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2023年もあと少し私の近況としては、毎日色んな事が変化しては次に繋がっていくような忙しくも楽しい日々を過ごしています一般的に良いと思われる事も悪いと思われる事も両方を良い事に結び付けるのを得意とする私の”単純な能”です”単純”というのは、混じりけが無いとか条件が無いとか、込み入ってないとか素直だとか辞書を引かずとも分かる”単純”な意味になりますが単純な故に複雑な事を考えるのも面白いと思える事があったりもしますなので、前回と同じく”哲学のような事”を書きます少し前に私の好きな漫画”ブラック・ジャック”がAIとの共同作業で新作が出てました内容は読んでもらうのが一番だと思います、私は面白かったです。作中にピノコがロボットと人間の違いをブラックジャックに問うシーンがあるのですがそれと似たような事を思い出しました”人はどこまでが自分なのか”ですここからメンドクサイナイヨウをだらだらと気ままに書いていきます( `ー´)ノ人はどこまでが自分なのか”自分は自分を自分と何故疑わずに自分と思えるのか”ですこれは肉体的、精神的の両面でのことです全身を整形手術をしたら別人になれるのか?”単純に”ヘアスタイルを変えたりダイエットや筋トレと何も変わらないような・・・細胞は常に生まれ変わってるのに1歳の頃と60歳の自分は同じ自分なのか?・・・テセウスの船、テセウスのパラドックスを知ってる方も多いと思います船を何度も修理して部品を交換しても最初の船と今の船は同じ船なのか?というパラドックス最近見たニュースでは元反社会的な活動をしていた人が社会の役に立とうとボランティアを自ら進んでされてました悪い事をしていた人が良い事をする、これも行動や意識が変わっただけでその人自体が別の人になったわけでは無いですそもそも別の人になる方法は今のところドラえもんの道具に頼るしかないのですが”別人のように人が変わった” ”男子三日会わざれば刮目して見よ” のような言葉がありますが人は他人から見た客観的な自分が”自分”なのかそれとも自分を主観で認識している自分が”自分”なのかそもそも自分が自分を”自分”と認識したのは”いつ”なのか・・・その認識は確かなものなのか曖昧な記憶が作った不確かなモノでは無いのか?と考えたりしながらアンコたっぷりのお饅頭をコーヒーで流し込みタバコを吸って好きな音楽を聴くこれが私です。自分以外の何者でも無い自分です。常に変化し”今が全て”の瞬間を連続して感じている自分が自分です徐々に胡散臭い宗教の勧誘のような内容になってきたのでこの辺で終わります(-。-)y-゜゜゜・・・幸せになれる石を1個1000兆円で販売しようと思います・・・哲学を読んだり考えたりする事は好きなのですが哲学について語り合うのはあまり好きじゃありません私のブログの内容のように垂れ流すだけの無意味な行動(私個人の事です他意はありません)は好きなのですが(無駄の美学です・・・嘘です)もし哲学を語り合うような場面に出くわしたりしたら・・・そんな事よりガチャピンが恐竜でムックが雪男の設定についてどう思う?恐竜が二足歩行?雪男なのに赤い色なのってなんでだろうね?・・・・・・と言いたくなる感じです( `ー´)ノ何が言いたいかというと・・・自分の思う”自分”と他人の思う”自分”の相違点を探したところとて自分は”自分”・・・とういう事です自分がオブザーバー(観察者、傍聴者、立会人など)となり、自分が自分を自分で見直すのも楽しいものだと思ってたりもします・・・オブザーバーと書くと浄水器の部品の名前?と思ってたりもしますフーリードリヒ・ニーチェ 「曙光」より抜粋自分に対していつも誠実であり、自分がいったいどういう人間なのかどういう心の癖があり、どういう考え方や反応をするのか、よく知っておくべきだ。(中略)自分さえも知らずして、相手を知ることなどできないのだから。