Digital undergroundのブログ

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なんでもありですが。そのうち絞られてくると思います。

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こどもの問題解決能力の向上を、問題解決能力のない親(私)が手伝うという矛盾に満ちたことを行っていこう、というブログを7月9日から書いています。

 

そして、こどもの、そして親である自分の問題解決能力向上云々を書く前に、以下の5点を行う必要性があると感じたので書いてきました。

 

1.自分の人生における失敗談を伝える

http://ameblo.jp/funkysexycrazy/entry-11892741130.html

2.こどもの好きな事を大事にする

http://ameblo.jp/funkysexycrazy/entry-11893172098.html

3.こどもと親が好きな事をみつける

http://ameblo.jp/funkysexycrazy/entry-11893718211.html

4.自然を通してこどもと親が遊んでみる

http://ameblo.jp/funkysexycrazy/entry-11894269298.html

5.こどもと親の両方が共に問題解決能力を発展させてゆく

http://ameblo.jp/funkysexycrazy/entry-11894789388.html


他に何が出来るのでしょうか?

 

今日は、6.こどもの前で政治経済の話をする、という発想を取り上げたいと思います。

 

私はこどもの頃から政治経済の話が好きです。でも、政治経済の専門家でもなんでもないです。父親がかつて学生運動を行っていたので、単にその影響です。でもそのおかげで少なくとも政治に関心を持つことができているので、これは良かったなーと思います。

嫁さんは残念ながら政治そのものにあまり関心は無いですね。でも付き合い始めた当初よりははるかに関心を持つようになったと思います。それは親になったというのも大きいですが、私の影響も少しはあるんじゃないかな?

 

当のこども達は、というとほとんど無関心(笑)。私にこどもにわかりやすくすい説明する努力が欠けているのだと思います。そこらへんは大いに改める必要がありますが、でもどうか、こどもたちには政治経済に何とか関心をもってほしい。

 

親が常に政治経済のことを生きていく上での重大な関心事として考えているっていう姿勢を見せ続けたいなと思います。政治経済を生活の一部として考えてほしい。そして、あわよくば生涯を通して自分で考え続けていってほしい。

 

日本人の多くが政治経済に無関心でいられる日本という国はある意味とても幸せな国だと思います。政治に無関心でも生きていける。ブラジルでワールドカップ開催をよそに頻繁にデモが起きていたのは、彼らが経済的に切羽詰まった状況に置かれているからです。日本はそういう状況に陥っている人はまだまだ少数派です。

 

政治家、経済人は、国民の多数をしめる中流以下の人たちになるべく政治に無関心でいてほしいのだと思います。欧米などと比べると、日本の政治家、経済人は特にそうだと思います。

政治経済に批判的な人が少ないと、彼らの保身は安寧だし、やりたいようにやれるからです。だから彼らにとって「投票に行かない人」「政治経済に無関心な人」は最も都合のいい「だまってお金をくれる(税金を払ってくれる)カモ」といってもいいと思います。

一時期、春名クリスティーンが「政治好きのタレント」として注目を集めましたが、この「政治好き」っていう取り上げ方がそもそもおかしい!政治に関心を持つのは当たり前であって、好きも嫌いもないと私は思うのです。アメリカでは、多くの芸能人が積極的に政治的発言をしています。日本でもいますが、大物タレントにはまだまだ少ない。まあ、一歩間違えれば干される危険もありますからね。

 

もうかれこれ10年以上の前の話ですが、森喜朗元首相が「無党派層は寝ていてくれればいい」っていう発言が思い出されます。でも、だから森さんって憎めない人だとも思いますが。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E5%96%9C%E6%9C%97#cite_note-32

 

安部政権になってから、それは露骨に現れてきている様な気がします。アベノミクスは、豊かな人たちが、今後も豊かさを享受できるようにすることを可能にするための政策であって、年収が平均以下の人たちの暮らしを守るためのものではないと思います。日本の内需なんて、もう大きな拡大はあるわけないんです。人口は減る一方なんですから。

