昨日、すきやのドライブスルー待ち中、
助手席で楽しそうにしている三女(4歳6か月)娘と、
ちょっと不思議な会話をしました。
後部座席には、次女(9歳2か月)が乗っていました。
次女が、あまりの三女のわがまま度に
「も~いもうとなんていらんわ~!」
と言ったので、私が
「あなたが、神様にお願いして
きーちゃんがうまれたんじゃないの?
お兄ちゃんは、弟が欲しいと言ってたけど、
あなたは妹が欲しいって言ってたでしょ?
お正月に、初詣でおにいちゃんが
「神様、どうか妹をください!」
って頼んだのにはおどろいたよね~♪
なんで、弟が欲しいのに妹って言ったんだろうね~?」
(このあたりのお話しは、またいつか赤ちゃんを授かるために編で
書きたいと思います。)
そんな話の流れで、
いつものように、お腹の中より前話を聞いてみようとチャレンジ~♪
母「きーちゃんは生まれる前にどこにおったん?」
き「え~っとね~月におった!おじいさんとおばあさんがいて、
あそこへ行きたいって言ったら、
行ってらっしゃいって言ったんよ♪」
母「ほんと~?すごいすごい!そっか~♪
神様?だったのかな?
そのおじいさんとおばあさん」
き「わからんけど~やさしかった!」
母「どんなとこじゃったん?」
き「キラキラして~たのしいところ~♪」
母「へ~!そこへ行く前はどこにおったん?」
き「えっとね~お母さんが~死んだんよ!」
次女「ちょっとちょっと、きーちゃん
そんなん言うたらだめじゃが~!」
母「いいよいいよ!それから?」
き「そのお母さんは、ぶっさいくでなぁ~(失礼なことを)、
髪の毛はお団子にしとったんよ。」
次女「きーちゃん、戦争中に死んだんじゃろ?」
(どこから戦争が?)
き「きーちゃんもな、事故で死んだんよ!」
母「え?お母さんと一緒に?」
き「うん。」
そこで、力尽きたか話は終わり。
お母さんがお団子ヘア?
なんだかリアル~。
ぶっさいくは余計だけれど、
4歳の子が、そこまで言えるのか?
もしかしてこれは、前世の記憶?
3歳前後から時々聞いているのですが、
的を得たようなことも話すことがあるので、
今後はブログに記しておきたいと思います。
この三女が生まれるまでには、
ちょっとしたドラマもあるので、
生まれてきたには、何か理由があるんだろうな~!
なんて思っています。
え?今聞きたいですか?
(って、読んでくださってるかたがいらっしゃるのか
不安ですが・・・)
初めての妊娠でできた赤ちゃんは、
すぐに天国へと戻って行きました。
悲しみの中、
奇跡のように、間を開けず妊娠し、
双子だと言われた時には
もうびっくり!
生まれると、長男の方にはちょっと障がいがありました。
そのケアで、双子の長女ほっといて
めいっぱい動いていたと思います。
(今、手がかかっています>長女)
双子が2歳になる前に、
下にもう一人欲しいと思っていたら、妊娠できました。
でも、最初からなんか嫌な予感がしていて
同じようにまた天国へ戻っちゃいました。
身体の負担もかかるし(手術)、
年齢もだんだんと重なるし、
どうだろう?と思っていると、
再び妊娠できました。
その子(次女)は、予定日ぴったりに
「どうだ~!」というくらいBIGな態度でBIGに
生まれてきました。
4200gくらいで・・・。(これまた巨大児を産む時はドラマがあるんですが)
風邪一つひかない、元気な女の子でした。
そして、3人のまま月日が過ぎて行きます。
丁度、紀子様が悠仁さまを出産された頃、
男ひとり、女ふたりのうちの子たち。
長男の障害の事もあるし、
(生活には一切支障はありません。
見た目では分からないし、普通に他の子となんら変わりなく見えます)
もう一人、兄妹が居てくれたら、
将来、兄妹4人でいろんなことを乗り越えれるかな~?
なんてふと思ったのです。
そこで、数年ぶりに夫と仲良くしたら、
あれれ?ご懐妊?
予感はあったので(出来るかも!と)、
嬉しかったです。
夫は、4人目を特に欲しがることはありませんでしたけど。
なぜふと、そんなことを想ったか・・・。
その年の春に、
お友達が急死したからです。
ステルス性の胃癌?
