北陸のレコード歌謡 -2ページ目

北陸のレコード歌謡

新民謡、社歌、俚謡etc

戦前の俚謡(民謡)や新民謡レコードの吹込みには、地域の芸妓連が担っていることが少なくない。そこで、その辺りの時代背景を知る必要にせまられる。

昭和11(1936)年ごろ人口10万弱の富山市の場合、花柳街は桜木町と東新地の2個所。芸妓数は桜木町40余名、東新地は約150名だという。地方の県庁所在地でも芸妓が多い。

方角から通称で、三業地の東新地は「東」、二業地の桜木町は「西」といわれていたらしい。
東新地は東廓(とうかく、あずまくるわ)、桜木町は桜街とも称された。

三業地は、芸妓置屋、貸座敷(待合)、料理屋の3業の営業が許可された地域。貸座敷は遊女屋のこと。二業地は、芸妓置屋、料理屋の2業。許可地の組合を三業組合、二業組合という。

東新地では太棹三味線で義太夫節の「三勝半七」を語る芸妓、調吉。腕一本で叩き上げ2万円を蓄財したという芸妓の半七も、義太夫がうまかったという。

桜木町では小原節で知られた芸妓の高千代。ビクターでは軍国おわら節のレコードなどを吹込んでいる。

東新地のある芸妓は、ビクター専属の市丸(芸妓出身)に顔が似ているので、市丸と源氏名がつけられ、流行歌も上手かったらしい。

桜木町のある芸妓はポータブル蓄音器持参でお座敷に現れ、ダンス芸者として大向こうを唸らせていたとのエピソードも残されている。