先だって、「怒り新党」で有吉さんとマツコさんが話していた
「夢は叶うという歌が流行るから、簡単に夢がかなうと思っちゃう」
という話(詳しくは4日前のブログをご確認ください)と。
昨日のファンモンライブで何度も何度も励まされた
言葉の数々と。
なんとなく両極のような話の、アイダを。ずっと考えています。
ファンモンの歌というのは、けっして「理想は現実になる」とか
「夢は絶対に叶う」というのではなく、理想を求めて這いずりまわって
諦めかけそうになったときにこそ勇気となる歌や
みっともないくらい切実に夢を求めて、それでも破れて、
また立ち上がるための歌が多く。
ちゃんと歌詞を解して聞けば、
決して「キレイごと」を歌っているわけじゃないなぁと分かるし
だからこそ、好きなんですが。
でも、やっぱり表面上にとらえて、都合のいいように解釈して
有吉さんが言うところの「努力しなくても夢がかなうように思っちゃう」
ひともいるんだろうなぁ。と。
それは、どうなの?と。
例えば、ファンモンは、自分たちのことを。
「何の根拠もない自信と不器用な歌声で君の笑顔を増やしてゆきたい」
と歌うわけですが。
この根拠のない自信というのは、なんというか謙虚な枕詞であって。
根拠は、あるわけですよ、客観的には。
それは、経験であったり、実績であったり、売上だったりもするわけで。
根拠がないけど、いっぱいにします!がんばれます!といったって、ア
リーナを押さえてくれるプロモーターはいないわけですよ。
自分たちの手の届く、小さな場所から、長い時間をかけて、
そしてその中で、自分たちにしかないものを培って、
確固とした信念や信頼を一つひとつ築いて。
そのうえで自信は成り立っている。んですよね。
ホンマはこんなことを説明するまでもないし
そんなん考えればわかるやろ、という話なんだけど。
そして、有吉さんが先に怒っていた話は、そこなんだろうけど。
「根拠なくても自信持てって、ファンモンも
言ってるしぃ」とかいうて、耳触りのいい一部分、
自分に都合のいい一部分だけ、エールに思って。
なーんにも実際はやっていないのに、「できる」と思いこむ。
そんなツールにしているひともいるんだろうなぁ、と。
いや、ぜんぜん彼らに非はないです。
受け取り方の問題で。ファンモンは悪くないです。
でね。
そんなのね。自信ではないんですよ。
単なる過信。
いや、大いなる勘違い。
それが[根拠]になるかどうかは、すごく時間がたった後に
わかることであるかもしれないけれど。
何かを成し遂げるときには。その成功への道すがら
必要な事項を。小さな一つひとつを。
きちんと積み上げていくことが大切で。
遠くに目標があるならば、いつから準備を始めて
いつ何をやるべきなのか。そういう計画が必要なんです。
何をどうやってこなすことで、そこにいつ到達できるのか。
そういう道筋を、立てて、そして、トライしては修正してを
繰り返して、目標に到達するしかないんです。
そうやって繰り返して、積み上げていった
その結果として。手に入るものが「自信」だと思うのです。
ぜんぜん到達できそうもないのに
「できるできる!」と思いこむのは、
自信でも勇気でもない。
で、過信しているひとって、
そういうことを指摘されると。
とたんに悲壮感漂いますよね。
そういうのさぁ、うちだったらぎったんぎたんやで…と
うちのムスメやムスコはいうと思いますが。
越えられない壁はぶつかって
ぶっ壊して前に進んでいけばいい、と。
そういう歌はあるけれども。
それは、自分自身の血と汗と涙とともに、
長い時間、何かを犠牲にしてでも手に入れた
自分のチカラでぶっ壊せ、ということで。
誰かが真剣に積み重ねてきた努力の末の実力を
一瞬で手に入れるための魔法のことばみたいに
自分自身に聞かせたとしても、気休めにしかならん。
ような気がしますが。
もちろん歌然り、啓発書然り。
自分がしっかりと歩んできた、その足元を踏みしめる
そのための勇気であったり。
コツコツと到達に必要な時間をかけて
しっかり目標も見つめるときの寄りどころは
やっぱり必要だよなぁと思うんですよ。
けど、
誰かのことばにすがることで現実を見なくなったり
誰にも見せずに努力を重ねたひとの真似が
簡単にできると思ったりしないでほしいなぁ、と思うわけです。