考え方
カフェでの出来事。そのカフェはセルフでお水も紙コップが用意されていて自分で入れてテーブルに持ってくる。小さめの紙コップは可愛い。ある外国人親子が入ってきた。母親と男の子3人。母親1人珈琲を頼み子供たちは何もなし。(紙コップに入れたお水のみ)何も欲しいものがなかったのかな。暫くしてふと見ると男の子の1人が大量に紙カップを持ってきて組み立てて遊び出したそうするともう1人の男の子も数枚の紙コップを持ってきて加わった。そして最後の男の子も持ってきて組み立てて遊んでいる。その様子を母親はスマホで写真を撮る。注意はしない。ざっと見ただけで20枚以上は使っていた。カフェのスタッフは気づかないとは思えないけれど…気づかないのか?何も注意をしない。私は…私なら注意をするだろうと思った。母親としてもスタッフとしても男の子たちはカフェを出ていくときに大量の紙コップを持って出ていった。ある意味良かった。それをそのまま元の位置に置かれては困る。あるイギリスに嫁いだ人のブログを読んだ。子供が空手を習っていてそこに二組の親子が習い事に通うことになった。そのうちの1組は2ヶ月たってもその子供たちは空手着を着ないでTシャツにジーンズで練習をしていてまだ小さい下の子供は土足のまま練習場で走り回りそれを注意もしないでスマホをいじっている母親。グズリ始めるとiPadで大音量でアニメを見せる。日本人のその人は土足も大音量も気になってしかたがない。でも、空手を教えている先生は何も言わない。何故?不思議に思ったその人は空手を習っている夫にコーチに何故注意をしないのかを聞いてもらった。するとあの母親は2ヶ月もたっても子供にジーンズで空手の練習をさせるそれだけの気持ちしかないのだ。本気で空手を習わせたいと言う気持ちがない人だ。それならこちらもそれぐらいの気持ちでしかあの子供には 教えられない。土足禁止と書いてあるのにそれを守ることも出来ない母親なのだ。大音量が人に迷惑だと自分で分からない母親なのだ。そういう人間に何を言っても仕方がない。だからほっておく。と答えたそう。そんな考え方なんだ。私はそんな風には考えられない。気になってイライラしてしまう。そういう考え方が出来たら楽だろうなと思った。無理だけと。でも、心の中で見ない、聞かない気にしない。と思うように努めることが多くなったこの頃である。