『危機管理のノウハウ――信頼されるリーダーの条件』佐々淳行著 レビュー


「もしものとき」に人は、何に頼り、誰を信じるのか。危機の現場から生まれた、本物のリーダー論。



著者紹介――「危機管理」という言葉を日本に根付かせた男


佐々淳行(さっさ あつゆき)は、1930年12月11日に東京に生まれ、2018年10月10日に87歳で逝去した日本の警察・防衛官僚であり、危機管理評論家である。
東京大学法学部を卒業後、国家地方警察本部(現・警察庁)に入庁。
その後、「東大安田講堂事件」「連合赤軍あさま山荘事件」などで警備幕僚長として危機管理に携わり、1986年からは初代内閣官房安全保障室長を務め、昭和天皇の大喪の礼を最後に退官した。 

その年譜をたどると、日本を震撼させたあらゆる事件と危機に立ち会っていることがわかる。
「事件を呼ぶ男」「さすらいのガンマン」「縦社会を横に生きた男」など、その仕事ぶりを物語る数多くの異名を持つ。 
退官後は文筆・講演・テレビ出演と幅広く活躍し、「危機管理」という言葉のワードメーカーとも呼ばれた。1993年には『東大落城』で文芸春秋読者賞を受賞している。 
本書はまさに、そのような修羅場をくぐり抜けてきた人間だけが語れる「生きた知恵」の結晶である。



本のあらすじ――66の必須項目が示す、危機を生き抜く知恵


本書は、危機の予測・防止・対処・再発防止に至る四段階のノウハウから、組織管理に必要な交渉力・統率力・情報分析まで網羅した、異色のリーダーシップ論である。 
もともとは1979年から1981年にかけてPHP研究所から刊行されたシリーズ三部作――「信頼されるリーダーの条件」「闘うリーダーの条件」「危機に強いリーダーの条件」――がその源流であり、後に三部作が一巻にまとめられた「完本」として文藝春秋から出版された。
情報感覚・組織管理・決断と責任・闘争と交渉・権力意志など、真のリーダーシップを発揮するための必須項目は全66に及ぶ。 

Part1の目次には「序章:日本人と危機感覚」「第一章:情報感覚」「第二章:危機対処」「第三章:交渉力」「第四章:統率力」「第五章:組織管理」が並ぶ。Part2では「危機をのりきる発想法」「危機シフトの人事管理」「任務付与と指揮命令」「闘争と交渉」「危機対処の組織管理」「兵站補給」が続き、Part3では「集団的危機管理能力」「危機対処の発想法」「言葉による危機管理」「危機型指導者の姿勢」「危機型指導者の資質」が締めを飾る。 

本書は古今東西の様々な危機とリーダーについてまとめられたケース集となっており、特に第二次世界大戦から戦後にかけての数々の事件とその舞台裏については、著者の経験に基づく見解が述べられており、現代史の読み物としても興味深い。 

扱われる事例の射程は驚くほど広い。
ハンガリー動乱、湾岸戦争、あさま山荘事件といった国家的危機から、組織マネジメントの失敗例、歴史上の戦争における指揮官の決断まで。
単なる警察官僚の回顧録にとどまらず、古今東西の歴史を横断しながら「危機のとき、リーダーはいかに行動すべきか」という本質的な問いに迫っていく。


読者への示唆と学び――「危機は日常の延長線上にある」


本書が一般の読者にとって最も価値ある点は、「危機管理」を警察や軍隊だけの特殊な話として矮小化しないことだ。
著者が繰り返し強調するのは、危機管理の本質は平時のマネジメントと地続きであるという事実である。

まず、情報をどう扱うか。
 著者は「情報は天然物質ではない」という有名な一節で本書を開く。
情報は自然に転がっているのではなく、意図的に集め、分析し、共有してこそ初めて機能する危機の場においては特に、誰が何をどのタイミングで知るかが生死を分けることすらある。現代のビジネス環境でも、早期の情報収集と適切な共有がリスクを最小化することは言うまでもない。

次に、平時の人事が有事を決める。
 本書は「危機シフトの人事管理」という概念を提示し、危機において機能する組織は、平時からそれを見越した人員配置と訓練を行っていると説く。誰にどの役割を与えるか、誰を信頼できる幹部として育てるか――そうした日常の積み重ねが、いざというときの組織の強さを決定する。

そして、「言葉による危機管理」の重要性。
 危機の場面でリーダーが発する言葉は、チームの士気を左右し、交渉の行方を決め、時に社会全体の空気をも変える。
佐々氏はあさま山荘事件の現場での広報対応にも直接関わっており、マスメディアへの情報発信や対外的な言語戦略の重要性を身をもって体験している。いかに正確に、いかに適切なタイミングで、いかに揺れのない言葉を発するかは、現代の企業リーダーにとっても核心的な命題だ。

