今回はまじめに書きます。
平成20年2月17日、埼玉県熊谷市内でおきた2人死亡、7人負傷(運転者をふくむ。)の交通事故について、すでに運転者に対し、危険運転致死傷として懲役16年の判決がされ、確定していたところ、その自動車の同乗者であったふたりについて、昨日、危険運転致死傷幇助として懲役2年の実刑判決(求刑:懲役8年)がされたとかなり大々的に報道されました。
ウェブやTVのニュースにもだいぶ出たので、ごらんになった方も多いかと思います。
アサヒコムの記事
毎日jpの記事
実は、僕はこの事件の「運転者」の第一審の国選弁護人でした。
運転者に対するさいたま地裁判決
(*裁判所ホームページより。)
(*全文、被告人および関係者などは仮名。)
運転者の弁護人をしていたころから、いろいろなブログなどでこの事件のことが扱われているのをみてきました。
「(求刑懲役20年=危険運転致死傷の最高刑)からなんで4年も引くのか。」
「危険運転なんて甘い。殺人で死刑か無期懲役にすべき」
「(当時報道された)弁護人の主張は失笑モノ」
といった厳罰意見、被告人および弁護人への批判がとても目立ちました。
いっぽうで、遺族、被害者に対してはほぼ全部がきわめて同情的だったかと。
そのとき、僕はブログ、2チャンネルなどのツールで、何も発言、反論しませんでした。
今回の同乗者ふたりは控訴するようですが、僕の担当した運転者はすでに最高裁判所で刑が確定し、まじめに服役しています。
だから、もういいでしょう。
今日は、この事件について、僕の思っていることを書きます。
あの判決(運転者に対する判決)は、おかしいです。
書きたい放題です。
被害感情に流されたとしか言いようがない。
運転者にとって有利な証言、証拠はすべて排斥。
公判供述(運転者に有利な内容)と供述調書(運転者に不利な内容)がちがえば、全部「公判供述は信用できない。」
「被害感情がきわめて峻烈であるのも当然であり・・・・」との由。
せいぜい、量刑理由で、任意保険に加入しており、賠償が見込まれること、運転者なりに反省、謝罪の態度を示していること、家族が更生に助力すると述べていることに触れられた程度。
それでいいとおもいますか。
日本国憲法は、すべての刑事被告人に対し、公正な裁判所の迅速な裁判を受ける権利、そして刑事上の適正手続を保障しています。
判決の量刑そのものについても、これから触れますが、それ以前に手続がメチャクチャです。
犯罪事実について、被告人に不利な証拠は全部採用し、有利な証拠はおよそすべてなんのかんの難癖つけて排除する。そんな手続ってありますか。すくなくとも、現代日本において。
運転者の裁判では、運転者がペットボトルに飲み残していたウーロン茶の量が問題となったのですが(ここけっこう重要な争点でした。)、ウーロン茶を出した居酒屋の店主は、検察官の主尋問に答えて、「800ミリリットルくらいでした。」と答えました。
そしたら、あろうことか検察官は、「・・・・600ミリリットルではないですか?」とあまりに露骨な」誘導尋問をしました。
僕は即座に椅子を蹴って異議を申し立てましたが、時すでに遅しです。
なにしろ、証人は検察官から「正解」をおしえられてしまったのですから。
当然、「あ、勘違いでした。600ミリリットルくらいです。」と証言を訂正しました。
そして、裁判所も訂正後の証言を採用しました。
これが大多数の刑事裁判の現実です。
そして量刑。
検察官の懲役20年という最高刑の求刑もあまりにふざけていると思いますが(のちに述べるように、被害者、遺族の意向があまりに強かったのでしょう。)、裁判所の判決は16年。あまりに重いと感じると同時に、いっぽうで、「あぁ、結局“8掛け判決”したわけか。」と思いました。
判決後、被害者および遺族、それから僕がそれぞれマスコミの取材に応じました。
僕も僕なりに考えてきたことを、いろいろとお話ししました。
判決までは、取材についていっさいお断りしていたものですから。
ところがですよ。
ニュースショーみたいな番組では、被害者および遺族のほうのインタビューは延々と流れているのに、僕の絵なんてどこのチャンネル回しても1秒たりとも出てきません。
犯罪者の味方の言い分なんて流す必要ないということでしょうか。
もしかしたら、「弁護側は控訴する方針」のテロップくらいは出たのかもしれませんが。
この事件では、被害者、遺族の被害感情がきわめて峻烈でした。
ある遺族は、証人尋問のさい、僕の質問に答えて、「あなたは自分のことを“殺人弁護士”とか言っていて、がさつな人だと思います。」とおっしゃいました(ちなみに、「殺人弁護士」云々の文脈は、僕の昔のブログにあるもので、東京で殺人事件ばかりを担当していて、友人からも「殺人弁護士」などと言われていたところ、夜うなされるようになってしまったので、故郷の菩提寺に犯罪被害者供養のための卒塔婆を建立していただいたというもので、その一部分だけをとりだして中傷されるのはきわめて心外だということを主張しておきます。)。
僕は公判廷にいたからわかっています。
被害者、遺族が、証人尋問、意見陳述のさい、被告人であった運転者を、どれだけあしざまに言ったかを。
それが自分が傷つき、家族を失った者の当然の心情であり、発言だといいたいですか?