 

消費税は10%になるでしょうし、また更に上がっていずれはEU並みの20%くらいになるのではないでしょうか?反対に法人税は下げられようとしている。公明党が軽減税率を盛んに主張していますが、いったい自民党がいったいどのくらい真剣に話し合いに応じてくれるのやら・・・。

 

軽減税率は、アベノミクスに熟考の末にそもそも含まれるべきでした。なのに、いまさら食パンは対象になるが、クリームパンはダメ、とか、レベルの低ーい議論がいまようやく議論が始まったと感じているのは私だけでしょうか?与党は集団的自衛権で支持率を下げているので、仕方がなく話し合いを始めたようにも見えますし、あるいは「集団的自衛権で折れる代わりに軽減税率を認める」という取引が自民公明の間で既に行われていて、っていうところかもしれませんけどね。集団的自衛権では、公明党は存在感を発揮できていない、というのがほとんどの国民のもっているイメージだと思います。というわけで、軽減税率は、もしかしたら実現するかもしれません(笑)。

 

政治経済のことを書きだすとキリがありませんね。この辺でやめておきましょう。

 

本題に戻りますと、いつの時代にあっても政治経済について批判的な姿勢でいることは大切ですし、それは老若男女、国を問わず大事な事だと思います。こどもたちに先の見えないこの世の中をハッピーに、自発的に生きていってもらうためにも、政治経済を生活の一部として考え続けていってほしいのです。今はまだこどもたちが小さいのであまり難しい話はできませんが、小学校高学年くらいからそういう話をしていきたいと思います。

 

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こどもの問題解決能力の向上を、問題解決能力のない親(私)が手伝うという矛盾に満ちたことを行っていこう、というブログを7月9日から書いています。

 

そして、こどもの問題解決能力向上云々を書く前に、以下の4点を行う必要性があると感じたので書いてきました

 

1.自分の人生における失敗談を伝える

こどもの問題解決能力2(親が出来ること)

http://ameblo.jp/funkysexycrazy/entry-11892741130.html

2.こどもの好きな事を大事にする

こどもの問題解決能力3(親が出来ること2)

http://ameblo.jp/funkysexycrazy/entry-11893172098.html

 

3.こどもと親が好きな事をみつける

こどもの問題解決能力4(親が出来ること3)

http://ameblo.jp/funkysexycrazy/entry-11893718211.html

 

4.自然を通してこどもと親が遊んでみる

こどもの問題解決能力5(親が出来ること4)

http://ameblo.jp/funkysexycrazy/entry-11894269298.html

 

他には何が出来るでしょうか?

 

5番目として、こどもと親の両方が共に問題解決能力を発展させてゆく、という発想をあげてみたいと思います。

 

5番目というか、いの1番にこの発想が出てこなければいけないのですが・・・。

 

そもそも親である私は、小中高大学生の時に受け身の学習しかしてこなかったのです。それは上の項目1,2,3でブログに書きました。つまり、学生時代から問題解決能力を積極的に養ってこなかったのです。

 

父親が団塊の世代で学生運動等をやっていたため、その影響で左翼的なスタンスで世の中を見てきた、ということはあります。しかし、社会問題に対して自分が何か積極的に関わって解決していこう、という発想はありませんでした。政治家の悪口は言っても、自分でアクションを起こすことはしてきませんでした。

 

私にとって社会問題は、単なるストレスのはけ口であるとか、エンターテインメントの類なのかもしれません。当事者意識が希薄で、「どうせ俺が何をしようが世の中なんて変わらないさ」といつも無意識に高を括って今日まで生きてきたんだと思います。「こんな自分でも社会のために何かできるんじゃないか」という発想に至ったことはありませんでした。

 

また、小中学校の時にいじめに会いましたが、ほぼやられっぱなしで、なんとかいじめられない様にしようとか、闘っていこうとかという風には思えませんでした。幸いクラス替え等でいじめグループとは離れることが出来、自然といじめられなくなりましたが、いじめられている、という自分の問題を解決するという意味においては何も成長していなかったと思います。

