朝ごはんに700円w金持ち疑惑のアリアです(^ ^)
今日の朝ご飯のラインナップは、こんなかんじ・・・
セブンイレブン限定のさくら白玉ラテとても美味しかったです(*^◯^*)
さて私の朝ごはんの紹介ではなく本日3月11日は、私の中では思い出したくない出来事がありました。
本日で東日本大震災が発生して丸8年・・・
当時の私は、小学校6年生で山形市にいました。
その時は、小学校のお楽しみ会の真っ最中でした。
そしてワイワイ楽しんでいる時に緊急地震速報が鳴ったのです・・・
当時の私は、「岩手・宮城内陸地震」を宮城県の大河原町で経験しましたがその時と同じくらいの揺れでした。
地震が到達し私と友人はオルガンの中に隠れましたがクラスは大パニック状態でした。
それもそのはず、山形は大きな地震が全くと言っていいほど来ません。
一緒に隠れた友人は怖かったのか私に抱きついていました。
山形では震度4でそれほど揺れませんでしたが、電気は停電し携帯電話が使えなく私の祖父母の安否がわからなくてとても焦ってた記憶があります。
私の祖父母は宮城県の登米市で震度7を記録した栗原市の隣です。
祖父母の家は、震度6強で街の至る所で建物が倒壊したり、お墓が土砂崩れで半分近くが崖の下にあるなど当時の私には、とてもショッキングな光景でした。
その日は、私の父親が2連休を取っていたためその登米市にある祖父母の家に泊まりに行く予定でした。
私の母親が学校に迎えに来てそのまま父親の職場に急行しましたが、道路の信号機は全て停止しているので交通は麻痺状態でした。
自宅に帰宅し私の部屋に行くと教科書を補完する棚が倒れていてノートパソコンに直撃していました。
幸いノートパソコンは壊れていなかったものの食器などのガラス製品が壊れていたりして片付けるのが大変でした。
その日の天候は吹雪でとても寒いお思いをしながら家族で暖を取っていました。
かろうじて水道とガスは止まっていなかったのでお湯を沸かし湯たんぽに入れリビングで家族全員で寝ました。
次の日には電気が復旧していましたがテレビを見て仙石線の車両が折れ曲がったり常磐線の車両がグニャリと変形している姿は、今でも忘れられません。
私が幼い頃は、相馬市や南相馬市に住んでいました。
「幼稚園の頃の友達は無事かな?」など考えていました。
家にあった食料も備蓄があまりなかったので近所のスーパーやコンビニに行きましたがカップラーメンはおろかサンドウィッチやインスタントご飯はどこも売り切れでやっとの思いで見つけた食料は春に通う予定の中学校の近くのディスカウんっとショップでした。
タイラーメンという普段なら絶対に買わないような袋麺でしたが、父親の会社から持って来た外の気温でキンキンに冷えたお弁当やお惣菜よりも何十倍も美味しく感じました。
そして一番困ったのはガソリンでした。
山形は車がないと何もすることができません。
近所のガソリンスタンドを全て回りましたがどこも開店していない状態でした。
やっとの思いで見つけた時には隣町の上山市でした。
幸いなことに制限もなかったので一台分はなんとかなりました。
月曜日からの学校でしたが給食は
といった内容で成長期の私たちにはとても物足りない状態でした。
しばらくの間は午前授業となっていた為給食を食べたらすぐに学校から帰宅し家の片付けの手伝いをやっていました。
その時福島の原発が爆発したというニュースがやっていました。
私が南相馬市で住んでいた頃の友人の一人に原発の立ち入り規制の範囲内に住んでいる友達がいた為私は、「もう規制範囲内の地域は帰れないんだろうな・・・」と思っていました。
山形市の総合スポーツセンターに避難所が開設され友達や南相馬の幼稚園に通ってた頃の恩師がいるとの情報を聞き会いに行って来ましたが、避難所生活に疲れていたのかものすごくやつれた顔になっていました。
恩師や友人から聞いた話がとても衝撃を受け涙を流しました。
あの頃の友人は離れ離れなこと、家が流されてしまったこと、津波に飲み込まれてしまった友人がいたこと、言葉を失いただただ涙を流すことしかできませんでした。
何ヶ月か経過した頃南相馬市や相馬市に行きましたが、変わり果てた姿にびっくりしました。
線路は流出し、橋も流され防風林もなく変わり果てた姿になっていました。
町の中心部に行ってもほとんど車や人の気配もない状態でした。
今でもこう思います。
「海さえなければ多くの尊い命が奪われずにすっだのに」
「海さえなければ予想を超える津波がこなかったのに」
「あの地震さえなければ多くの人の日常が奪われずに住んだのに」
どう思っても海は無くならないし、地震や予想を超える津波がなかったことにはなりませんがそれでも、わかっていても3月11日を迎えるとそう考えてしまいます。
私の出身は宮城でとても悲しい思いをしているのに山形の友人からノーテンキなことを言われ大喧嘩したこともありました。
震災の発生する2〜3日前に余震がありましたが、その頃両親は仙台港周辺にいました。
今思うとその時に大地震が来なくてよかったと思います。
仙台市のアーケードでは、募金活動をしている方がいるのでこまめに募金をしています。
一人でも行方不明の方が家族の元に帰って来られるように、一つでも多くの手がかりとなるものが見つかるように
そう思いながら募金をしています。
今日で震災から丸8年です。
10年経とうが20年経とうがこの思いは変わりませんし、変わりたくもありません。
過去を振り返っても何も起こらないけど過去のことを忘れてしまってはいけないと思っているからです。
私が死んでお墓に入るまで絶対に忘れません。
そして震災で亡くなってしまった方々の分まで精一杯生きるのが生き残った私たちの使命だと思っています。
そして被災した方や亡くなってしまった方の1日でも早い復旧とご冥福をお祈りします。
最後にお願いです。
今Yahoo検索で3.11と検索すると1回につき10円が募金されます。
一回につき10円は安いと感じるかもしれませんがこういったことわざがあります。
「チリも積もれば山となる」
読者の皆さん全員でこのことわざのように山のような義援金を被災地に届けましょう!
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