ご無沙汰になっています。


季節が変わって、夏になってしまいました。

去年の今頃は、どうしていたかな・・・
つい去年のことなのに、まるで思い出せません。

ただ、仕事がものすごく大変だったことは覚えてる。

というのも、この夏(正しくは先月なかば)から
すこしずつ仕事に戻っているから。

納骨を済ませ、なにやらボケッとしている頃
ボスとノリカ先輩からお話をいただきまして

今年のサマーワークをどうするか
子供たちも楽しみにしているからやりたいんだけど
正直ゆゆがいないことには進まない
もし、まだ全然復帰できないようなら
思い切って外部に委託しようと思ってる

そう言われました。

言われるまでワークショップのことなんか忘れてたけど
そうだった、生徒たちにとっては発表会と並ぶ行事の一つ。
去年はちょっと頑張り過ぎなところもあったけど
おかげで試行錯誤の割りにはかなり充実したワークを提供することができたんだった。

たしかに一つの礎になったものを白紙に戻すのは惜しまれる
去年は私はリョウと他にも自分の心の葛藤を抱え
かなりひどい精神状態だったにもかかわらず
とにかく極限まで頑張ってあれを成功させたんだもの

そこで考えた挙句
とりあえず、ワークショップ開催の準備は手伝うことにしました。

ワークの内容についてはまた次回に詳しく書くとして
とりあえず私の状況報告を・・・

納骨を済ませ
百日法要も終わり
リョウは無事に彼岸のほうへと旅立って行きました。

私は相変わらず週に一度は鎌倉に出向いて墓前に参じています。
すっかりご住職とも仲良くなり
本堂の方でお茶やお菓子を頂いたり
色んなお話を聞かせてくださったり
私も心の中を少しずつ打ち明けたりしています。

家に帰ると両親や犬たちに囲まれて
穏やかな毎日を過ごしています。
時には兄たちがドライブだの食事だのコンサートだのに連れ出してくれて
やはり少しずつですが社会復帰を目指しています。

一時期、週に2度3度の点滴を受けなければ
命の保証もできないから入院させるぞと言われたほど
落ちてしまった体重も
ぶっちゃけると42キロくらいには戻り
食べると吐くの繰り返しだったカラダも
美味しいものは美味しいと思えるように回復して来ました。

先月はひとりで電車に乗るのが怖くて
贅沢なことに毎日タクシーを利用していましたが
今月からは帰りのみ電車を利用しています。

乗ってみると思ったより怖くないし
意外と平気だな―と思うんだけど
やはり人混みに出るとちょっと苦しくなってしまいます。

知らないうちに渋谷駅なんて変わってるし
(そんなのも知らない都民だなんて・・・)
しかも去年は暑かったのかどうかも覚えてないけど
今年はどうにも暑いし、やたら雨が降るし。

でも、私なんて引きこもってようが消えてようが
世間はどんどん動いていくし
そんな中に私がひっそりと戻っても
誰も気にしないし

そんなことを考えると
意外にも、家から出るのもそう悪いものではないのかなとも思えてきます。


リョウ以外のことを考える必要が出てきて
ちょっとだけ子供たちにも触れ合って
こうして力をつけていくんだなとも実感しています。

いつまでも泣いてばかりはいられない。
いつまでも家の奥深くで過ごすわけにも行かない。

まだまだ気持ちは切り替えられないし
そう簡単には笑えないけど

ちょっとだけ
外に出てみました。



このことで安心してくれる人はいるかな。
私は元気ですとはまだ言えないけど
多分、一番悲惨な状況からはすこーしだけ浮上したかもです。

先日、夫の納骨を済ませて来ました。


先月から軽井沢に滞在していて
少し前に打ち合わせなどのために東京に戻りましたが
何か忙しくしているときや
家族と話しているときはまだ良くても
夜になりひとりになると
息をするのさえ苦しくなります。

