向上心のないやつはばかだ

夏目漱石の「坊ちゃん」の有名な、先生のセリフ

教科書にはこのKを自殺においこんだ告白をする手紙だけが載っていることが多くて

それでもぼく自身は一冊ちゃんと通して読んだことがあるはずなのだけれど

ほとんど主人公との会話が頭に残っていないのは情けない限り

 

ただかやっぱり、ばかだ、の言葉の印象は深い

 

物語の中での意味合いはまた違うものだ

 

学生が学業に向かう意味合いが

時代や立場も違うので登場人物たちの中での意味合いが違うのは当然で

それは置いといて

 

言葉、台詞そのものが持つ衝撃があるのだと思う

印象によく残っている

 

向上心は地図だ

向上心とは何かってことの根本をよくよく考えておく必要もあるとぼくは思っている

 

ただここでは言葉通りに向上を望む心ってことにしておいて

 

たとえば

成績がこのくらいこの順位でこの成績で

この問題がどのくらいの時間で解けて

どの大学に行きたくて

 

こういう目標や自分の課題として設定するものが向上心だ

 

自分はこうなりたい

自分が望むものはこれだ

そういうあらゆる目標を決めるのに必要な根本的な欲求だ

 

基本的にはだれでももっている心だと思っているが

その強弱がある

 

そして

 

きちんと見ているか、向き合っているかどうかに違いがある

成績をあげたい、試験の点数をあげたい

なのにやるべきことを意識できていない

そういう学生は結構いる

目の前の課題の面倒くささ

勉強に向かい合うつらさ

日頃は勉強以外にもしなくちゃいけないことが多いせいもある

 

目標のために何が必要かって考えてない学生が多いのは残念なことだ

 

たとえば宿題がでているとして

数学の23ページの問題の大問2つがでているとして

これをこなしたら今日の勉強が終わるかどうか

 

終わる学生もいる

きちんと理解できていたり

ほかの勉強に時間を使うつもりであったり

そも優秀で勉強をあまり必要としていなかったり

 

だけど

勉強が遅れている

成績をあげたい

それなら他の問題を解いて復習したり間違いの原因をさがしたり

やらなきゃいけないことは見えてくる

 

もっと言えば

宿題は資源であって

自分の目標の地図にしたがってその使い方を考えるべきで

宿題はペースを測る指標なのでそれをやっていればいいってことはまずない

 

超進学校では大量のそれもなかなかの何度の宿題がでることもあるけれど

そういう場合でさえ

なおさら難問でない基本の演習をつむ時間が別に必要になるものだ

 

向上心のないやつはばかだ

 

目的地を設定するための地図がないと

まったくでたらめなことをしてしまうかもしれない

行先がわかなくても進むことが大切なときもあるかもしれない

でも地図があるにこしたことはない

まわりくどい言い方になっているけれど

 

計画できないと効率的な勉強ができないから

ばかのままだ

ばかでなくなるための成長が遅くなるってことだ

 

望みがあるなら

なんとなくでもいいからしたいことがあるなら

それを地図上の目的地にして

具体的な進路、実行方法を決めて

実行するのみだ

 

 

センター試験まで2か月半。

2次試験まで3か月半。

 

というのが一般的な受験のスケジュールだろう。

特に国公立を想定すると。

 

(私立含めいろんな受験の形態があるので

各学生によってもちろんスケジュールはまちまち)

 

3か月でできることっていうのはたくさんある

 

そうはいっても当然のことながらなんでもできるってわけではない

 

これとこれとこれ

 

やるべきことやらなきゃいけないことを意識して取り組まないと

正しい努力ってできない

 

 

田村淳さんが青山学院大学の受験に挑戦しているらしい

正直まあ無理だと思う

そう簡単に入学できることは大学教育の質を疑わなきゃいけなくなるから

青山学院大学の質、仰々しくいうと格を大きく損なう迷惑なことだとも思う

 

出身でもない大学の心配をするのもどうかしていることだし

いらゆる全入学時代に大学教育の全体としての質を「疑う」のもいまさら感はある

 

大学教育は開かれているべきだと思う

多くの人が学ぼうと思って学べるってのは絶対的にいいことだと信じる

でも大学が人を選別することにもやはり意味があって

(経営上の問題もあるのだろうけれど)

