大掃除って程じゃないけど、一応部屋に掃除機かけて、シーツだけ洗いましたw
(↑いつも通りじゃねえか
w)
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激動の2011年。
日本を襲った、未曾有の東日本大震災。
全ての日本人にとって忘れられない、忘れてはいけない年になりました。
報道写真を志す者としてとにかく見ておかねばと何回かボランティアや撮影旅行に行きました。
被災地の一部ではありますが…
ひろがっていたのはショッキングな光景でした。
本当、何もないんですから…。
メディアを通じて見る光景と、五感を通じて見て、聞き、感じる光景は当然だけど全然違います。
ボランティアの合間の立ち話や、地元のスナックなどで酒を飲みながら申し訳ない気持ちで当時の状況や悩みなど生の声を聞きました
当事者として向き合うべく、改めて津波の映像を見ようとするけど、未だに見ることができない。
「乗り越えるものではない」と語っていたのが印象的ですね。
逃げることが第一で、とにかく情報がなかったそうです。
結局各局の報道部門の頑張りもあって、おそらくテレビの前が一番情報あったんじゃないかなー
「明日が見えなかった」と語る2歳の子供の母でもあったホステスさん。
子供を抱き、津波から車を置いて高いところに避難したそうです。
また、おそらく子供がいなくて、1人だったらとっさの行動は出来なかっただろうと。
自衛隊に保護されるまで、屋根の上でじっと冬の東北の寒さに耐えるという…「タイタニック」のワンシーンのような出来事が実際に起きていた
不幸中の幸いと言う表現は不適切かもしれないけど、あの震災が夜に起きなくて本当によかったと思う。
震災後、辛いことの1つが、風呂に入りたくてもはいれなかったこと。
女性だと生理用品などもないから…辛いだろうなあ
さらにこれは知らなかったけど、仮設住宅者のみ食糧配給される現実。
かろうじて家が残った人はへどろまみれの家だろうと自分で綺麗にし、食糧を確保するしかない。
こーいう状況でこそ人の本性がでる。
仙台はそーでもなかったみたいだけど、より地方の方は一時的に治安も悪かったそうで…。
食糧をタダで配るコンビニやスーパーもあれば、逆に資産を守る為に店を閉じる店もある。
ガソリンがなく車が使えないから、足を確保する為に中学生ぐらいの子供の自転車を白昼堂々掻っ攫う大人もいたそうです。
食糧と言えば、東京でも買占めてる人がいて、コンビニやスーパーにもなにもなかったですね
大荷物を抱えながら、募金してる姿は…
なんだかシュールでした。
時間が経つにつれ辛くなっていくこともあります。
亡くなった方が明らかになっていくからです。
そんな震災から立ち直り、プレハブ小屋で商売をはじる人
瓦礫をさらい、何もない土地から農業を始める農家の人
働く人を労う夜の街
震災から立ち直り、頑張って生きている東北の人達姿を見て…
おれの就活なんてちっぽけな問題だなーと思いますね。
確かに学生の就活状況は深刻です。
…ただ、東北の雇用状況はもっと厳しい。
求人情報があれば、内容も確認ぜずに応募が殺到するくらいですから。
新卒というゴールデンチケットをフルに活用するつもりですが、新入社員としては若くないし、多分落ちまくるでしょう…。
まあでも、めげずに頑張ります

やるだけやります
保険っていうのも変な言い方だけど、4月あたりから通信とかで勉強はじめて卒業までにヘルパー2級の資格をとっておこうかなと考えています。
いつかは自分自身もお世話になる可能性もある訳だし、日本は高齢化社会です。
将来的に世界中が直面する問題でもあると思し、平均寿命だけじゃなくて健康年齢も世界一になるような、世界のモデルとなるような事業・サービスができるようになれば、市場を世界中に開拓できるんじゃないかなーと思っています。
とりあえず老人介護の就職率って2倍超えてますから、2級とっておけばとりあえずは職にあぶれることはないでしょう。
今年知り合ったNPO職員で、元地元紙の記者の方いわく…
「もし旅行に行く余裕があるなら、とにかく一度被災地の状況をその目に焼き付けて欲しい。
ボランティアもいいが、それより被災地に金を落とすことの方がより復興の手助けになる」
確かになー。
瓦礫の撤去とかはトレーラーでやるのが一番だし、ボランティアにできることは溝さらいだったり、細かい瓦礫の撤去ぐらいですから。
今はそーいう段階は終わって、何も残っていない土地から構築する段階にある。
建物を建て、事業を興し、お金を循環させていく。
これから日本はより大きく変化していくことでしょう。
現時点での第1志望は写真記者として、その「変化」を記録に残す仕事がしたいと考えていますが…
時代に自分を当てはめて、とにかくガムシャラに働ける仕事・職場を見つけたいですね
来年はみなさんにとって、よりよい年になりますように…。
それではよいお年をm(u_u)m
(↑いつも通りじゃねえか
w)激動の2011年。
日本を襲った、未曾有の東日本大震災。
全ての日本人にとって忘れられない、忘れてはいけない年になりました。
報道写真を志す者としてとにかく見ておかねばと何回かボランティアや撮影旅行に行きました。
被災地の一部ではありますが…
ひろがっていたのはショッキングな光景でした。
本当、何もないんですから…。
メディアを通じて見る光景と、五感を通じて見て、聞き、感じる光景は当然だけど全然違います。
ボランティアの合間の立ち話や、地元のスナックなどで酒を飲みながら申し訳ない気持ちで当時の状況や悩みなど生の声を聞きました

