無事に嫁いで、

優しく黄色い花してくれたのは、

夫のおじいちゃんでした。



2時間弱ほど、行くのに時間がかかる場所車なので、

月に2~3回行ってました。



双子を抱えて、

次女を妊娠していた時は、

土曜に夫と義家へ行き、

子供とともに水曜日くらいまで居て戻り、

また土曜に義家へ~と言う感じで、

面倒みてもらっていました。


その頃は、義母の裏の顔も知らなかったし

ありがたいとの思いが一番でした。

居心地よりも、

生きていくために・・・。

(つわりでしんどかったのです)



そのおじいちゃん、

4人男兄弟の末っ子で、

兄さん3人はみんなすでに亡くなってしまっていました。



一人のお兄さんは、

満州かどこかへ家族で赴いたけれど、

戦死。奥さんと子供は

帰国船の中で、日本に帰ればアメリカ兵に殺されると

思ったのか、集団自決、

海に身を投じたそうです。



こんな話は、

あたたかい縁側で、

おじいちゃんとお茶をまったり飲みながらお話ししました。

夫はたぶん、興味がないので知りません。



おじちゃんの奥さん(夫の祖母)も、

病弱で、子供(義父)ひとり産むのがやっと。



なので、双子が生まれたのは嬉しかったようで、

よく、元気だったころは外で面倒みてくれてました。



だんだんと身体が弱ってきて、

最期は入院してて亡くなりました。

89歳でした。



おじいちゃん、亡くなったときは

私は嫁いで3年目。

お葬式で留守番が居るから

家に居ろと義父に言われました。



私の実家の両親も揃って来ているし、

双子&赤ちゃんもいる。

みんなで斎場へ行くつもりだったのに、

家族(私以外)は同じ車に乗るらしいと・・・。


「残れ」と言われました。

なんで、そんなにワンマンに人の気持ちを考えないで

行動(指図)する~?


その時は、訴えましたよ!夫に。

「行きたいよ!お別れしたいよ汗

なんで行けないの?

こんなに人が居るのに、

私だけが残らなきゃいけないの?」と。



とにかく、義父は一人っ子で

指図は自分の思うがままではないと気が済まない。

(今もです。突撃いきなり携帯へ生電話もあります。

恐怖です)



私は、両親と子供たちと両親の車で

斎場へ急いだけれど、

着いた時には、すでに火葬が始まってました。

遅かったのですしょぼん・・・。



苦い苦い思い出です。



まあ、今ではおじいちゃんのいい思い出しか

思い出しませんけどね♪

人間は、いつか人にした行為や想いは

自分に還るとおもうので・・・・。

にやりと見守っていこうと思います。


大きな愛でね目。(←今だから言える)



で、タイトルの話です。



亡くなった日、

夜通しお通夜で、祭壇の前におじいちゃんが

寝ているんですが、

見ると、だんだんとお顔の色がおでこから黒く変色して行ったんです。



それが、じわじわとあごの方まで

黒く・・・・・。

最終的には顔だけ真っ黒に!



もう、ビックリで!



深夜は私たち夫婦に

リンを鳴らす役が回ってきたので、

徹夜で2人で見守ってました。

(今考えるとなんで?まあいいけど)



朝になると、すっかり顔色がどす黒くなって・・・。



気が付かない義父たち。



このままでは、おじいちゃんがかわいそう!

みんなが明日、お顔を見るのに!



勇気出して義父に訴えました。



葬儀社へ言ったんでしょう、

後で見たら、ごついメイク【ドーラン】を厚塗りされて

すごい色になってました!

でも、肌色だから、なんとかごまかしてる?


敗血症で亡くなったらしいですが、

顔に血が下がるとは到底思えずで、なんですよね。



葬儀も無事に終わると、

その日から、

夜になると、おじいちゃんの目覚まし時計が

ジリリリリリリリ・・・・時計ビックリマーク


目覚ましOFFにしてても

ジリリリリリリリ・・・・時計ビックリマーク


と鳴るそうな!


私たちが行った時も、

ジリリリリリリリ・・・・時計ビックリマーク

でも、不思議と怖くはなかったのを覚えています。

義父はめちゃくちゃ怖かったそうです。


だいたい同じ時間に

ジリリリリリリリ・・・・時計ビックリマーク


半年くらいは続いてたっけ。


毎回、義家へ行くと

最初に(忘れてて後での時もあるけど)

おじいちゃんの仏壇に手を合わせます。


おじいちゃん、ご先祖様

いつも家族を守ってくださってありがとう!

ご成仏がますます進まれますように!って・・・。


守られているんでしょうね。

元気でいられているのですから♪


おじいちゃん、ありがとう!