オンラインや独学で学ぶ以上の価値がまだあるとしたら

そこに到達するにはそれ相応の資格・能力・労力が求められてしかるべきだ

 

苦労しろ、ってことがいいたいわけでもない

受験がエンターテインメント化するのが不謹慎とかいうわけもなく

だってそれらは他人の勝手だし

ある意味ではすでに手遅れなところもあって

またある意味ではエンターテインメントであることが正しいという見方もできる

 

とはいえ形だけだとしても宿題なり課題なりを3年間こなしている学生が

多分1年は少しはやる気をだして、少なくとも半年はかなり力をいれて、

本気で3か月勉強するだろうその努力に

その3か月だけで対抗しようってのは無謀だろうと思う。

 

ましてや多くの学生はもっと長くの時間を

もっと多くの資源を学習に投資している

 

もちろん

abemaTVの告知だけはみていたけれど放送を見てみて

やっている方法論だとかスケジュールは正しくて

やる気や前向きな姿勢は好感がもてる

1年、あるいは半年を勉強に使えるならもっと違ってくるはず

 

正しい努力、には具体的な作戦が必要だ

そして同時に資源、特に時間もある程度は必要だ

 

3か月の闘争はあっという間だ

それでも苦しい時間だ

ぼくは努力はすばらしいと無条件に思ったりしない

けれど素直に、単純に


頑張れ、と思う

 

ぼくも頑張ろう、と思う。

自習や自主練について

今日はやることがないなあ、

と思ったことがあるなら

意識の「改革」、といっても大げさでないくらいに

考え直してことにあたったほうがいい

 

やることがないは最悪

やることがないって考え方、発言、行動選択は

 

第1に

思考の停止

例えばあたえられた課題をこなすことは基本的なことで

しかし設定された課題しかこなさないようだと

それは単に時間を勉強している格好だけしているだけで

何が要点なのか何が重要なのか

どうやって考えるのがもっと効率的なのか工夫することを放棄している

こういう頭を使うことは単なる暗記だってより効果をもたらす

それをしないのは時間の無駄だ


第2に

自分の生活の認識があまい

昨日は何をして

今日は何をすべきで

どういう課題が残っているのが

今自分が何を取り組んでいる作戦、プロジェクトは何なのか

日ごろから考えていないことの影響がはっきりでている

 

第3に

やる気がない

やる気がないこと自体はおおきな問題ではないけれど

やる気がない状態になっていることにきづかないで

やることがないっていうなんだかもっともらしい言い訳になっていることが問題

 

 

やることは本来与えられるものではなく

自分で決めることで

自分で工夫できないまま

工夫しないままだと頭を使わないままだと

成長はしない

やる気スイッチ、はだいぶ前の大手学習塾のCMで広まった言葉だったと思うけれど

やる気やモチベーションは「意識的に起こすものだ」

という認識はもっと広まっていてもいいような気がする。

オンとオフを操作できるという考えを背景にしたCMだったと思うけれど

そのスイッチはだれかが押してくれるものというメッセージになってしまうのかもしれない。

 

そのうちでてくるものでも湧き上がるものでもなくて

そう簡単にオンとオフが利くものでもないのは確かだけれど

意識して切り替えることができるものなのは確かだ

 

やる気がおきない、は言い訳でしかなくて

モチベーションが足りない、は的をはずした助言なのだ

 

よく知られた事実として

やる気は動いているうちに

行動しているうちについてくるもの

 

勉強は始めてしまえばなんとなく勉強は続くもの

あなたが勉強することを習慣化できていたり

机に向かったり本を開いたりすることが苦にならない状態にあるなら関係のない話だけれど

続けられなかったり集中がすぐにきれてしまったりすることがあるかもしれない

 

続かないのは疲れてしまうだけで

休憩を適切に挟めば、やっぱり続くもの

結局のところやり方が間違っていることが多い

 

時間を区切ってやる(15分とか20分)

取り組む時間とその日の課題を決めてやる(10分とかで十分終わる量)

 

それでもできないなら

もっと違うところ、あるいは深刻なところで疲れているかもしれない。

いったん勉強するとか忘れて別の問題を探したほうがいいと思う。

やろうとしている勉強が本当に必要なのかとか。

勉強とか関係なく悩んでいることがないとか。

 