 

このような親が自身とこどもの問題解決能力を向上させていくことが出来るのでしょうか?こどもは親の背中を見て育つ、といいますからね・・・。

 

やっぱり、今までの自分の人生のあり方を変えていかないとダメなんでしょうね。自然と遊ぶのも大事なんでしょうけど、そういう牧歌的なことばかりじゃなくて、リアルな自分の問題とちゃんと向き合っていかないと。きっとこどもは、親のそういうところを、ちゃんと問題に向き合っているかどうかってところをしっかり見ているんでしょうね。

 

問題解決っていうのは、何も特別な事じゃないわけです。日々生きていくこと即ち問題解決の積み重ねなんだと思います。

 

さて、何から手をつけていけばいいのでしょうか(笑)?

 

問題が山積みですが、とにかく一つ一つ解決していく他はないのでしょう。

 

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こどもの問題解決能力5(親が出来ること4)

 

こどもの問題解決能力の向上を、問題解決能力のない親(私)が手伝うという矛盾に満ちたことを行っていこう、というブログを7月9日から書いています。

 

そして7月12日のブログで、こどもの問題解決能力向上云々を書く前に、以下の3点を行う必要性があると感じたので書いてきました

 

1.自分の人生における失敗談を伝えること。

こどもの問題解決能力2(親が出来ること)

http://ameblo.jp/funkysexycrazy/entry-11892741130.html


2.こどもの好きな事を大事にすること。

こどもの問題解決能力3(親が出来ること2)

http://ameblo.jp/funkysexycrazy/entry-11893172098.html

 

3.こどもと親が好きな事をみつける

こどもの問題解決能力4(親が出来ること3)

http://ameblo.jp/funkysexycrazy/entry-11893718211.html

 

他には何が出来るでしょうか?

 

4番目として、

4.自然を通してこどもと親が遊んでみる、という発想をあげてみたいと思います。

 

何故自然を通してなのか、というと、

 

①自然と遊ぶのは交通費以外それほどお金がかからないからです(笑)。うちは英語と通信教育をやらせて(自主的ではない・・・)いますが、私の甲斐性が無くてこれ以上習い事をさせてあげられません。

 

②それと、自然と遊ぶことは、こどもの五感を発達させることが出来るのではないかと思います。視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚。

 

例えば、こどもと一緒に海や山の幸を取ってきて、料理して、食べることはこどもも大人も五感をフルに使う事になります。

また、嫁さんの実家が農家なのですが、こどもたちはおじいちゃんとおばあちゃんが畑で野菜を育てたりするのをみたり、野菜を収穫するのがかなり好きです。自分で収穫した野菜を料理してもらって食べることは、スーパーで野菜を買って来て料理したものを食べるのと大分趣が違うと思います。

 

③こどもを見ていると、こどもは本質的に自然と触れ合う事が好きなんじゃないかなーと思います・・・。多くのこどもがそうであれば、むかしむかしにこどもだった私たち多くの親もそうなわけです。もともと自然が嫌いっていうお子さんももちろん中にはいらっしゃるとは思いますが。

 

というわけで、4.「自然を通してこどもと親が遊んでみる」は、2「こどもの好きな事を大事にする」と3「こどもと親が好きな事をみつける」を行い易くするのではないかと思うのです。

 

そういうわけで、月並みですが、やっぱり自然を通してこどもと大人が何か一緒にやってみる、というのはやはりとても良いことだと思います。

 

もっとも都会住まいのご家族等全ての人がこういった環境にあるわけではないと思います。でも東京都でも足を伸ばせば海と山があるわけです。ちなみに東京都の約4分の1は山地ですし、江戸前の海もある。東京に住んでいたこどもの頃は潮干狩りにいったものです。

 

人間ももともと自然の生き物です。でも今の社会は自然と距離を置いてしまっていますし、ITへの依存はそれをさらに加速させているように思います。

 

また日本では少子高齢化が進み、今後の20-30年間くらいでインフラを都市部に集中させざるを得なくなります。するとますます人々が自然から遠ざかってしまうと考えられます。

国土のグランドデザイン2050;全国規模の「串と団子」による過疎化対策

http://ameblo.jp/funkysexycrazy/entry-11889484725.html

 

ITや少子高齢化と自然をうまく共存させていくってことは可能なのでしょうか?

