考えてみれば
2つ目の旗揚げ、
2本目の作品でした。



前の集団の公演数日前に訃報を受け、
その時私は大事な人を亡くしたばかりで
言ってみれば最底辺だったが、

あの時期を経たおかげで成長させて頂きました。



大きな正義感のおかげで引き起こされた
遺された側、
遺した側、
見守る側、
目を背ける側、
近い立場、
遠い立場、


様々なものを描いた作品だった。


未熟ながら、
未だに込めた魂が失われていない。
と思う。

次やるなら演出は変えるだろうけれど。



当時書いている最中にも
運命の人の喪失当時、5年後、10年後
を描きたいと思っていた。


実際に10年を経てやっと描く資格を得た訳だが、
何だか答えを出していいのか判らず、
ベリーシリーズやるやると言いながら
先延ばしにしている。



『襲~かさね~』は学生の恋物語のラズベリーと違い、
結婚した夫を失った義兄弟の物語だったが、
ベリーシリーズの二部目のプロトタイプとして描きました。



あんな恋を自分が出来るだろうかと、
亡くして尚、
周りの人々を愛することが出来るだろうかと
自問しても
まァ全く自信を持てないが、
自らの自暴自棄が
いたわってくれる人を傷つけたりしないよう、
描いた作品に責任を持てる人になっていきたい。



何故か運のよいことに、
ものすごく、
というかこの人アホなんちゃうかと思うほどの
物凄いお人好しに出会えてきたおかげで、
目指す明確な人柄を目前にしてこられた訳だが、
物語や劇中だけでなく
日々常にそうあることはひどく難しく、
日々打ちのめされます。



先日も旅先でバスを降りるおばあさんの手伝いしたら何の役にも立たなかったのに、
小学生の注目の的、
運転手さんのお礼、
おばあさんのお礼、
ひどく居たたまれなかった。



ラズベリーの題材となった
「命をかけた線路立ち入り者の救出」
とはほど遠い。




未だになぜ命の危険を侵してまで、
というより
命を賭して他人を救おうとしたのか、
遺された側としてのその答えを得られずにいるが、
もし得られたら
物語の厚みにすることが出来るだろうか。


せめてそうやって
命大事だよ
生きてるって大事だよ
と大声をあげて
共感を得られないかと
自分以外の方にも伝えることしか
あの行いに、
あの行いを受けて得た尊敬に
報いる術がない。



派手な報道をされた外国人に爪を噛んでも仕方ない。



受けた尊敬を還元したい。