結局勉強も時間を使う努力である以上、スポーツのように心身の状態に影響をうけるから。

まずは机に向かう時間を決めてしまうこと

あなたが特別な「状態異常」でないとして

勉強に気が向かないときに大切なのは

 

机に向かう時間を決めること

 

やるきがあるとかないとか関係なく勉強の姿勢をつくること

 

勉強にかぎらず気の乗らないときには

始めることが最も大きな障害だ

 

始める姿勢をつくることをただ一つの課題にしよう

 

それができたら勉強をはじめよう

本を開こう

 

もっと言うと

本を開いた状態で

筆記用具を放り出したままで

それでもいい机を用意できるといい

 

次に始めるときのハードルをぐっと下げることができる

 

(これは「意志力」の消費を抑えるという意味でもよいとDaiGoさんの本で読んだ)

 

 

掃除や部屋の片づけや

朝起きることや運動や

 

特に新しい習慣についてははじめるハードル、続けるハードルをさげること

 

なんにしてもやらないことには訓練にならないし

力はつかない

結果を出せない

 

やるきスイッチなんてものはない

やる気がでてきた、と思うことにつながる行動を自分で設定できているか

 

そういう決め事をできているか

っていうやりかた、習慣の話だ

一日は24時間しかなくて

それはあたりまえのことだけれど

あたりまえだから大切にしないといけない事実だ

 

今日24時間の中でいったい何ができて、何ができていないのか

 

時間当たりの効率ですべての事柄を測ることにはそれほど意味はないし

それは自分の一日の価値を損ねる可能性も確かにある

 

だから時間を無駄にしたように見えることにも意味はある

 

それはそれとして、大前提として

勉強は今日何ができたのかの積み重ね

こと勉強に関しては

いったい今日、たとえば1時間でどのくらいの問題を解いて

どれくらいのテキストを読み進めて

なんページくらいのノートをまとめて

最終的に、どのくらいのことが「できる」ようになったのか

 

自分が何を今日できるようになったのか

明日は何をできるようになるのか

 

きちんと整理するようにしたほうがいい

しなくちゃあいけない

 

なんとなく進めてなんとなくやった気になって

それではうまくいったりいかなかったり再現性がない

 

このやりかたならうまくいく、

うまく続けられて結果がでる、

ってやり方をしなくちゃいけない

 

それができるようになるポイントは2つ

 

①学習の最後、あるいは一日の終わりに振り返りをすること(次の課題もなるべく整理する)

②記録をつけること

 

慣れた人、優秀な人は①と②を自然とできる

勉強の習慣に慣れていない人、能力の低い人はこれが意識的にできてない

意識的にやったってうまくいかないことさえある

 

とくに記録をつけることは大事。

テキストにやった印をつける。理解も記録する。

手間でなければノートに表をつくるのもいい。

今日やったことが数字としてでてくる。

評価も分析もできる。

これだけで勉強の効率はぐっと上がる。

 

長期的であれ短期的であれ

 

計画を自分の中につくれる人は

 

次の段階としてその計画の自己評価ができる

 

もちろん目の前の課題をこなすだけのレベルにとどまってしまう人もいて

好奇心とか向上心が必ずしも良好な戦略につながるわけではないということもわかっていて

それは当然、そうなのだが

 

計画のない人は、じゃあ次どうしようとか考えることができない

できていない

 

もっと効率的に時間を使おう、

とか

もっと練習量を増やそう

とか

 

確かにそうなんだけれど

じゃあ今勉強に使えている時間は何時間で

例えば1時間あったら何ができるのか

5分の空き時間があれば何ができるのか

今どのくらいの演習に対してどのくらいの点数が取れていて

どのくらいの演習量を増やせばいいのか

単純な演習量ではなくて部分的に焦点を当てたような質の改良がもっと必要なのか

 

そういう改善は計画がないとできない

試行錯誤しているようでいて

毎回違うちぐはぐなことの繰り返しで

上手くいくかどうかはそれでは運しだいだ

 

計画性があるかどうかは自分のこれからに関心があるかどうかが大きな決定因子だ

そして計画を改善していけるかどうかはこれからをよくすることに感心があるかどうかが重要だ

 

そしてそういう計画をより洗練されたものにできるかどうかは

実際の進捗を数値化できるか

成果を意識してとりくんでいるか

端的な方法としては記録がとれているか

 

手帳とかの記録をきちんとつけていることも大切。

人に何かを教えるときに感じることは

 

