まれていることが、ひとつにあげられます。この現象界に適応した遺伝子をもったものとして。彼らの遺伝子は世代を超えて引き継がれます。

いつか
そうですね。やはり私たちは引き継ぐことに専念せざる得ないでしょうかね。私の中にずっとある「橋渡し」という感覚。

シルス
確かにそれはあるでしょう。しかし、誰もがそれが可能かといいますとそうでもないのです。才能をもった子供たちはやはり特化された性質があります。旧タイプと新しいタイプをこの世界でつなぎあわせるには、その間につなぐ存在が必要なのです。どちらの言語も理解する存在です。
いわゆる大人は価値観が固まります。それでもよいのですが、橋渡しとしては問題もあるのです。

さまざまな形でその新しい才能と向き合っておられる大人としての方々がいらっしゃいます。その方々もそういった役を請け負っておられるのです。その方々には、いかなるときにも悲観されず目の前の可能性に向き合っていただきたいと思います。時には楽観やポジティブなあきらめも助けとなるでしょう。



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和音にみる波長の重なりだけでなく、リズムの重なり・生命の鼓動の重なりに観る世界。そこからくる広がり。私たちの小さな思いは世界を巡り、世界を創る糸を紡ぐ、その糸はあの螺旋につながっているかもしれないです。おそらく命にはそんなことも秘められている。繰り返されるリズムはドアを開けるノックの音。映画マトリックスのシーンのように目覚めはその音から始まる。「 knock ! knock ! 」

『Perfume「ポリリズム」』



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PS:
イメージはひとり歩きすることがよくあります。これから、そのようなことが様々な面で起きてくるだろうと思います。

ブレない自分を保つのが難しくなる場面もあるかもしれませんし、心を痛めることもあるかもしれません。そんな時は、深く呼吸をしたり、無心に歩いてみるとか、誰かとゆっくりお話しするとか、いいかと思います。

あと、誰かがちゃんと自分のことを見守ってくれているということを思いだしてください。