 

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こどもの問題解決能力の向上を、問題解決能力のない親(私)が手伝うという矛盾に満ちたことを行っていこう、というブログを7月9日から書いています。

 

そして7月12日のブログで、こどもの問題解決能力向上云々を書く前に、以下の2点を行う必要性について気がついたので、書きました。

 

1.      自分の人生における失敗談を伝えること。

こどもの問題解決能力2(親が出来ること)

http://ameblo.jp/funkysexycrazy/entry-11892741130.html

 

2.      こどもの好きな事を大事にすること。

こどもの問題解決能力3(親が出来ること2)

http://ameblo.jp/funkysexycrazy/entry-11893172098.html

 

他には何が出来るでしょうか?

 

正直に書くと、たった今は他に何が出来るかは今は思い浮かびません。でもこうして書いていくうちに、または色々本等を読み勉強をすることで思い浮かぶかもしれませんよ。

 

いいアイデアが浮かばない時は、とにかくとりあえず書き始めてみること、って脳科学者の茂木健一郎さんも書いてたし・・・

茂木健一郎;アウェー脳を磨け!~一歩踏み出せば脳は目覚める~ 廣済堂出版 (2010/12/22) ISBN-13: 978-4331515037

 

あ、今、書いていて思いつきました!

 

3番目に出来ることとしては、「こどもと親が好きな事をみつける」ではないかと思うのです。2番目の「こどもの好きな事を大事にする」ことの前提条件とも言えます。

 

「こどもの好きな事を大事にする」、というのは実は「親である自分が好きな事を大事にする」と言う事と表裏一体なのではないかという発想です。

 

もう少し正確に書くと、「こどもの好きな事」と「親が好きな事」の共通点を探って見つけていくことが、こどもの好きな事を大事にして問題解決能力向上の手助けをする、ということにつながるのではないかなーと思います。

 

都合のよい考え方かもしれません。しかし、自分が興味の無いことをこどもに教えたり、一緒にやったり、といったことは正直かなり苦痛です。私は特にそうです。

 

そこで、こどもの好きな事を探すために、自分も好きで、こどもも好きそうなことを一緒にいろいろやってみる、っていうのはどうかなーと思うのです。

 

こどもが小学校高学年くらいになって、自分でやりたい事を既に見つけて、どんどん自分でやってくれればそういった考えは必要ないのかもしれません。しかし、うちの二人のこどもはまだ小さく親に遊んでもらいたい年頃です。

 

それで、今日は近くの海岸にカニ釣りに出かけたのです。しかし雨が強くなってやむなく退却しました・・・。

 

でもカニ釣りは、正直こどもが好き、というよりは自分がやりたいだけ、って感じもします・・・。これはフェアじゃない(笑)

 

でも近くの海岸には今、ローズヒップ(ハマナスの実)が沢山ナっているのを見つけましたよ!これでジャムをつくってみるってのはどうでしょうか?うちの子はふたりとも女の子なので、二人ともこっちの方が好きそうだなあ。

 

もし、こどもの同意が得られたら、次の土日にはローズヒップをとってきて、ジャムにしてみたいと思います。クックパッドにレシピが載っていました。

http://cookpad.com/recipe/1209328

 

楽しみだなあ。

 

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こどもの問題解決能力3(親が出来ること2)

 

こどもの問題解決能力の向上を、問題解決能力のない親(私)が手伝うという矛盾に満ちたことを行っていこう、というブログを前々回から書いています。
http://ameblo.jp/funkysexycrazy/entry-11891615323.html

 

そして、まずはこどもの問題解決能力向上などと考える前にやるべきこととして、学生の時の自らの失敗をこどもに話すことで、同じ過ちを犯さないようにさせるといった趣旨のブログを前回書きました。私の場合、高校が付属する大学に入学するためのテストの点数がたまたま良かったことに惑わされて、学科選択を誤ったことを経験として伝えよう、といった様な事を書きました。

 

他には何が出来るでしょうか?

