10日は足元が悪いなか、お越しいただきありがとうございました。若干の補足をしたく存じます。基本的に講演を聴講した方向けにしておりますのでご理解いただければ幸いです。
山南茂次衛→維新前の名前は茂次衛門
父親→平戸藩志自岐十郎左衛門役人→つまり陪臣
平戸藩卒に→文政3年に供徒士~臨時雇いで禄高なし
切米3石→天保3年~それでも臨時雇い
先供役に抜擢され切米5石に→それでも臨時雇い
中小性に昇格→天保9年、一代限り卒へ(通年雇い)江戸定府
士族、馬廻へ→安政2年、ここで一代限り士族に抜擢され、禄高は二代まで認められる。
一世士族二世禄確定→明治3年、ただし翌年に廃藩置県となり、永年士族へ。
次代要作の生年→文久元年で55歳の子
つまり、息子は禄を支給されても卒の身分であること、安政2年以前は父のみが卒の身分を許されたこと、幕府の同心と違い、本当に一期雇用が多い傾向が強いこと。そこを考えたいところです。

