春と水玉。 -4ページ目

春と水玉。

言葉、感情、制作。

最近痩せ始めました。

あとはソシャゲの課金も止め、課金どころかソシャゲごと止めました。

私は元気です。
2日前、婆ちゃんが亡くなった。

小さい頃から爺ちゃん、婆ちゃんっ子だった自分は、涙は流れたものの、事実を受け止めきれずにいる。

こういったことに優越をつけるのは非常に失礼だが、爺ちゃんと婆ちゃんは両親以上にお世話になったといっても過言ではなくて。いつだって俺たち家族のピンチに手を貸してくれた。

感謝はしても仕切れないし、本当に何も恩返しができなかったのが心残りだ。

婆ちゃん、ごめん。そして、今まで本当にありがとう。

これからは爺ちゃんと、俺たちを見守っていてください。特に、俺の生き様を見ていてくれ。絶対退屈はさせないから。笑

安らかに。
僕は大した学歴もなければ、別に賢くもなんともない人間なわけですけど、賢いふりをするのは得意です。

賢くないということは、もちろん物覚えがあまりよろしくないので、そのたびに覚えなおしたり、同じことを5回くらい確認して、「これでいいんだよね?いいの?本当に?じゃあやっちゃうよ?ほんっっとうにいいんだね??」と自分に問いかけながら日々仕事をしております。(結果、仕事での凡ミスは極限まで減りました。)

仕事でミスをしたときって、ヘコむじゃないですか。それが何でヘコむかっていうと、自分のせいだからなんですよ。人のせいだったり、偶然起きてしまったミスだったら、ヘコむというよりは怒りますよね。怒りとして発散されるなら大したストレスにならないのでいいんです。僕の場合は。

つまりヘコみをいかに怒りに変えるかが重要なのであって、僕はその技術をあみ出したのです。それが上にも書いた、バカみたいな回数の確認。

自分で自信をもてるだけの確認を行った上で起きてしまうミスであれば、「あれだけ確認して起きちゃったなら仕方ないぜ!そういうときもあるぜ!」と思えるんですよ。それが確認を怠った上で起きてしまったミスであると、「何であのとき確認しなかったのだろう。。」と後悔してしまうわけです。それはよろしくない。

そんな技術をあみ出し、別に大して仕事ができるわけでもないのに、ミスが少ないということだけで評価されてしまっている自分。賢いふりが異常にうまい。でもそれがプレッシャーとなって背中にのしかかり、僕の身体と心はもうボロボロです。とほほ。

そんな状況でわりと楽しく人生を過ごせているのも、趣味が充実しているからなんですよね。アニメでしょー、モバマスでしょー、作曲でしょー、買い物でしょー。充実しているにもほどがある。

趣味が多いということはもちろんそれにかける出費も多大ですが、まあ楽しくない人生よりははるかにいいかね。別に借金作らなければいいんだよ。借金さえ作らなければ誰に迷惑がかかるわけでもないんだし。

そんなわけで今回も、まったく何が言いたいのか分からない日記でした。この日記のメインの話はいったいどれだったのだろう。わかりま千円。