 

今回は「こどもの習い事」について考えてみたいと思います。

 

私は、幼稚園と小学校の時は水泳と書道と剣道をやっていました。書道は3年生から始めたのですが、結局4年生の終わりに辞めてしまいました。剣道も5年生から始めましたが、中学に入学し部活動を始めてから辞めてしまいました。でも水泳だけは幼稚園の年長から小学校卒業まで続けることが出来ました。

 

なぜ水泳だけは6年余続けることが出来たのでしょうか?

 

ひとつには、最初全く泳げなかったのに水泳を始めてから泳げるようになったことと、泳ぐのが単純に好きだったことが原因だったのではないかと思います。私の場合はやっぱり好きな事じゃないと続かなかったです。書道と剣道は、今考えると辞めたのはもったいないなと思うのですが、やっぱり親に勧められるままに何も考えずにやっていた感じが強いですね。

 

あと水泳は、当初期間限定の水泳教室から始めました。そのあと続けるかどうかは、親は私に決めさせたのです。どちらかというと親に勧められるままに習い事をしてきた私ですが、その時だけは自分で続ける、と意思表示をしたことをはっきり覚えています。

 

水泳を続けたのには他にも理由があったような気がします。私は海で泳いだり、磯遊びをしたりするのが大好きです。なぜかというと、幼稚園の時、親に海水浴に連れて行ってもらって泳いで遊んだり、磯遊びでカニを取ったりして遊んだことがとても楽しかったからです。だから海でうまく泳げるようになりたい、海に潜れるようになりたいという思いが強かったのだと思います。

 

また小学校の時は、ジャック=イヴ・クストーのような海洋学者になりたいとおもっていました。日テレ?で日曜日夜7時半にやっていた「クストーの海底探検」はいつも見ていました。

 

でも、中学高校に入ると海で遊ぶことは無くなりました。やっぱり思春期ですし、海でカニを取って遊ぶなんてことはガキのすること、といった意識もかなりあったような気がします。所詮遊びなので、みんながやっているように高校大学に進学して会社に就職するんだ、みたいな漠然とした、しかし今考えるとどうしようもなく陳腐な固定観念が当時はありました。そして、全くその通りにそれほど面白くない人生をたどってきたような気がします。

 

つまり「好きを貫く」ことが出来なかったんです。

 

でも、もし中学高校の時も小学校の時と同じ気持ちを持ち続ける事が出来ていたら・・・海や海の生き物に関係する仕事に就くことを真剣に考えて勉強し、高校大学とそういった関係の方向に進んでいたら、今頃はハッピーに働いていたのかもしれません。今考えるととても残念ですが、もう人生のやり直しが効く年ではないですね・・・。

 

以上の自分の失敗談から、自分のこどもにはなるべく好きな事を習い事として続け、それを中学高校にいっても続けてほしいですね。

 

もちろん、こどもが幸運にも好きな事を見つけたとしても、その道で食べていけるかどうかはわかりません。しかし、「好きを貫く」ことで、自分の持てる力を最大限に発揮して「自分の専門領域を確立」することは、格差社会、グローバリゼーションがますます進んでいくこの世の中にあって、有効な考え方だと思うのです。

 

とにかく、自分のこどもには私の様に「なんとなく高校大学に進学し、なんとなく就職する」といったような危険極まりない道を進ませるのは避けさせねばならない、と思っています。

 

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こどもの問題解決能力2(親が出来ること)

 

前回のブログで「こどもの問題解決能力」;http://ameblo.jp/funkysexycrazy/entry-11891615323.htmlの必要性について書きました。


では、親は何をすればよいのでしょうか?