気がついたときにはもう手遅れで
あと半年と宣告されたと後で耳にしました。
ホスピスで最期を迎えたようです。
知りませんでした。
お正月に「会いたいね~!」ってメールが来て、
「会おうよ!いついけばいい?予定教えてね行くから!」
と返事をしたら、それっきりでした。
海の向こう(四国)の人なので、
こちらからも、ちょっと勇気ださないと行けない距離。
そのまま返事をただ待ってたら・・・・・。
葬儀に駆けつけました。
まだ、50歳ちょっとすぎたくらいでした。
息子さん二人、どちらも若くして結婚。
次男さんはたしか、学生結婚でお子さんが居ました。
どちらもまだ、20代前半。
すごく悲しそうでしたが、
家族が支えてるという雰囲気が伝わってきました。
旦那様が教師をされていて、
定年したら、いろいろと二人でやろうと思っていたことが
たくさんあったと
喪主のあいさつで言っておられました。
当時1歳の次女を連れて行っていたのですが、
式の最中に、
何もわからず連れてこられたはずなのに
目からいきなり、ぽろぽろと大粒の涙を流し始めました。
声も出さずに、ただじっとしたまま・・・。
これには私も、まわりもビックリ!
「どうしたの?大丈夫?なにかあったの?」
と聞いても、何も言わない娘。
今思うと、あの場に友人が居て、
大好きなフラダンス(の先生をしてました)
の衣装を(お棺の中で着てました)着て、
みなさんに、あいさつしていたんだと思います。
私のところに来て、
「お正月のメールの返事、できなくてごめんね。
生きているうちに会いたかった!」ってあやまってくれていたのかも
しれないと思いました。
駆けつける道中、
『こんなことになるなら、なんで会ってくれなかったのよ~!』
と思っていたからかもしれません。
そんなことがあったせいか、
私も、もし早くに今世から旅立たなければいけないならば、
やっぱり子供になにかしらを遺し、
世の中の一部として、
何かをしてほしい・・・。
できることは?兄妹をもうひとり!
って思ったんですよね~!
話は戻りますが、
4人目を妊娠出来た喜びは、やはりつかの間。
亡くなった友人が力を貸してくれた?
と思っていた妊娠も、成長が止まり流産に。
その後、あきらめきれず、
機会を逃さないよう結果を待ってました。
1年後、再び奇跡が!妊娠!
2度連続で流産はないだろうとタカをくくっていました。
順調でした。
母子手帳ももらい、
妊婦健診無料券~での初健診でした。
結果は・・・・・心拍停止でした。
どん底まで落ちました。
うそでしょ?
その当時、上の子3人は2歳と双子5歳だったかな?
お腹にやっとできた赤ちゃんに
うめちゃんと名前を付けて、
さすったり声かけたりしてました。
みんなで、手術の前の日の夜、
お風呂でおわかれしました。
40歳での出産は叶いませんでした。
いや、やっぱりあきらめきれない!
その妊娠、義家では毒吐きのネタにされ、
(書くと自分も下げそうなので書けませんが)
そうとう非道なことを言われました。
人間じゃない口が言っていたと思われます。
絶対に、元気な子を産んでやる~と
火が付きました!
そこから1年半後、再び奇跡が!
その間に、水子の供養もさせていただいたからか、
いろんな神様に、お願いしていたのが叶ったのか、
きっとすべてにおいて、
視えない力が助けてくださったのだと思います。
順調に(いや、高齢なのでリスク☆高血圧投薬
☆喘息発症☆体重増加☆だらけ)
予定日2日前に出産できました。
空から、あそこのお母さんところへ行く~と
お願いしてくれたであろう三女誕生です。
42歳でした。
4人の母として生きていくこと。
毎日、いろんなことがありますが、
こどもたちの心と身体を育てる使命を肝に銘じて、
鬼:天使 8:2くらいの割合で
子供たちと接している日々であります。
今日も、大雨警報で学校休校・・・。
パジャマでだらだら、
お菓子ない?とわがままな長男、
おかゆつくって~と昨日風邪で休んだ長女の要求、
おこずかいなんでないの~(先月前借したじゃないか)?と
しつこい次女。
そんな朝でした。
長文日記、これにて終了!
おつきあい、ありがとうございました♪
午後からも、がんばります♪