僕はそうは思いません。
この運転者に、さしたる前科前歴はありませんでした。
善良な一市民として生活を送ってきたわけです。
妻も子どももいます。
法廷には傍聴人もいます。
そこでは、どんな立場にあろうとも、やはり節制を保った発言が求められるはずです。
そして、僕は被告人であった運転者と話し込んでいます。
判決には、「さして反省している様子も見られない。」と書かれましたが、彼がいかに自分の非を悔やみ、涙を流していたかをみています。
それを、壇上に座って、裁判官室で記録めくっただけの人間に判断されたくないです。
求刑20年、判決16年。
おそらく、いや、ほぼほぼ被害感情に流されただけの判決でしょう。
刑事訴訟の目的は、「人権擁護と真実発見」です。被害者保護では、ありません。
まして、被害者の「生の」応報感情を満たすのが裁判所や検察官の役割でもありません。
被告人は、刑事手続のなかで、憲法上の「人権」を有していますが、被害者のあるのは、単に刑訴法上与えられた「権利」にすぎません。
どちらに重きをおくべきかなどいわずもがなです。
判決後、10日ほどしたでしょうか、担当検察官に偶然お会いしたとき、(ここは詳しくはいえないのですが、察してください。)「被害者とご遺族の意向で、こちらも控訴することになりました。」と聞きました。
最高刑を求めての控訴です。
しかも、被害者、遺族の意向がその理由です。
検察官は、「公益の代表者」であり、被害者や遺族をふくむ一私人の感情の代弁者ではありません。
「被害者とともに泣く検察」とよくいいますが、どこかちがっているように思います。
昨今の「被害者重視」に、僕は絶対に反対です。
これについては、いかなる批判もおうけします。信念ですから。
そして、僕も「犯罪遺族」です。
でも、その件に関して、なにか言うつもりは今後ありません。もういいのです。
ただ、遺族の立場と弁護人の立場を経てきたからこそ考えることもある、ということだけはあきらかにしておきます。
そして、今回の同乗者ふたりの判決。
僕の担当被告人であった運転者の車両です。
昨日の判決期日の様子(開廷前)。
同乗者ふたりに、懲役2年の実刑だそうです(求刑は懲役8年)。
認定事実は、「危険運転致死傷幇助」。
当初、検察官は「酒酔い運転同乗」(最高刑懲役3年)での立件を視野に入れていたようですが、やはりこれも被害者および遺族のきわめて強い要請により、最高刑が懲役10年となる危険運転致死傷幇助で起訴したそうです(ちなみに、遺族は、判決後、「2年はあまりに軽い。」と会見で述べていました。)。
ネット上の書き込みをみても、「軽すぎる。」という意見と、「みせしめ」「一罰百戒だ。」という意見があるようです。
すくなくとも、酒酔い運転に同乗したからということなら、従来ならありえない量刑です。
そもそも、実刑になることなどなかったでしょうし。
こちらは、起訴の時期の関係上、裁判員裁判ですからね。
裁判員制度が導入され、量刑がグンと上がるだろうと言われていたものがふたつありました。
それは、「性犯罪」と「危険運転致死・同致傷」です。
予想どおりですね。
高裁刑事部の裁判官たちの協議会でも、「市民感覚重視」の結論が出ていますから、上級審での逆転もまず難しいでしょう。
そのほか、この一連の事件に関しては、もうボロクソいいたいことが山ほどあります。
しかしながら、そこは「弁護士の品位」にもかかわるので、差し控えます。
これだけいろいろ書いておいてなんですが、最後の部分は、「無言が百万を語ることもある。」とご了解ください。
おわりに、僕が担当させていただいた運転手さん、これからおそらく実刑が確定するであろう同乗者さんお二方の一日も早い社会復帰をこころから祈念しております。