その人が何かを学ぼうという意識のある人か、

何かを教えてもらおうという意識でいる人か、

 

っていう違いが大きくその人の成長に関係しているかってこと。

 

それは好奇心といえるかもしれないし

向上心といえるかもしれない。

 

教える側としては好奇心は教えることはできなくて

向上心を育てることもやっぱり難しい

 

こっちが面白いと思うことをたくさん見せてあげて

その中で好奇心を刺激してあげることはできるだろうし

何かの成功体験を通じて「やる気スイッチ」を押すこともきっとあるのだろう

 

だけど多くの場合、

多くの環境では

少なくとも受験勉強、受験指導という中では

これと知識や解答力の養成はいびつに平行していて

きっと順序をもっていたほうがいいのにと思わされることが多いのに

実際的な要求の中でそれがかなわないのは頭が痛い

 

あるいは

 

ぼくら自身が学ぶときには

自分がどういう姿勢で勉強に臨み

勉強の計画を立て

実行できているのか認識できているか考えることができているか

考えても頭が痛い

 

 

自分で目標が見えている人は

その目標が正しい目標設定かどうかってのも実は重要だけれど

とにかく目標設定ができている人は

目標とまでは言えなくてもこれをやってみようと思える人は

これから何をやろうっていう段取りや計画が自然とできる

 

具体的には

この1時間でどの教材で何を学習するか

を明確に考えることができる。

 

やれと指示されたことしかしない人には工夫がなくて

工夫がない人にはより効率的な学習ができない

もちろん長期的な計画性があるかどうかがものすごく重要なのはいうまでもないけれど

ずっと短期的な目の前の行動を段取りできるかどうかはその人の

つまりは

ぼくらが

あなたが

前向きか(気持ちがどうかって精神論でなくて行動方針として)どうかってことが大切だ。

 

勉強するときに机に突っ伏すようにして勉強する人っていますよね。

ぼくにはあれがどうにも理解できない。

もう何を勉強しているか見ないでもこいつはバカなんだろうなと

乱暴に判断してしまいたくなるくらいに理解できない。

 

自分が机にもたれてしまうときって

結局飽きてしまっていたり体がしんどいときなんですよね。

 

つまり、

姿勢がくずれているときは

集中が切れてしまっているときで

疲れてしまっているときで

 

そんな状態で勉強なんかするべきじゃない

 

気分を切り替えるための工夫なり努力なりをしないと

はっきり言って、無駄な時間を机の前でしていることになる。

 

座ったままの姿勢は実際疲れる姿勢だってのはわかるんですが、

背筋を伸ばして気道を開く姿勢は集中するのに適している。

取り込んだ空気、酸素を肺にしっかり送り込むことができるし、

背筋に力が入って眠気も防止できる。

 

社会人になって働けばもっとわかると思いますけど

真剣に仕事している人間でつっぷすような人は皆無ですよ。

 

寝転んで、ペースを落として作業を進めるってときは、まあありますが。

何かをインプットするような勉強には絶対に向かない。

アウトプット型の勉強では一時姿勢を崩してもいいのかもしれないとは思います。

それでも、思い切って寝転ぶとかの方がましで、

なんにしても背筋は伸ばした方がいいんだろうと思います。

感覚的な、経験的な判断になってしまいますが多分そうでしょう。

 

こういう、どういう状態で勉強すると力がつきやすいとか

逆に力がつきにくいとか、力が発揮しやすいとかしやすくないとか、

それを自覚できていな人、気づこうとしてない人って結構多いんですよね。

 

自分の状態がいいのか悪いのか認識できるっていうのは、

スポーツなんかに置き換えるとずいぶん当たり前だと思うんですけれどね。

時間の使い方の話をします。

 
ぼくは貧乏です。
その原因はいくつもあるとは思いますが
端的に
 
成績が悪かったからであって
成績が悪いような人間だったからだと
 
そう、主たる要因を分析しています。
そしてその成績が悪い人間は時間の使い方が悪い。
 

時間はすべての人にとって唯一平等な資源である

とはだれの格言か知りませんが確かな事実です。
 
確かに時間当たりの生産性、
つまり一時間でいくら稼げるかとか
一時間でどれくらいのことを覚えることができるか
調べることができるかとかという点で見れば
時間投資から得られる結果は平等ではないかもしれません。

