首相官邸からの申し入れ書が話題になっている。昨年末、内閣記者会の加盟社に上村秀紀・総理大臣官邸報道室長の名前で届いた文書は、官房長官会見での特定の記者の言動をクラブとして規制しろといわんばかりの内容だった。
文書では「東京新聞の特定の記者」による質問内容が事実誤認であると指摘。そして会見がネット配信されているため、「正確でない質問に起因するやりとり」は「内外の幅広い層の視聴者に誤った事実認識を拡散」させ、「記者会見の意義が損なわれる」と訴える。
仮に事実誤認なのであれば、そう回答すればいいようなものだが、この「特定の記者」が望月衣塑子氏であることは明白。要は望月氏の質問を減らせとクラブに申し入れているようなものなのだ。
同文書は最後に、「本件申し入れは、記者の質問の権利に何らかの条件や制限を設けること等を意図していない」という言い訳で終わる。よもや、圧力に屈するメディアなどいないとは思うが……。 (選択出版)
これって本当ですか?
この通達が本当なら腐りきっています。
報道側も何も言い返さないのであれば、報道の使命も終わってしまいます。
そんなことなら、記者クラブなんて名乗ってほしくない、忖度記者クラブと名乗っていただきたい。
そんな事を言わせる段階で終っているのでは、ありませんか?
官邸も、よくそんなことが言えますね。
日頃、弱い者イジメをしているジャイアンでも、映画のジャイアンなら怒る案件です。
この記事がガセネタであることを願います。
皮肉ことに、こんな記事もありました。
月刊誌「噂(うわさ)の真相」の編集長を務めた岡留安則(おかどめ・やすのり)さんが1月31日、右上葉肺がんのため那覇市内の病院で死去した。71歳だった。葬儀は近親者で行った。後日、お別れの会が開かれる予定。
政界や芸能界のタブーに斬り込んだ「噂の真相」を1979年に創刊し、25年間にわたって編集長を務めた。99年には、当時の東京高検検事長の女性問題を報じ、後の検事長辞任につながった。2004年の休刊後、沖縄県に移住。飲食店を経営しながら、沖縄の米軍基地問題について積極的に発言し続けてきた。16年に脳梗塞(こうそく)を発症。その後、がんが見つかり、治療を続けていた。
以下は、岡留安則さんの死去について、「噂の真相」の元スタッフたちが公表したメッセージの主な内容。
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岡留はいつもわたしたちに「体制が変わろうが、政権がどうなろうが、権力は信用できない。常に疑っていかなくては騙(だま)される。だから、知り得た情報をすべて市民に公開していくんだ」と語っていました。
そのゆるぎない覚悟、そしていかなる困難も生来の明るさとアイデアで乗りこえていくかろやかな姿勢は、わたしたちスタッフから見ても唯一無二であり、早すぎる死に悔しさを感じるばかりです。
本人も病床で最後まで安倍政権や辺野古新基地建設について憤りを口にしており、県民投票を前に力尽きたことは、さぞかし心残りだったと思います。
ただ、救いは、岡留がもっとも思い入れのあった沖縄の地で生涯を終えられたことです。生前は「死んだら沖縄の海に散骨してほしい」と語っており、亡くなる直前には、大好きだった「花」を聴いて、涙していたそうです。
なお、葬儀はご遺族の意向により近親者のみで執り行われましたが、お世話になった皆さま、ご交友のあった皆さまとともに、岡留の思い出を語り合えるような場をあらためてもつことができたら、と希望しております。
日曜日、お調子者のY田氏が、ジュースを奢ってくれるというので、フラフラと福島競馬場に行ってしまいました。
彼は、久しぶりにバイクに乗るそうです。
そのバイクを買う資金調達に競馬場に来たとのことでした。
バイクは数十万するので、そのお金を儲けるつもりのようでギラギラしていました。
レースに集中したいので話しかけないで下さいとまで言ってました。
(それ、ボクがいつも使う台詞なんですけど・・・)
しかしボロ儲けまでとはいかなかったようです。
私が推薦した馬を買って損をしたようです、
これでは終わらないよと、不敵な笑みを浮かべて彼は競馬場を後にしました。
福島競馬場近隣のみなさん、バイクを盗まれないように注意してくださいね。
バイクには久しぶりに乗るようです。
かなりブランクがあると思いますが、頑張って復活して下さい。