 

正直に書けば、私自身はお世辞にも問題解決能力が高いと思いませんし、もちろんそういった教育を受けてきたわけではありません。

 

そもそも、問題解決能力を持っていない親のこどもがその能力を身につけるなんて、不可能ではないか?

 

でも、何か出来るとすれば、今まで自分が行ってきたこと、教えられてきたことと反対の事をしていくというのも一つの可能性かもしれません。

 

情けない話ですが、私は小中高大学生の時、なぜ自分は勉強しなければいけないのかを本当にまじめに考えたことは、ありませんでした。

 

小中学校は義務教育だから行きました。高校もはじめから行くものだと、根拠もなく決めつけていました。大学は、なんとなく高校が付属している大学にそのまま行きました。

 

親には「勉強しろ」とは言われましたが、なんでお前は高校大学に進学するのか?という問いかけは無かったと記憶しています。ただ父親には大学進学時に「お前は海の生き物が好きだから水産学科に行くと思っていたけど、違うんだな」と言われたことは良く覚えています。

 

その時私は、高校が付属する大学に進学するためのテストで予想以上に点が良かったため、当初行きたいと思っていた水産学科ではなくて、分子生物学系の学科を選んでしまったのです。

 

ですから、7月2日に書いたブログ「子供は遊びが仕事」の意味」に書いていた、「自分の好きな事を仕事にする」;http://ameblo.jp/funkysexycrazy/entry-11887893081.htmlの考え方と正反対の人生の選択をしていたのです!

 

「もしあの時水産学科に進んでいたら・・・」と時々考えます。


もっとハッピーな人生を送っていたかもしれませんね。正直今はあまりそうではありませんので。


でも自分のこどもには自分の成績や周りに惑わされず、自分の好きな道を進んで行ってほしいものです。やりたいことがあれば、別に大学なんて行く必要もありませんしね。

 

むしろ高校を卒業して働き始めてから、「やはり大学に行って勉強しなきゃ」っていう風になったほうが、モチベーションが高まっていいと思います。

 

とりあえず、以上の自分の失敗を、こどもが小学校の高学年から中学くらいになったら話してやるつもりです。

 

こう書いてきて初めて、「こどもの問題解決能力云々よりも、まず自分の経験を振り返ること」の方が先ってことがわかりました(笑)。

 

また、自分のこどもが、何が得意で何が不得意なのか、何に興味があるのか等をもっと良く把握することが大事でしょう。

 

もうすぐ上の小学生の子の1学期が終わりますが、小学校の成績表の各項目をみて一喜一憂するのではなく、まずは、読み書きなどがちゃんとできているか、先生や友達とうまくコミュニケーションが取れていれば良しとし、夏休みはもっとこどもたちと触れ合って、こどもたちの事をもっとよく知りたいと思います。

 

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最近、日本のあちらこちらで「こどもの問題解決能力」の必要性についての議論が盛んに行われています。

 

国内においては、今までのビジネスの見直しと、新たなビジネスの創出が求められ、グローバルには欧米や中国、韓国、インド等のアジアの強国とビジネスで熾烈な競争をしていかなければなりません。もっとも、ビジネスを国内とグローバルを分けて考えること自体がもう古くて、両者は一体と考えるべきでしょう。

 

日本の経済発展がピークに達したことで、「働いていればだれもがある一定レベルの豊かさを享受できる時代」はとっくの昔に終わりました。また技術立国としての地位も他国に揺るがされつつあり、もの作りにおけるメードインジャパンのブランド力も低下の一途をたどっています。日本人は国内外で生き残れるかどうかわからない先の見えない時代となりました。

 

そこで、問題解決能力の必要性が問われているという訳です。

 

