堤象さん、妹の幹ちゃん、露ちゃん、愛介伯父の長男耕介さん、皆で泳いでは一休みして盛上がった砂浜の上で寫眞を撮ったのを今もアルバム
に張ってあります。
清兵衛さんが同文書院に入学
するについて、何しろ自作農と小さな茶工場しかない家のこと、何も中国
まで渡って勉強しなくても国内の学校でと親は思っても、息子はどうしても行きたいと云う。
資金作りには山や田圃でも売るしかない、山や田圃を売ったのでは農家は崩壊です、養子の身の清吉伯父のこと、養家をつぶしたとあっては申訳が立たない。
現代のようにアルバイト
で学校へ行ける時代ではない。
母の話によると子供の為に一大決心をした伯父は海外労務者となって石油採掘に出かけたということです。
後年生活苦の為労務者となって出かけた末弟直吉叔父は「イシハイケン、シカタナイ。」と中国人に慰められ体調失格の為すごすごと帰国して来たのですが、直吉叔父のすんなりした体と異い、熊のような頑丈な伯父は目的を達して資金を作ることが出来たと云うことです。
私は人に云はれたことがある。鹿児島の人は何であんなに学校学校と学校に入りたがるのですかねぇと。