久々にアメーバのブログたちを見て見たら、
とてつもなくネガティブなことしか書いてなくって、
見てて思わずウィンドウを閉じてしまいました(笑)
最後に日記を書いたのが11月のようですね。
あれからとてつもなく色んな事があったように思います。
自分はダイビングサークルの部長になり、
春合宿に石垣島に行ってきて、
日本では大地震が発生して、
7年ぶりに母と再会して。
いろいろ書きたいことはあるのだけれど、その中で一番大きかったことをば。
…母に会いました。
別れてから7年間、いつのまにやら自分が何かをできない理由を、
「母がああいうことをしたから、俺は不幸になってしまった」
という言いわけにしていた自分がいたんだと思う。
正直会うかどうか相当迷った。
会いたくないとも思ったし、会いたいとも思った。
でも、やっぱり、母は母なんだと、思った。
横浜に家族旅行に行ってきたんです。父と母と弟と。
んで、家に泊まって、国分寺でもんじゃをたべて。
んで宅のみ。
朝がとっても新鮮だったのを覚えています、
おやじは洗濯物を干しだし、母はお湯を沸かし始める。
弟とオレは寝てる。(笑)
全く日常的な光景でした。
両親と弟を国分寺駅に送りに行く時の朝の光景は、なんだかほのぼのしていました。
どうやら自分は、今まで自分自身に足かせをかけていたみたいです。
新歓期がはじまって一週間の、この時期には、
今まで気づかなかったことについて気づいている自分がいることを、
ツイッター見返すたびに思ったりします。
母とは最悪な人間だ、その子供である自分には生きる価値など無い。
さっさとこんなつらい世の中、死んでしまいたい。
そんなことを平然と思っていた時代がつい最近まであると思うとこわい。
一方で、なんというか、あの、「肩の重荷がなくなった感覚」ってのもすごかったし、
なんだろう、意識しないとネガティブなことが言えない。
無意識にネガティブなことをいうことがなくなった。
正直、母に会うことで、一体自分にどんな変化が起きるのか、ってのが一番怖かったのです。
いままで、そういう負の感情をエネルギーにしてきて、いろんなものを成し遂げてきた。
生徒会長。推薦合格。バイト。国立大合格。サークル掛け持ち。夜勤。部長。
でも、そのエネルギー源だった負の感情がなくなったとしたら?
オレはこの後の新歓期とか、人間関係とか、何をエネルギーにしてけばいいんだ?
そして、母に会うことで、超超超超ネガティブな波が訪れるんじゃないのか?
不謹慎だけど、津波くらいに。
そこから這い上がることはできるのか?
…それが怖かった。
でもまあ、現実会ってみて、今こうやってるオレは、
悩んだりもするけど、だいたいどっか頭の隅ではいつも幸せを感じてる。
あーオレって生きてていいんだ!ってね。
母は自分を捨てたことについて謝ったし、
オレの「生まれてこなければよかった」って発言には、
父と母と二人で、そんなことは絶対にない!と否定してくれたし、
(やっぱ両親の口からじかに否定してもらいたかったんだと今になって思う)
自分が、親の愛情に恵まれていることをよく感じたのでした。
むしろ、過保護じゃね!?ってくらいに。
ただし、伝え方が両親とも不器用だった、それだけのことなんだと思います。
自分は両親によく似ちゃったんだなとつくづく思う。笑
10年という長い歳月、母はオレから確かに、
事実としてたくさんのものを奪ったり、
チャンスに出会う機会を外からの理由でなきものにしてきた。
でも、こう考えることにした。
「かあちゃん、そしたら、これからの10年だよ」と。
そうなんです。
終わったことをいちいち嘆いていたってしゃあないんだもの。
たしかに色々あったけどさ、無事にこうやってここまで大きくなれたんだもの。
まだまだこれからいろんな経験を積むことっていくらでもできるんさね。
過去の悲しい出来事のネガティブパワーだけを燃料にしてきた俺だったけど、
最近は、どこから出てくるのかようわからんパワーで動いてる気がします。
というわけで、今まで話を聞いてくれた人たちに、
オレの「ぼくのことわかってくださいお願いします」的なオーラを受け入れてくれた
全ての人へ
心から、ありがとうございました。
これからも、よろしくお願いします。
(そして、
とくに女性に、俺は沢山のひどいことを言ってしまったと思っている。
相手を非難するような言葉は、最終的にどこに向かっていたのか。
それは、母だったんだなと気づきました。
言うべき人に言いたいことを言って、今のオレはすっきりしているけれど、
かつて相手にぶつけてしまったことで、たくさん傷つけてしまった。
そのことについて、心から、ごめんなさい。)
P.S.