たぶん、私はまだ現実をきちんと受け止めてないのかもしれない。

自分が一体何なのか
自分は何をすべきなのか
何を考えるべきなのか

まるでわからなくて

兄たちに話そうにも
いったい自分は何を話し何を求めているのか
それすらもわからなくて
話せないままでいます。

家にいても
ふと元気な頃のリョウが廊下の先から歩いてきたり
部屋に入ってきたり
犬と遊んでいたりするのが何度も見えてしまって

一番落ち着けるはずの「家」にいるのさえつらい毎日です。

だけど早くも四十九日を迎え
リョウをお墓に収めなければならない日がやって来ました。

彼は本当にお墓に入ることを望んでいるのか
私はそれすらもわからない

リョウは生前
実に色々な、私ではまるで思いつかないような細かいことまで
準備をしてくれていました。

お墓の手配もその一つ

鎌倉の彼の家の菩提寺の墓苑
私がお会いすることがかなわなかった彼のご両親が眠るお墓のすぐ脇に
自分のお墓をちゃんと用意していました。

実際にしてくれたのは彼のお友達だけど
全て抜かりのないようきちんと手配してくれていました。

それは
私の気持ちにも沿ってくれていて
色々と細かい手配をしてくれている彼のお友達と彼の元部下は
こんなことを言っていました。

もし、納骨することで
私がひどく淋しがり、悲しむようなら
一部を彼女の手元に残せるように手配してほしいと言っていたと

どうする?と聞かれ
それまで正直、リョウに見透かされていたように
私は彼を納骨・埋葬することを非常に恐れていました。

リョウはもういない。
でも、リョウだったものは私の手元にある。
振り向けばいつもそこにいて私を守ってくれている気がして
納骨したら私はどうなるのかしらと思っていました。

もし、手元に残しておきたいのなら
分骨壷を用意してあるから
納骨の前に住職さんにそうしてもらえるよ

と聞かれ
新たに、ああ、やはり納骨しなきゃいけないんだと
再認識したわけですが

彼の一部を手元にずっと置いておける
そう考えた時、なんとも不思議な思いがしました。

彼は死んで天国に行ってまで
私を守り見つめていなきゃいけないのかしら

手元に一部でも残して置けたなら
きっと私は少しは安心できるのかもしれない

でも本当にそれがいいことなのか私には判断ができませんでした。

するとお友達が

あと4ヶ月もするとダイヤが届くから
それまでの我慢かもしれないしね

と言ったけど
私には何のことなのかさっぱりわからなくて
戸惑っていたら

葬儀の前に相談したでしょ
彼の意向で遺骨をダイヤに変える手配をしてあるから
火葬のあとに少し遺骨を取り分けることになるけどいいか?って

と言われました。

正直なところ、まったくその辺りの記憶がなくて
きっと上の空で返事をしたんだろうけど
そんなことがあったのか、と今更ながら驚いてしまいました。

9.11のとき
NYで奥様を亡くしたリョウのお友達が
数カ月後に右手だけ見つかったということがあって
そのお友達は奥様の遺骨をペンダントにして
いつも身に着けているという話は聞いた記憶がありました。

でもダイヤに変えることが出来るというのは知らなくて
言われてみればダイヤは炭素の塊だからある程度の量があれば出来るんだろうけど
そんな手配をしてくれていたことはまるで頭になくて
そのあたり、リョウらしいなと思ってしまいました。

そのこともあり
やはり、一部はダイヤのために取り分けたとはいえ
出来るだけ完全な状態で天国に行かせてあげたい思いがあって
分骨はしないことにしました。

そして法要の当日

お墓に納骨されるリョウを見るのは
思いの外辛いものがあって
少しばかり取り乱してしまいましたが
少なくとも人並みに旅立たせることが出来るんだと自分に言い聞かせ
納骨して頂きました。

家族の配慮から
法要の前日と当日、更にその後二日間
お寺の近くに宿をとってもらい
母と二番目の兄・三番目の兄と一緒に
鎌倉で過ごしました。

私は滞在中お墓に日参し
ほぼ一日中彼の傍から離れることなく
ずっとお墓に向かって話しかけていました。

途中家族が寄り添ってくれたり
心配したご住職様がお話し相手になってくださったりということもあり
少しは私の心も落ち着いてきたように思います。

そして昨日東京に戻りましたが
コレが本当に「心が空っぽになる」ということなのかと実感しています。

彼の気配は確かにあるのにそこにはいない
頭に触れる手の感触も
耳の奥に届く声もちゃんと私にはわかるのに

やはり彼はもういないということを実感して
コレを乗り越えなければいけないというご住職様の教えにすがり
なんとか過ごしています。

変なのね
神様なんているもんかと頑なにその存在を否定してた私なのに
彼を天国に送り出すことは信じているし
御仏の教えを辛抱強く説いてくださるご住職様のお話も
今の私にはすんなりと受け入れられる

彼が「成仏」するのなら
私の辛さなんて心の底に押し込めようと思うけど
仏様になった彼にはそれもお見通しなようで



ところで彼は今どこにいるのかしら

ご住職様のお話だと
故人は百日かけて生前お世話になった方々へ挨拶回りをするそうだから
新仏となってもまだすぐには天国には行かないのかしら?