その一方で、日本人は問題解決能力を養うための教育をほとんど行ってきませんでした。問われている知識を記憶しているかどうかや、その知識を応用する能力がどれだけ備わっているかの能力のみしか問うてきませんでした。日本型の教育システムが全てダメだという訳ではないのです。しかし、基本的には知識は自分や社会の問題を解決するためにあるのであって、ただ単に詰め込むだけでは意味がありません。日本型の教育システムはインプット偏重で、問題の解決という真の意味でのアウトプット能力開発にはほとんど注意が払われてきませんでした。

 

私の小中高大学の学生経験を踏まえても、勉強というのは「どれだけ記憶しているか」「記憶した知識をどれだけ応用できるか」という作業にほとんど終始していました。勉強というのは基本的に受け身でつまらないもの、つまらないけどやらないといけないものと思っていました。振り返ってみれば、「問題になっている○○をどのように解決するべきか」を考える問題解決型の授業、試験というのはほとんど無かった気がします。

 

「日本人の多くは、現在、そしてこれから必要とされる学力に気づいていません。(中略)日本のテストはそれまでに覚えたことを問うからです。つまり日本式のテストは、答えが前もってわかっているというイカサマに近い。そもそも解き方がわからないから「問題」になるのです」

福田誠治著「子どもたちに「未来の学力」を」2008 ISBN 978-4-486-03200-7 から抜粋

 

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こどもの早期英語教育って、果たしてこどものためになっているのだろうか?

英語の発音等は小さいときから聞かせておいた方がいいっていいますけど・・・。

 

うちはヤマハ英語教室で英語を習わせています。でも、こどもが自発的に「英語を勉強したい」って言ってきたわけではもちろんなくて、つまり、強制的にやらせているわけです。

 

グローバル社会だから、就職の時に有利だから、高校大学の試験対策等等、もっともらしく、また陳腐でもある理由はすぐ思いつくのですが。要は全て、英語を学ぶ根拠があいまいな、「こどもの将来の保険」みたいなもんですかね。

 

当のこども達も嫌々、とまではいかないけれども、決して自発的に英語を学んでいるわけではないように見えます。

 

英語ってやはり「必要性」を感じないと喋れるようにならないと思う。だいぶ前に仕事で数年アメリカにいたことがありました。そこでは英語を喋るしかないので、多少は喋れるようになりましたが・・・。でもビジネス英語としてはまだまだ低いレベルですね。

 

こどもも同じで、「必要性」や「楽しさ」を感じなければ自発的には勉強しようとは思わないのではないでしょうか。外国人の友達と英語で話したいとか、なんとか。

 

しかし、一般の日本のこどもの場合、英語を喋らなければならない状況と言うのは通常の生活ではほとんどありません。小中高校か、せいぜいお金を払って英語教室に行かせるくらいでしかそれは得られません。

 

現実的には日本では、こどもたちが自発的に英語を喋りたくなる、学びたくなる状況と言うのはほぼ無いのではないでしょうか。

 

どうやったら自発的に英語を学んでくれるか、とついつい考えてしまいますが、親がこのように意図することはすでに子供の自発的意思を尊重していないとも言えますね。こどもがどうしても嫌だって言い始めたら、英語教室をやめることも考えるべきでしょう。

 

それにしても、ヤマハ英語教室のDVD教材ってなんであんなにアニメの質が低いんですかね?絵は30-40年前くらいのアニメみたいだし、面白くないし、あれじゃあ日本の高いレベルのアニメに慣れ親しんだこどもたちのハートは掴めないと思いますよ。ベネッセのしまじろうの方がまだいいですよ。ヤマハにはこの点をもっと努力してほしいですね。

 

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最新号のNews week誌でクエンティン・シーという写真家と彼の作品の特集がありました。

