科学的にみても人間の遺伝子、肉体は常に外部からの刺激に反応しています。そして刺激に対し反応した結果から起こるさらにその先の刺激の可能性も盛り込んで自ら変化します。常に原因が重なり変化しているわけです。ひとつの原因で一つの結果がでるという関係は成立しません。因果の大小というか適応範囲というか、、あるのでしょうが、実のところ、人間はそもそもが因果的なところから外れているのだろうということです。
また、科学の世界に「観察者効果」という言葉があります。
観察するという行為が観察される現象に変化を与えてしまうという現象です。
話はズレますが、有名な美術作品は観られることで成長します。人も人に見られることで磨かれます。観る観られることは気持ちの問題だけでなく物理的に変化を起こすのかもしれません。
常に何者かに、もしくは私たち自身に観察され続ける宇宙、生活、次元、人生は常に変化し揺らいでいる。ゆらぎ変化し続ける宇宙はいわば大いなる謎といえるでしょう。
答えのわかる、、いや、答えのある謎は大いなる謎ではないのです。
そして、その謎自体を知るには謎の中に入るしかないのです。
謎の中に入り謎と一体化し生きることで謎がみえてくる。。。
それが今・宇宙という大いなる謎を捉える術であり、この宇宙を進めていく、、、
と同時に今をつくり、過去をつくり、未来をつくることになるのでしょう。
今この宇宙に生きることに意味があるとすれば、そこなのかもしれないなと思います。
さらにそんな謎について一番知りたがっているのが謎自体である宇宙なのですから、笑ってしまいます。。。なんて滑稽でバカバカしくてロマンチックでワクワクするんだろう。。。
『だから何度も云うように、この宇宙は現象化することでしか捉えることはできぬのじゃ。
その現象化(結果)が原因となって多次元にわたり、鏡写しに影響を与え、、それを繰り返す。。。
これだけの多次元にありながら、低次だといわれる次元の最果てである現象界にみなが躍起になっているのはそこが理由じゃ。』