 

世界の、地球のどこにいるかで

生活に使える絶対時間は変わるかもしれませんが

それはぼくらにとっては重要なことではない

 

間違いなく、

成績優秀なあの人も

お金持ちなあの人も

忙しい人も

あなたも

24時間という同じ一日を与えられているのは間違いない

 

だからこそ

その時間をどう使っているかに意識が低いってことは

自分の財布の中身に意識が低いってことで

散財癖があるようなものだとぼくは思います。

時間の使い方がへたくそな人間は

十中八九、お金の使い方がへたくそで

それは浪費によって貧乏になるということでもあるし

学生にとっては

成績を上げたり

研究をまとめたりするうえで

望む成果をあげるのに苦労する、

時間の使い方がうまい人間より苦労する

ってことです。

 

偉そうに書いてみますが

これは経験則でもあって

振り返って、

自分の目標を達成できた期間と

そうでない期間

特に大学時代に単位をぼろぼろ落として

絶望的な思いを抱いた時期を考えると

やっぱり時間管理が「ざる」だったんです。

 

比べて

思うように結果が出せたり

精神的な満足が高い時期

高校時代に校内で上位の成績を維持できた期間や

仕事を始めて新しいことを順調に覚えていくことができた時期は

自分の時間の使い方が固定的で

よくも悪くもルーティーンをこなしていた

そしてそのルーティーンは決してだらだらしたものではなく

休憩時間を含めて緻密なスケジュールになっていました。

もちろんこれはぼくの実経験であって

時間の使い方の正解ではありません。

 

お金を稼ぐ時間の使い方の正解はまだわかりません。

でも勉強のための時間の使い方、

つまり成績を上げるための時間の使い方はわかってきたので

そのうちお金に関してもつかめるだろうと思います。

その、時間をどう使えばいいか具体的に踏み込んだ話は別の機会に。

 

要点だけ。

自分の求める目標達成に対して

その成果の見込める時間を努力に費やせているか

つまり

適切な時間投資ができているか

 

なんとなく勉強したりトレーニングしていると

なんだか頑張ったつもりになってしまうものです。

それを頑張ったと評していいものかあいまいに一日を過ごしている人は意外に多い

 

特にスマホを代表にモバイルデバイス発展してからは

その傾向が強くなっているはずです。

SNSを見ているときがつくと時間を浪費してしまい

げんなりしてしまうことありますよね。

ぼくはそれに気づいてからチェックに使う時間は決めて制限しています。

 
スマホの使用が現代人を愚かにする
とは大げさに過ぎる表現だとは思いますが
スマホの使い方を見ればその人が愚かかどうかは判別は
容易な気がします。
デバイスに使われているか
デバイスを使っているか
 
時間を使っているか
時間に流されているか
 
あなたはどちらでしょうか。
理科系科目の勉強法の基本は以下の3点
 
基本問題を解く
練習問題を解く
応用問題を解く
 
他の科目と基本的には同じです。
基本的な知識をきちんと習得した後に徐々にステップアップを図るという流れをとりましょう。
もちろん「完璧」に覚える必要はありません。全体の内容がある程度抑えておけたら大丈夫。
1単元というよりは収録されている1章分くらいの概要をつかみましょう。
広すぎるように感じて気持ちが萎えるようなら1単元でももちろん構いません。
 
まずは用語などの基本を押さえるために教科書、あるいは参考書を読みましょう。
次に練習問題を解きます。
教科書で調べながら解いてもよいですし、少し考えた後は答えを見ましょう。
解説をしっかりよんで抜けている知識がなんなのか確認しましょう。
必要なら関連することを教科書で読んで復習しましょう。
どんな問題があってどんなふうに知識を使うのかを確認することが最初の目的です。
 
練習問題が理解できたら応用問題を解きます。
注意は練習問題での基礎知識確認を十分に積んでから進むことです。
応用問題を解くときも初見で正解することにはこだわらず、わからなければ調べる、または答えを見て必要な知識や問題を解く上でのポイントを確認したらよいのですが、問題が難しく感じすぎるような状態では挫折してしまいます。
 
練習問題を自信をもって解けるくらいに基礎が十分固まったと思ってから応用問題に進む、というくらいでよいでしょう。
 
基本を押さえながら反復学習することが理科系科目においても大切です。

 

【お勧めの参考書】