5月になり、少しずつ会社のことを理解してきた。



月ごとに、生徒獲得数の目標があり、それに向けてミーティングが繰り返し行われる。


僕たち新卒は、授業研修が多く、差異は、対策は、などとうるさく言われることはない。


校長先生たちは、週2回、午前中に会議があり、その度にエリア長から尋問(うちの校長がそう言ってい


る)を受けているらしい。


僕が配属になった青葉台校は穏やかな雰囲気の校舎で、校長の大石先生の色が良く出ている。


さらに、女性時間講師の濱崎先生は、この校舎で働いて4年になり、授業やその他業務についても親切に指導


をしてくれる。



話を聞くと、校舎によって全く雰囲気が違うらしい。


営業の電話をかけ続けろという校長もいれば、良い授業をすれば生徒が集まるという校長もいる。


もちろん、大石先生の考えは、後者である。



さらにわかったことは、同期に会う機会が極端に少ないことだ。


研修で週に1回会うくらいしかないため、他校舎に電話をして同期がでると嬉しいと感じる。


荒川さんはというと、入社式から全く会っていない。


社長室でどういうことをしているのか見当もつかない。


月末の日曜日に同期の飲み会を企画して、それを口実にメールしてみよう。



授業と子どもへの対応は慣れているので問題ないが、家庭への電話と面談には苦労した。


初めて面談をした中3女子のお母さんに、開口一番、


「この先生代えてください」


と言われた。


理由は、若いから。


たしかに、大学を卒業したばかりで、社会人の中では赤ん坊同然である。


この一言は、確実に僕の急所を貫いき、黙り込んでしまった。


同席していた大石先生がフォローしてくれたが、これ以来、面談をすることが億劫になってしまっている。


逆に、若いのだから頑張れと背中を押してくれるお母さんもいる。


親を見ると、生徒の性格について、なるほどね、と思うことが多々ある。


子は親の背中を見て育つとは、良く言ったものだ。



嫌なことが多いわけではないし、授業は楽しく、校舎の先生・生徒たちとも上手くやっている。


この時期の塾は、先生も生徒もゆったりしている。


7月頃から夏期講習に向けて慌ただしくなっていくもの・・・だと思っていた。


順調だと思っていたのは、全くの勘違いだった。


社員塾講師として重要な6月を迎える。
















「続きまして、この春、入社いたします新入社員の皆様の自己紹介になります。」



今年の新入社員は10人。


教師職と事務職が分かれていて、10という数字は、2つの職を合わせた数字である。



事務職の中には、荒川さんがいる。


社長秘書という、仕事内容の不透明な役職に収まることが決定している。


噂では、セクハラの絶えない社長で、毎年、新人女性が配属になるが、夏を迎える前に辞めてしまうらしい。


その荒川さんから順にあいさつが始まった。



「…大学出身の荒川美恵子です。社長秘書という…」


きれいだ。


僕が彼女に惹かれたのは、この透き通った声なのだ。



荒川さんと会ったのは、2次選考の時だった。


2次選考はSPIと専門教科のテストである。



就職活動の時期になると、大学の生協にSPIや他の試験対策などの本が並ぶ。


単位を取るためだけの、退屈な教授が書いた退屈な本と同じくらい売れる。


しかも、図書館に行くとほぼ全員がそれを使い、受験生のように勉強をしている光景は実に奇妙だ。


日本の受験生は、あんなに勉強するのに、大学生活の4年間で脳を衰退させてしまうらしい。


僕の場合、大学の授業には興味がなく、あまり出席していなかったが、塾で講師のアルバイトをしていたため、


SPIの類は楽勝で解くことができた。



2次選考の終了後、荒川さんに声をかけられた。


「1次選考でも一緒だったよね。」


きれいだ。


容姿は、缶チューハイのCMに出ているグラビアアイドルに似ている。


きれいだ。


と思ったのはグラビア特有の艶かしい要素を含んだ可愛さではなく、声だった。


正直、彼女のことを覚えていなかったが、僕は話を合わせた。


「解くの早かったよね。私、全然勉強してなかったからびっくりしちゃった。名前、何て言うの。」




荒川さんのあいさつが終了し、声の余韻に浸っていたせいで、自分の順番になるまでがやたら早かった。


僕の前の、教師職である太った加藤くんのスピーチが終わり、出番が回ってきた。


「…大学を卒業しました。吉川弘幸です。教師職で、青葉台校に配属になりました。よろしくお願いします。」


よし、上手く言えた。


この仕事を選んだわりに、人前で話すことは苦手である。


大学のゼミの発表でも、研究内容より、話すことに苦労をした。


授業と演説は違う、というのをいつも言い訳にしていた。



「以上を持ちまして、…年度入社式を終わります。この後は、学部・地区に分かれてのミーティングになります。


エリア長のみなさま、よろしくお願いします。」


この会社は、中学受験・高校受験・大学受験の3部門に分かれており、その中でもエリアごとに5、6校舎ずつ分


けられる。


僕が配属になった市ヶ尾校は、デントエリアという。田園都市線エリアの略だ。


エリア長は、尾田という、推理漫画に出てくる警部にそっくりな人である。


生徒からはメグレと呼ばれているかもしれない。


このエリアで新卒は僕だけなので、儀礼的なあいさつはすぐに終了した。


「では、各数字の確認から入る。長津田校から。」


数字?


「生徒数72名。目標数85名。差異13名。見込み2名です。」


「あと1カ月で差異をどう埋めるの。」


「週末のトライアルテストで7名の受験生がいます。その7人と面談をして入塾につなげたいと思います。」


「あと4名は。」


「・・・」


「ちゃんと対策立てて来いって言ったよね。校長としての自覚あるの。」



数字?目標?


塾って教えるのが仕事じゃないのか!?


さっきから営業の話しかしてないじゃないか!



その後も、メグレと各校舎の校長との問答…というよりは圧迫は続き、校長以外の社員は口を開くことな


くミーティングは終了した。


「各校舎に戻り、業務に励むように。以上、解散」



生徒とのコミュニケーションを第一に講師のアルバイトをしてきた僕にとって、塾は会社であるということを改めて


突き付けられたような気がした。