PicturePower/全身9ドルの服が語る中国の肖像」ニューズウィーク(2014-07-08), 64p


そこで紹介されている写真集は「9ドル以内で、中国国内で販売されている服」のみを身に付けた若い男女の写真が掲載されています。モデルもプロではなく地元の若者だそうです。それらの写真は、以下のクエンティン・シーのHPで見ることが出来ます。
9 Dollars Fashion for Photography

 

News week誌の記事によると、クエンティン・シーは貧富の格差が極大しつつある中国の現状をこういった形で表現したかったようです。でも見方を変えると、やはり若者はどんなに貧乏でもオシャレを楽しみたい、という風にも取ることが出来ます。

 

クエンティン・シーの写真は、対岸の火事ではなく、日本人にも訴えかけるものが多いと思います。日本でも貧富の差は広がっており、特に若者と年長者の経済格差は大きくなりつつあります。更にアベノミクスによる経済偏重主義によりこの傾向に拍車がかかっています。

 

クエンティン・シーは中国の写真家で、日本ではまだそれほど有名ではないようです。Wikipedia等にも出ていません。大学在学中に独学で写真を学び、現在では彼の写真はアディダス, マイクロソフト, ソニー等で起用されており人気の写真家の様です。また日本でも、もう2012年の事ですが、ディオール銀座店で彼の写真が展示されていたようです。

 

クエンティン・シーのHPでは、「全身9ドルの服が語る中国の肖像」の写真集だけではなく彼の様々な写真を見ることが出来ます。私が彼の写真を見た印象は、無機質な感じで、退廃的な感じもするのですが、それに相反してなんだか懐かしい様な優しい感じもします。矛盾した表現ですが、カラフルなんだけど色が多すぎないというか・・・。オシャレな感じもしますね。こういったテイストはファッション誌等とも相性がよさそうです。もっとも彼の写真の印象は見た人それぞれで異なると思いますが。


もし興味が彼のサイトを覗いてみてくれれば幸いです。

クエンティン・シーの写真


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7月4日、国土交通省から2050年を見据えた国や地域づくりの指針となる「国土のグランドデザイン2050」が公表されました。

http://www.mlit.go.jp/common/001046870.pdf


 
これは、要するに「少子高齢化、過疎化により、3大都市圏と政令指定都市等の比較的大きな地方都市以外の地域は公共サービスその他の維持が困難になるため、全国的に都市機能の集約化と効率化を行うべきである」という提案です。

 

富山市の都市機能の集約化と効率化の取り組みとして、市内の主要な地域を「団子」に見立て、その団子同士を「串」である公共交通機関で結び、将来的には市民にはなるべくその「団子」に住んでもらい公共サービスの提供をもれなく受けられるようにしようという内容を、先月4日に「過疎地の運命」というブログで紹介しました。

http://ameblo.jp/funkysexycrazy/entry-11870369307.html 

国交省によれば、こういった都市機能の集約化と効率化が全国の自治体で行われるべきである、ということです。

 

それでは、「3大都市圏と政令指定都市等の比較的大きな地方都市以外の地域」つまり今後の過疎地に対してはどう対応していくのかというと、「小さな拠点」を設置し、そこに医療等生活に不可欠な機能を過疎地の徒歩圏内に集約することでしのいでいくことが可能だそうで、こういった「小さな拠点」は全国5000か所に設置されるべきだと提案されています。

 

以上の国交省の考え方は今後さらに深刻化する少子高齢化をふまえると現実的な考え方だと思います。しかし、アベノミクスで国の借金が1千兆円を突破した今、「小さな拠点」の設置のための財源等はどこから捻出するのか、といった疑問も出てきます。

 

また、国交省としては今まで長らく「国土の均衡ある発展」を掲げてきたわけで、いきなりこんな提案をされても受け入れ難いという方もいらっしゃるでしょう。

 

こういった、いつもの国の後手後手の対応を尻目に、件の富山市ではすでに次世代を担う子供たちのために「都市機能の集約化効率化」に関する教育を行っています。
http://www.jcomm.or.jp/8th_jcomm/PDF/poster/H25PA03.pdf


 

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