全ての人々をシヤワセにしたい
それが出来たとしても、全ての人々が、それをシヤワセと感じることは難しいと思います。
他人との比較が前提においてのシヤワセは当人にとって当たり前になってしまうからです。
だったら大切な人だけをシヤワセにしてあげよう。
そうすると該当しない方から嫌悪されてします。
どうせ憎まれるのなら、それを後悔しない人をシヤワセにしたいと思います。
ところでシヤワセって何だっけ?
こんなボクは、人生をやり直した方がいいのでしょうか?
コメントは不要です。(コメント出来るかいっ?!)
先週の日曜日、山寺・蔵王ウルトラマラソンのスタッフとして参加させていただきましたが、私の判断ミスで、みなさまをシヤワセにすることが出来ませんでした。
不快な思いをさせてしまったみなさま、申し訳ございませんでした。
与えられた条件での最善を尽くしたつもりでしたが、これがいけませんでした。
困ったのなら、もっと良い条件を与えてもらうように要求しなければいけませんでした。
これは自分に欠如していたことです。
この後悔を忘れないように、これからも努力します。忘れっぽいで、ここに書き記しておきました。
贖罪、長生きすればするほど、たくさん背負っていくものなんですね。
失うには老いすぎて、選ぶのには若すぎる

次はゲレンデ逆走マラソンのスタッフ仕事が待っています。
参加者さまの満足を背負わなければいけません。
そのためには、もっと傲慢で我儘な自分に生まれ変わる必要がありそうです。
みなさまが少しでも満足していただくことが出来るのなら、私なりの小さな贖罪のひとつです。