○○ソーリが○○議員を論破!!なんてドヤ顔で言ってる方をネットでよく見かけます。
同じ討論だったのに◯◯議員が○○ソーリを論破!!なんて逆の意見もあり見方が全く違ってたりして。
それについてまわるネトウヨだのパヨクだのどうでもいい罵り合いを見るとうんざりします。
論破を議論の末に相手を打ち負かすことだと思っている方は残念です。
相手を納得させるまでの議論をすることが理想的です。
真理はその立ち位置によって変わってきます。
正解なんてひとつになるわけがありません。
相手の主張を聞く耳持たない人の論破なんて薄っぺらすぎます。
せめて相手の主張を受け入れた上での論破を望みます。
とはいえ立ち位置によって変わる真理。
全ての人をシヤワセにすることなんて難しすぎます。
誰かをシヤワセにしようとすると、同じシヤワセを望む人が生まれますが、それを叶えることは簡単ではありません。
それを叶えられないと嫉妬や憎しみに変わってしまいます。
八方美人も楽じゃありませんね。
神様が存在するなら、彼は日々辛い思いをしていることでしょう。
ビートルズもボブ・ディランも神様と同じ?
こんな風に考えていてくれたら神様も楽だろうに。
みなさまをシヤワセにしたいと願う天使に憧れた自分の傲慢さを呪いたくなりますね。
でもこれくらいは目指したいな。
次男がドヤ顔で「母さんを論破したのに、それを認めない!!」みたいなことを言っていました。
それなりに成長しているのでしょうが、まだ成長途上なんでしょうね。
何故なら彼の論法は自分が絶対に正しいというところからしか始められていないようですから。
キミ達は家族でしょ、その論破がお互いのシヤワセになるのかもう少し考えてみてはどうかな?と言ってみたものの返ってきたのはため息ひとつ。
彼がもうひとつ高い視点で物事を見られるようになることを願います。
論破、論破とややこしい話になってしまいました。
こんな時代が懐かしい。