彼が亡くなってしばらくは
彼は成仏しなくても、天国に行かなくても
ずっと私のそばにいたらいいんじゃないかと思っていたけど
少しでも常識を取り戻した今ではそうも言ってはいられない。

天国には彼のご両親を始め
ご親族や縁の人たちが彼を待っているんだもの。

きっと少し待ってもらえれば
私はまた彼に会うことが出来るはず

だったら無駄に引き止めておくのもやぶさかではないし
やはりきちんと手順を踏んで
人並みに則って送り出してあげなければね

コレもご住職様のお話だけど
残された人々は
百日の間は泣いていてもいいんですって。

だけど百日目には旅立たないとだから
泣くのをやめて送り出す責任があるそうです。

葬儀も含めた一連の法要は
故人のためでもあれば遺族のためでもあるそうな

誰かがラインを引いてくれて
ここまでなら悲しんでいいよ
でもここからは気持ちを新たにしようね
そういう意味合いが法要にはあるらしい。

今はものすごく心が空っぽだけど
許される間は毎週お墓に通おうと思っています。

本当ならずっともう鎌倉に引っ込んでいようかとも思ったんだけど
母に言わせると四十九日を過ぎたらお香典返しというものをしなくてはならないらしく
土曜日に家族で色々とその相談をすることになっています。

お香典返しには
お付き合いの深かった方から直筆でお礼状を書くものだそうで
そういった遺族の義務を果たすためには
やはり都内にいなければならないようです。

家族も
リョウのお友達も元部下さんも
色々と手伝ってくれるどころか
私ではまったく何の役にも立たないので
何かにつけて指示をしてくれるのでありがたいです。


5月15日


夫が亡くなりました。


享年41歳


全力で駆け抜けた一生でした。





ブログを書こう書こうと思っていて
何度もPC開いてみるんだけど
どうしても書けなかった。


書くことで心が軽くなるなら
書いてみたらと
言ってくれた人もいたので
その人のためにと書こうとしたけど


無理でした。



書きたくないんじゃない
書きたいとは思っても

指が進まない…


では、と
ノートに鉛筆で書き込むのはどうだろう

いや
便箋に夫宛に書いたらどうかしら


とも思ったけど

どうにも出来ませんでした



なのに今こうやって書いてるのは
気持ちや感情を一切振り向かないようにして
書き始めたからです。


するとこの程度は書ける


でも


これ以上はまだ無理なようです。




でも1つだけ近況報告


先月下旬
我が家に見える弔問客が一段落した頃
フランスから長期休暇を取って帰国してきた二番目の兄と
軽井沢の別荘に来ています。

兄と二人で
あるいは私一人で
近所の林を散歩したり
少し足を伸ばしてドライブしたり
一日中何にもしないで考え事をしていたりして
過ごしています。

兄は休暇を取ったとはいえ
仕事とともに帰国したので
リビングや外のベランダで
仕事をしている日が多いです。


でももうすぐ夫の四十九日法要があるので
東京に戻らなければなりません。

その頃までに気持ちの整理は付くかなと思っていたけど
全く何の進歩もしないままです。



自分は何をしたいのか
どう物事を考えたいのか
よくわからないまま
時間だけが過ぎていきます。



観光地からも
幹線道路からも奥まったここでは
いろんな動物も
我が家の別荘にやってきます。

尻尾のボサボサしたリスたちや
穴熊?たぬき?ハクビシン?
なにかわからないけど小さな子たち
ケンケンと妙な声で鳴くキジ
キツツキ的な鳥や
歌を歌っているような鳥達

出来る事なら果物なんかで歓待したいところだけど
そういうわけにも行かないのでそっと眺めるだけにしますが

生き物たちや
日毎に緑の濃くなっていく木々
庭の落葉松の落ち葉から顔を出す小さな花々

そうしたものすべてが
まるで私の様子を見に来るかのように
常にそこにいて
そして必要以上に近づかない。





あの人は今どこにいるのかしら

その辺にいて私を見ているのかしら





やっぱり私を連れて行ってはくれなかったのね。