さらに、「遊び駒をつくらない人遣い」という思想は深い。
平時においてすら、優秀な人材を机の前に縛り付けることなく、現場で経験を積ませ、組織の柔軟性を担保する。
リーダーは自分の周囲を「イエスマン」で固めるのではなく、信頼できる独立した判断力を持つ部下を育てなければならない。それこそが本当の組織の強さだ。

これらの教訓は、企業の経営者であれ、中間管理職であれ、あるいは家庭や地域社会を担う立場の人間であれ、普遍的な示唆を与えてくれる。危機は突然訪れるものではない。その種は日常の中にある。


本のハイライト――心に刻まれる言葉たち


「情報は天然物質ではない」

佐々氏がPart1の冒頭に置いたこの一文は、本書全体を貫くメッセージの凝縮である。情報は意図と工夫なしには存在しない。受け身でいる限り、危機を先取りすることなど不可能だという覚悟が込められている。


「遊び駒をつくらない最新の人遣い」

組織の硬直化を防ぎ、有事に即応できる体制を平時から整える。この発想は、現代のアジャイル経営やジョブローテーションの概念にも通じる、時代を超えた組織論の金言である。


「危機管理のノウハウは、危機を起こさないためにも重要」

これは本書の読者たちが共通して感じ取ったメッセージだ。危機管理とは事後対応の技術ではなく、危機そのものを未然に防ぐための知識と姿勢の問題だという視点は、すべてのリーダーが内面化すべきものだろう。


「ことばによる危機管理」

Part3に置かれたこの章タイトルそのものが示唆に富む。危機において言葉を操る能力はスキルではなく、責任である。何を言うか以上に、何を言わないか、どう言うかが問われる。


個人的な考察――偉大な実践家が残した「限界」と「遺産」


本書の最大の強みは、著者自身が修羅場の当事者であるという一点に尽きる。机上の空論ではない。血の通った体験から紡ぎ出された言葉には、独特の重みがある。
理論書を読んでいて感じるような「きれいごと感」がまったくなく、「実際にはこういうことが起きる」という生々しいリアリティが随所に滲み出ている。

一方で、本書に対してはいくつかの批判的な視点も必要だろう。

テクニカルな部分については内容が古い部分もある。紹介されるケースの多くは治安・国防・外交といったあまり身近ではない世界のものだ。 
実際、本書が最初に書かれた1970年代後半から80年代初頭は、インターネットも携帯電話も存在しなかった時代であり、SNSが一夜にして世論を動かし、フェイクニュースが危機を加速させる現代とは根本的に環境が異なる。
著者自身がサイバーテロや情報化社会の危険性についての先見性を持っていたことは評価できるが、本書の内容がその変化にどこまで追いついているかは、読者自身が補完的に判断する必要がある。

著者の帰納的なアプローチ――膨大なケーススタディを並べることで教訓を示す手法――は、わかりやすい理論やフレームの提示が弱いという指摘もある。 
確かに、体系的な「マニュアル」を期待する読者には物足りなさを感じる部分もあるかもしれない。

それでもなお、本書が現在も読まれ続ける理由は明快だ。
危機管理における人間の本質――リーダーが孤独な決断を下す瞬間の重さ、組織が硬直するメカニズム、情報の欠如がいかに致命的かという真実――は、時代が変わっても変わらない。
佐々淳行という特異な経歴を持つ人物が自らの言葉で語るその真実は、どんな教科書にも代えがたい価値を持っている。



こんな方に読んでほしい


- チームや組織を率いるリーダーの立場にある方
- 企業の危機管理・リスクマネジメントに携わる方
- 昭和史・現代史に興味がある方
- リーダーシップ論・組織論を広く学びたい方
- 有事の際に「自分はどう動くべきか」を考えておきたいすべての人


まとめ


「危機管理」という概念が日本に根付いていなかった時代に、佐々淳行はその重要性を声高に説き、自ら実践してみせた。
本書はその知恵の集大成であり、今もなお色褪せない日本版リーダーシップ論の古典である。派手さはない。理論は体系的とは言いがたい部分もある。しかし、実際の危機を生き抜いた人間だけが書けるリアリティがこの本には宿っている。

変化の激しい現代において、真の危機は予告なく訪れる。そのとき頼りになるのは、平時から積み重ねてきた思考の習慣と、自分を信じてくれる人たちとの信頼関係だ。本書はその「準備」のための、得難い羅針盤となるだろう。



書誌情報

タイトル: 危機管理のノウハウ Part1――信頼されるリーダーの条件
著者: 佐々淳行
出版社:PHP研究所(ハードカバー1979年、文庫1984年)
完本版出版社: 文藝春秋(1991年)
電子版: PHP研究所より2022年配信開始
ジャンル: ビジネス・経営・リーダーシップ・危機管理