頑固なおじさんはいつの時代にもいたよ。
頑固であればあるほど
今となっては
なにか懐かしいような
いとおしさを感じたりする。
今日は、そんな話。
父「集落の北外れに
「おおしも」と言う屋号の農家があった。
村の一番端っこに当たることから
名付けられたのだと思う。
この家の主は
「ともうさあー」という
一見偉丈夫な「おじさん」だった。
身の丈は六尺位で背筋がピンと伸び、
ドスの利いた声を発し、
周りに威圧感さえ与える
「怖いおっさん」で通っていた。
頑固具合も人一倍。
たしか、
あれは敗戦後間も無くの頃だったと思う。
「おおしも」家近くを
小川が流れていた。
そこに架けられていた土橋が
大水で流出。
早期の再建が求められていた。
記憶では、
川底に大きな平石を並べて
橋替わりにしていたが、
ちょっと増水すると渡れない。
「困った!」だ。
我が家の持田・持山へ行くのには、
この小川を渡らねばならない。
もちろん集落の人達にも
共有の大事な橋だったから
「何とかして欲しい」
といつも思っていた。
しかし、橋は架けられない。
どうしたものか。
父が集落の世話役
(「部落会長」と言った)になり、
架橋に乗り出す。
多分、役場から援助金が出ることを
見定めての行動と推測する。
だが、ことは関係する農家の了解と
何がしかの拠金が必要で、
父は交渉・説得に懸命だった。
難題が出た。
「おおしものともうさあー」が
首を縦に振らない。
「わしの土地の一寸足りとも
傷つけるな」
とか
「わしには橋はいらんから
銭も出さん」
と
譲る気配がないらしい。
あまり他人を悪くは言わない父も
ほとほと困ったようで、
「ともうさあーがなあ、
どうにもならん」
とこぼしていた。
孤高の「ともうさあー」は
長く一人暮らしをしていた。
聞く処によると、
夫人は口煩い連れ合いに
愛想を尽かして出て行ってしまったそうな。
その中、
男の子を養子に取り、
後継ぎを託していた。
「かつひろ」と呼ぶ
私より一級下の学年だったが、
この子も養父には反抗的。
時々、誘われて家の中に入り、
「かつひろ」が
棚から探り出した食べ物等を
こっそり「盗み食い」していたが、
ある時「ともうさあー」に見つかり
怒鳴り散らされ、
ほうほうの態で逃げる。
「かつひろがくれたんだ!
文句あるか!このくそじじい!」
だ。
それにしても
家中がきちんと整頓され、
とくにかまど周りの
行き届いた手入れ具合には
子供ながら感心したように覚える。
「じいさん、やるなあー」
と思いつつも
怖さが妙に増した。
海へ魚釣り出かける時、
「おおしも」の下の小径を通ることがしばしば。
その際には「ともうさあー」が
不在かどうかを確かめ、
小走りで通り抜ける。
納屋で「ごっほん」と
咳払いの音でもすると
全速力で駆け抜けた。
こうなると、
だんだん
「いつか仇を取ってやろうぜ」
が餓鬼仲間共通の意識になる。
「ともうさあー」は、
川下に水車小屋を建てていた。
これを狙う。
水車を廻すために小水路を掘り、
川水を導き入れている。
通りすがりに水車が動いていると、
そっと水路を遮断してストップさせる。
時には小屋の中を覗き、
ここでも「わるさ」だ。
炒った大豆を挽いて
黄な粉を作っていることがある。
チャンスだ。
臼から大豆を盗む。
ズボンの左右ポケットに突っ込み、
素知らぬ顔をして磯に出る。
悪童共は「ともうさあー」に
一撃加えたことと
空腹を満たす大豆をかみ砕きながら
釣り糸を垂れた。
それから半世紀近くが過ぎた。
仕事の関係で松江に住み、
時折益田へ出張する。
朝方の特急で松江を出ると
郷の西平原(益田市)を通過するのは
昼前になる。
車窓の右手にあの「おおしも」が
ちらっと見えた。
厳としていた母屋の屋根瓦が剥げ落ち、
納屋は傾いている。
それも二度、三度往復する中に
壁土が崩れ落ち、
芯の竹組が剝き出しになった姿に変貌だ。
何だか寂しい気持ちになる。
そして10年も経った頃、
建物は無くなり、更地化していた。
あの頑固爺も一代限りかと、
名もない片田舎の盛衰を思う。
とか言うわが身も生家を解体した。
思い出が詰まっていたが、
「故郷の廃家」を持ち続けることはできない。
解体屋から
「あんたの家の大黒柱は頑丈で
倒すのに往生しましたよ」
と告げられ、
自責の念に襲われた。
ある人曰く
「心まで過疎にはなりたくない」と。
そうなんです。」
ともうさあー
よきところで
悪ガキに大喝をくれていることと
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