本を読むのもお稽古です♡読書を難しくしているのは自分 | ひろみのBOOKブログ

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読書体験は自分へのギフト♡5年後、10年後、30年後の自分へ贈り物をするように読みたい。皆様と本の出会いをお手伝いできたら、嬉しいです♡表紙だけでも頭の片隅に置いておけば、書店で出会った時は、もう初対面ではありません。知ってる本なら手に取りやすい♡

「日日是好日」を読んで思ったことをもう一つ。


藤本さきこさんのオンラインサロンに
「読書のお作法」
というスレッドがあるんですが

このお作法という言葉に少し引っかかりがあったんです。
好きじゃないとかいう意味ではなく

「なんでお作法?」って

お作法っていうと
・決まり事
・堅苦しい
・古い
・自由がない
みたいなイメージがあって

元々本好きな私は、
「本は、自由に読んだらいいのに」
って、ずっと疑問だったんです。

でも、せっかくサロンに入ってるんだから
お作法通りに読んでみました。

どんなお作法なのかは、言えませんが

結論!
「すっごくいい!」笑

でも、どういいのか?
なぜお作法なのか?
それは、やっぱりわからないままでした。



そこで、「日日是好日」

作者が二十五年間、お茶を習い続けて感じたことを書いてある作品なんですが

「ああ、本を読むのも同じだ」
って思いました。

一文字一文字丁寧に読む。
感じる。

本というのは、知っている言葉の集合なのだから、どんな本でも読めるはずなんです。

難しくしているのは自分

その時にはわからなくても、ある時ふっとわかる時がくる

本を読むのもお稽古

「そっか、だから『読書のお作法』なんだ!!」

これに気づいた時の嬉しさ♡



私の大好きな本に
「クレヨン王国シリーズ」
があるんですが、



あとがきに作者のこんな言葉があります。

最近つくづく思うのは、なにごとも、早いおそいにこだわるのは、くだらないということである。
早く知ったからといって、見方がふかまるわけでもないし、おそく気づいたからといって感動があさいわけでもない。他人がみんな知っていることを知らないといって、はずかしがったりあせったりする必要はない。
おそく気づいたからこそ、目からうろこ、のように鮮烈な感動をうけることがあるし、未熟な時代に早く接しすぎて、ほんとうのことがわからないままに、もう一生感興がわかなくなることもある。
時間は、万人に同じ顔をしてみせるが、じつは、まったく個人的なものなのだ。
人が、あることをさとらなければならないという時期は、まったくまちまちである。早寝のわたしは、まだ星座になじめないが、縁があれば、星をたのしむときもくるだろう。
一さつの本にしても、読む年代によって、うける感じはかわってくる。
あせることはない。あわてることもない。
必要なものは、そのときになって、用意される。できたてのゆげをたてているものを食べよう。ゆうべから、食卓にならべてあったものじゃなくて。
それが、いい人生なのではないか。



わからないなら、わからないままで読めばいい。

読書がますます楽しめます♡