人の話を聞くのが苦手だったので、最近、人の話を聞くように意識して過ごしています。
自分が話したくっても、相手の話題がおわるまではグッとこらえる。
相手の話題が終わったら、自然に自分の話を振る。
その場のテンションや、「間」に合った話をする。
会話はキャッチボール。
剛速球を投げたり、1000本ノックじゃ、楽しくない。
その意味が、以前よりは少しばかり、分かってきたんじゃないかなとちょっとだけ思います。
いずれにせよ、自分にはまだまだ絶対的に経験数が足りない。
まだまだ、むしろ死ぬまで未熟者。日々、精進なのです。
もちろん自分の人生なんだから、楽しんでなんぼ、楽しんだもの勝ち、だしね。
そして、
縁あって、ある方のブログを拝見しました。
時代が変わったことをひとつひとつかみしめています。
とりあえず今は無性にダイビングに行きたいのです。
楽しくって仕方ないんだもの。
小笠原諸島。伊豆。沖縄。。。
夢は尽きない。
とてつもなくネガティブなことしか書いてなくって、
見てて思わずウィンドウを閉じてしまいました(笑)
最後に日記を書いたのが11月のようですね。
あれからとてつもなく色んな事があったように思います。
自分はダイビングサークルの部長になり、
春合宿に石垣島に行ってきて、
日本では大地震が発生して、
7年ぶりに母と再会して。
いろいろ書きたいことはあるのだけれど、その中で一番大きかったことをば。
…母に会いました。
別れてから7年間、いつのまにやら自分が何かをできない理由を、
「母がああいうことをしたから、俺は不幸になってしまった」
という言いわけにしていた自分がいたんだと思う。
正直会うかどうか相当迷った。
会いたくないとも思ったし、会いたいとも思った。
でも、やっぱり、母は母なんだと、思った。
横浜に家族旅行に行ってきたんです。父と母と弟と。
んで、家に泊まって、国分寺でもんじゃをたべて。
んで宅のみ。
朝がとっても新鮮だったのを覚えています、
おやじは洗濯物を干しだし、母はお湯を沸かし始める。
弟とオレは寝てる。(笑)
全く日常的な光景でした。
両親と弟を国分寺駅に送りに行く時の朝の光景は、なんだかほのぼのしていました。
どうやら自分は、今まで自分自身に足かせをかけていたみたいです。
新歓期がはじまって一週間の、この時期には、
今まで気づかなかったことについて気づいている自分がいることを、
ツイッター見返すたびに思ったりします。
母とは最悪な人間だ、その子供である自分には生きる価値など無い。
さっさとこんなつらい世の中、死んでしまいたい。
そんなことを平然と思っていた時代がつい最近まであると思うとこわい。
一方で、なんというか、あの、「肩の重荷がなくなった感覚」ってのもすごかったし、
なんだろう、意識しないとネガティブなことが言えない。
無意識にネガティブなことをいうことがなくなった。
正直、母に会うことで、一体自分にどんな変化が起きるのか、ってのが一番怖かったのです。
いままで、そういう負の感情をエネルギーにしてきて、いろんなものを成し遂げてきた。
生徒会長。推薦合格。バイト。国立大合格。サークル掛け持ち。夜勤。部長。
でも、そのエネルギー源だった負の感情がなくなったとしたら?
オレはこの後の新歓期とか、人間関係とか、何をエネルギーにしてけばいいんだ?
そして、母に会うことで、超超超超ネガティブな波が訪れるんじゃないのか?
不謹慎だけど、津波くらいに。
そこから這い上がることはできるのか?
…それが怖かった。
でもまあ、現実会ってみて、今こうやってるオレは、
悩んだりもするけど、だいたいどっか頭の隅ではいつも幸せを感じてる。
あーオレって生きてていいんだ!ってね。
母は自分を捨てたことについて謝ったし、
オレの「生まれてこなければよかった」って発言には、
父と母と二人で、そんなことは絶対にない!と否定してくれたし、
(やっぱ両親の口からじかに否定してもらいたかったんだと今になって思う)
自分が、親の愛情に恵まれていることをよく感じたのでした。
むしろ、過保護じゃね!?ってくらいに。
ただし、伝え方が両親とも不器用だった、それだけのことなんだと思います。
自分は両親によく似ちゃったんだなとつくづく思う。笑
10年という長い歳月、母はオレから確かに、
事実としてたくさんのものを奪ったり、
チャンスに出会う機会を外からの理由でなきものにしてきた。
でも、こう考えることにした。
「かあちゃん、そしたら、これからの10年だよ」と。
そうなんです。
終わったことをいちいち嘆いていたってしゃあないんだもの。
たしかに色々あったけどさ、無事にこうやってここまで大きくなれたんだもの。
まだまだこれからいろんな経験を積むことっていくらでもできるんさね。
過去の悲しい出来事のネガティブパワーだけを燃料にしてきた俺だったけど、
最近は、どこから出てくるのかようわからんパワーで動いてる気がします。
というわけで、今まで話を聞いてくれた人たちに、
オレの「ぼくのことわかってくださいお願いします」的なオーラを受け入れてくれた
全ての人へ
心から、ありがとうございました。
これからも、よろしくお願いします。
(そして、
とくに女性に、俺は沢山のひどいことを言ってしまったと思っている。
相手を非難するような言葉は、最終的にどこに向かっていたのか。
それは、母だったんだなと気づきました。
言うべき人に言いたいことを言って、今のオレはすっきりしているけれど、
かつて相手にぶつけてしまったことで、たくさん傷つけてしまった。
そのことについて、心から、ごめんなさい。)
P.S.
人の話を聞くのが苦手だったので、最近、人の話を聞くように意識して過ごしています。
自分が話したくっても、相手の話題がおわるまではグッとこらえる。
相手の話題が終わったら、自然に自分の話を振る。
その場のテンションや、「間」に合った話をする。
会話はキャッチボール。
剛速球を投げたり、1000本ノックじゃ、楽しくない。
その意味が、以前よりは少しばかり、分かってきたんじゃないかなとちょっとだけ思います。
いずれにせよ、自分にはまだまだ絶対的に経験数が足りない。
まだまだ、むしろ死ぬまで未熟者。日々、精進なのです。
もちろん自分の人生なんだから、楽しんでなんぼ、楽しんだもの勝ち、だしね。
そして、
縁あって、ある方のブログを拝見しました。
時代が変わったことをひとつひとつかみしめています。
とりあえず今は無性にダイビングに行きたいのです。
楽しくって仕方ないんだもの。
小笠原諸島。伊豆。沖縄。。。
夢は尽きない。