当事者として向き合うべく、改めて津波の映像を見ようとするけど、未だに見ることができない。
「乗り越えるものではない」と語っていたのが印象的ですね。
逃げることが第一で、とにかく情報がなかったそうです。
結局各局の報道部門の頑張りもあって、おそらくテレビの前が一番情報あったんじゃないかなー

「明日が見えなかった」と語る2歳の子供の母でもあったホステスさん。
子供を抱き、津波から車を置いて高いところに避難したそうです。
また、おそらく子供がいなくて、1人だったらとっさの行動は出来なかっただろうと。
自衛隊に保護されるまで、屋根の上でじっと冬の東北の寒さに耐えるという…「タイタニック」のワンシーンのような出来事が実際に起きていた

不幸中の幸いと言う表現は不適切かもしれないけど、あの震災が夜に起きなくて本当によかったと思う。
震災後、辛いことの1つが、風呂に入りたくてもはいれなかったこと。
女性だと生理用品などもないから…辛いだろうなあ

さらにこれは知らなかったけど、仮設住宅者のみ食糧配給される現実。
かろうじて家が残った人はへどろまみれの家だろうと自分で綺麗にし、食糧を確保するしかない。
こーいう状況でこそ人の本性がでる。
仙台はそーでもなかったみたいだけど、より地方の方は一時的に治安も悪かったそうで…。
食糧をタダで配るコンビニやスーパーもあれば、逆に資産を守る為に店を閉じる店もある。
ガソリンがなく車が使えないから、足を確保する為に中学生ぐらいの子供の自転車を白昼堂々掻っ攫う大人もいたそうです。
食糧と言えば、東京でも買占めてる人がいて、コンビニやスーパーにもなにもなかったですね

大荷物を抱えながら、募金してる姿は…
なんだかシュールでした。
時間が経つにつれ辛くなっていくこともあります。
亡くなった方が明らかになっていくからです。
そんな震災から立ち直り、プレハブ小屋で商売をはじる人
瓦礫をさらい、何もない土地から農業を始める農家の人
働く人を労う夜の街
震災から立ち直り、頑張って生きている東北の人達姿を見て…
おれの就活なんてちっぽけな問題だなーと思いますね。
確かに学生の就活状況は深刻です。
…ただ、東北の雇用状況はもっと厳しい。
求人情報があれば、内容も確認ぜずに応募が殺到するくらいですから。
新卒というゴールデンチケットをフルに活用するつもりですが、新入社員としては若くないし、多分落ちまくるでしょう…。
まあでも、めげずに頑張ります


やるだけやります

保険っていうのも変な言い方だけど、4月あたりから通信とかで勉強はじめて卒業までにヘルパー2級の資格をとっておこうかなと考えています。
いつかは自分自身もお世話になる可能性もある訳だし、日本は高齢化社会です。
将来的に世界中が直面する問題でもあると思し、平均寿命だけじゃなくて健康年齢も世界一になるような、世界のモデルとなるような事業・サービスができるようになれば、市場を世界中に開拓できるんじゃないかなーと思っています。
とりあえず老人介護の就職率って2倍超えてますから、2級とっておけばとりあえずは職にあぶれることはないでしょう。
今年知り合ったNPO職員で、元地元紙の記者の方いわく…
「もし旅行に行く余裕があるなら、とにかく一度被災地の状況をその目に焼き付けて欲しい。
ボランティアもいいが、それより被災地に金を落とすことの方がより復興の手助けになる」
確かになー。
瓦礫の撤去とかはトレーラーでやるのが一番だし、ボランティアにできることは溝さらいだったり、細かい瓦礫の撤去ぐらいですから。
今はそーいう段階は終わって、何も残っていない土地から構築する段階にある。
建物を建て、事業を興し、お金を循環させていく。
これから日本はより大きく変化していくことでしょう。
現時点での第1志望は写真記者として、その「変化」を記録に残す仕事がしたいと考えていますが…
時代に自分を当てはめて、とにかくガムシャラに働ける仕事・職場を見つけたいですね

来年はみなさんにとって、よりよい年になりますように…。
それではよいお年をm(u_u)m